人生は旅

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小さい秋見つけた

今週のお題「秋の歌」

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▲ヘローナのカテドラルにある宝物館の「天地創造タペストリー」。NHKまいにちスペイン語テキストから。

すぐに思い浮かんだのは、「小さい秋見つけた」

 秋の歌と言えば、すぐに口をついて出たのは、小さい秋という言葉で、それからは自然とメロディーを口ずさんでしまいました。暗記しなさいと言われたわけでもないのに、スラスラと歌詞が出て来るのはなぜなのでしょう。たしか小学校の時の音楽の時間に習っただけの歌を大人になっても忘れることなく記憶しているなんて、実に不思議です。今日は散歩の間ずうっとこの歌を歌いながら、イメージを膨らませてブログのネタを考えていました。正確に言えば、考えるのではなくて、知らないうちにボワッと頭に浮かんでくるというか、思いつくのですが。

 それにしても、この「小さい秋見つけた」は同じフレーズの繰り返しなのに、どうしてこうも、秋の寂し気な情景を連想させるのでしょう。いつの間にかもう忘れたはずの田舎で過ごした子供時代を思い出してしまいました。大人になって、今は街中に住む私は、この歌とは全く違う”小さい秋”を日々発見しているところです。朝晩めっきり涼しくなった頃、早朝にいつもの缶コーヒーを買おうとしたら、表示がホットになっていてええ~!となりました。暦の上では正真正銘の秋なのですが、体感ではまだまだ暑くて、日中はTシャツ姿の人も見かけました。だからなんだか違和感を感じてしまったのですが、この時の気分はどちらかと言うと、「あまり冷たいのはちょっとねえ」でした。本当のところは、その頃は買って帰ってから、気分次第で缶コーヒーを温めて飲んでいた事もありました。それで、赤いHOTの表示を見たときは、「もう秋なのだなあ」と季節の移り変わりを実感したのです。

 それから、他所のお宅の庭先にある花の種類が変わったのを発見した時もそうでした。いつも通る道には、私が憧れている2階建てのお宅があって、表札は「花房」さん。もちろん仮名なのですが、綺麗な花を連想させる美しい苗字です。そのお宅は南向きで間口は広いのですが、奥行きはたいしてありません。つまり北向きの部屋というものはないのです。だから常に部屋が明るくて、風が通るからさぞかし気持ちよく過ごせるのでは、などと勝手に想像していました。2階の部屋には3つの窓があり、そのうちの一つの窓際から下にある庭にかけて、朝顔とゴーヤのつるが競うように伸びていました。どちらかと言うと、朝顔の花が全盛で、ゴーヤの実は滅多に見かけませんでした。

 夏の間はお宅の前を通る度に、2階の方を見上げては朝顔の花を眺めて楽しんでいました。咲き誇っている朝顔の花の片隅に何か緑の細い塊を見つけた時は、「そう言えば、ゴーヤもあったんだ」とやっと思いだしたのです。このお宅はちょうど大通りに出る脇道に面しているので、人通りが多い場所にあります。庭にある草花は季節ごとに変り、道行く人を楽しませてくれます。春は桜、夏は紫陽花、秋はコスモス、冬は寒椿と移り変わります。このお宅の住人はガーデニングが趣味のようで、玄関の門扉の前にはいつも台付きの小さな花鉢がひとつだけ置かれていておしゃれです。

 そろそろ夏の終りを感じ始めた頃、ふと「あの朝顔とゴーヤはどうなったのだろう、もう枯れているだろうなあ」と思ったのです。それで、お宅の前でふと顔をあげて見てみたら、もうそこには何ひとつありませんでした。綺麗さっぱり朝顔とゴーヤの残骸は片づけられて、店じまいして夏の終りです。どうやら秋はもうそこまで来ているようです。その光景を目の前にしたら、「そうか、もう秋なのか」となんだかしんみりしてしまいました。見慣れた2階の窓際が何だか殺風景で物足りなく感じてしまったのです。まさに「花が消えてしまった」のですが、外からは庭に植えてある花が鮮やかに咲いているのが垣間見えました。これからもなんだか楽しそうな予感がしてきました。

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