人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

島村さんの恋の行方

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危険をはらんだ恋の行方は誰にもわからなくて

 目覚まし代わりのNHK第一放送の天気予報によると、今日の天気は午前中は晴れ間が出て、午後には雷雨または雨が降り出すとの予想でした。それなのに、先ほどからもう雨がぽつりぽつりと落ちてきています。こんな雨の日に思いだすのはあの人のことです。あの人とは若い頃勤めていた会社の後輩の島村さんです。彼女はあの頃たしか20歳を過ぎたばかりで、愛くるしい顔をしていて、無邪気でまるで少女のような女性でした。ふだんは天然でみんなの笑いを誘うのに、いざ仕事の時は物凄い集中力を発揮していました。仕事ができるので、当然課長のお気に入りだったので

 そんな非の打ち所がない彼女の口から、ある時こんな言葉が漏れたんです、「うちのお母さんって面白いことを言うんです。お前もタバコを吸ってみるかって勧めるんですよ」。彼女の母親は自分がタバコを吸っているときに、なにげなく娘にタバコを1本差し出したのです。それも彼女がまだ未成年の高校生の時のことだそうで、そのことを聞かされた同僚と私は仰天してしまったのでした。何が普通かはともかく、当時は未成年でタバコを吸うのは不良というレッテルを貼られてしまう行為でした。それで、どうやら彼女の家庭は世間でいう普通ではないらしいのだとわかってきたのです。母親が彼女がまだ小さい頃に父親と離婚したせいで、彼女は母子家庭で育ちました。だから母親もそんなに自由な発言をするのかと思っていたのですが、今考えるとそれは偏見以外の何物でもないのでした。

 そんなある日、更衣室で着替えをしていた時に彼女の唇の異変を目撃してしまいました。唇の端が腫れて薄い紫色の花が咲いていたのです。「その唇、どうしたの?」と何気なく聞いてみると、「台所で棚から鍋を取るときに、誤って鍋を取り損ねて顔にあたってしまったんです」。なるほどそんなこともあるよねとその時は納得したものの、しばらくしてから、今度は目の下にあざを作って会社に来たのです。その時も不注意で転んで顔を打ってしまったと誤魔化していました。でも本当のことを聞いたら、高校生の時から付き合っている彼氏から暴力を受けていたのでした。彼女が何をしたと言うわけでもないのに、相手が嫉妬深くて手つけられません。「そんな相手とは別れたほうがいい」と言うのは簡単ですが、実際は恐ろしくて別れ話を言いだせないのです。

 すべてうまく行っていて、悩みとは無縁だとばかり思っていた彼女の中にこんな綻びが見つかるなんて、私たちは物凄い衝撃を受けてしまいました。今でいう恋人からのDVですが、当時はそんな言葉などまだない時代でした。でも確実に見えないところで、誰にも気づかれないところで事態は静かに進行していたのです。島村さんは誰にも相談できず、かと言って、私たちもどうしたらいいのかわからず無力でしかありませんでした。そんなとき、彼女が同じ部署の営業マンの鹿児島君と一緒にいるところを見かけるようになりました。何やら二人で親密そうに話し込んでいる様子はまるで恋人同士のようでした。不意に社内で二人が一緒にいるのに遭遇してしまった時などは、まるで自分がお邪魔虫にでもなったかのように感じてしまいました。噂が広まると、いつの間にか皆は二人を避けるようになりました。

 島村さんがひどい彼氏と別れて、鹿児島君と恋人同士になることは普通なら歓迎されるべきことでした。ただ、そうなるにはひとつ問題がありました。鹿児島君は社内で評判の営業マンで、弁も立つので、プレゼンも見事にこなしました。人当たりもよく、爽やかでイケメンなので、そういう若くて魅力的な男性にはちゃんとした彼女がいるものなのです。そういう点で彼も例外ではなくて、決まった女性がいながら島村さんとおかしなことになっているわけです。島村さんの直面している悩みに同情したのか、あるいは話を聞いているうちに感情移入してしまったのか、本当のところはわかりません。

 複雑な四角関係はその後どうなったのか、今ではもう知る由もありません。あれから、私は会社を辞めて転職したので二人のその後はわからないのです。私の送別会は雨が降っていて、居酒屋での帰りに二人は相合い傘で歩いていました。その熱っぽく睦まじい姿を見たのが二人を見た最後になりました。

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