人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

雨上がりのすべり台 

大の大人が長いすべり台が好き!?

 日経の夕刊の『プロムナード』にエッセイを連載中の乗代雄介さんには驚かされることばかりだ。先回は川沿いを歩くのが好きで、ひたすら歩いていたら、地元のおじさんに「歩いてきたの!?」と怪訝な顔をされてしまった。この人は自然観察が好きらしく、草花図鑑をわざわざ携帯して、散歩と言うより、むしろ小さな探検としか言いようがない。名所でも何でもないので、人はほとんどいない。そんな場所を歩いて回るのがこの上なく楽しいとご本人は書いている。作家というものはひたすら家で原稿を書いているものだとばかり思っていたが、その点において乗代さんは一線を画していて、まさに”行動する作家”と言える。

 坪田譲二文学賞を受賞した『旅する練習』もきっと常日頃の体験を通して書かれたのだと想像できる。未読だが噂によると、本の中身はすべて日記形式で書かれているらしい。読書家で、自然観察に余念がない作家が生み出す小説は、おそらく小説というよりも哲学書に近いのではないか。そう思うのは、私の貧しい過去の読書体験によるところが大きい。例えば、スウェーデンでベストセラーになった『旅の効用』は全編において、旅の話というよりも、人生を考えさせる内容だ。全世界でセンセーションを巻き起こした、マイク・ボイルさんの『僕はお金を使わないで生きることにした』も同様に体験記ではなく、ある意味で哲学書と言ったほうが正しいからだ。

 今回のエッセイではまたもや仰天させられた。冒頭から「オスカー・ワイルドは『人生における第一の義務は人工的であることだ』と考えていた。こうと決めた自分を演じきることで、人生の輝きを演じられるのだ、と」などとあった。当方は、「人工的であること」って何だ?と一瞬思ったが、それには構わず先を急いだ。それで「人工的であること」とは「見栄を張ること」だとようやくわかった。

 何でそんなことを思ったら、今回のエッセイのテーマは「見栄を張り通せた時の誇らしさ」?だったのだ。ある日の乗代さんは茨木県の笠間美術館を訪れていた。その時はあいにく連日の雨降りだったが、雨などものともせず周辺を歩き回っていた。ところが翌日は嘘のような好天に恵まれた。そこで「喜び勇んで向かった先は早朝の笠間の森公園」でお目当ては何と長いローラー滑り台!?正直言って、当方は呆れてしまった。ええ!?それって、まさかの子供が滑って喜んでいるあれですか。名前にローラーが付いていようがいまいが、すべり台には間違いない。

 それに雨上がりだから、すべり台にはどう考えても水がたんまり溜まっていて、そのまま滑ったりしたら、服がべちゃべちゃになってしまう。遊園地の流れるプールにあるようなウォータースライダーではあるまいし、普通の人はまずはそんなバカなことはしない。あるいは、とりあえず上まで登ってみたものの、しばらく滑ろうかどうしようか迷ってしまうのがおちだ。乗代さんがすべり台の前にいそいそとやってきたとき、まさにどうしようか思案中の母子に遭遇した。そこで、滑ろうか、それともやめようかと躊躇している彼らに「先に滑らせてもらえますか」と声をかけたのだ。

 そう言われた母子が不安げな顔で「いいんですか」と聞いたが、「平気です」と即答した。なぜならこの後、「隣の北山公園に行って160mあるローラースライダーにものる予定だったからだ」。なんとこの人はローラースライダーマニアだった。世の中には大人のくせに(大変失礼だが)すべり台が大好きな大人が少なからず存在することを発見した。どうやらすべり台は子供だけに楽しませておくにはもったいない遊具らしい。さて、すべり台を滑った乗代さんがどうなったかは言うまでもない。着ていた服、特にズボンはビショビショで濡れネズミ、でもここは颯爽とカッコよく、これぐらいなんてことないと言う素振りで「じゃあ、これで」と母子に挨拶をして歩き始めた。乗代さんはここぞと言う時に精一杯の見栄を張ったのだ。

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