人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

自己啓発本「頭のいい人はシンプルに生きる」

お題「#新生活が捗る逸品」

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▲この「頭のいい人はシンプルに生きる」の著者ウエイン・W・ダイア―は心理学者です。この本は彼が日々カウンセリングする患者たちを治療する中での体験から生まれました。彼らが皆似たようなことで悩み苦しんでいることを問題視して書かれたのです。彼らの嘆きの原因は自己犠牲を払ったのにとんでもないこと、つまり惨めな思いをさせられている状態に陥っていることです。「何とかすると約束したのに、結局裏切られてしまった」とか「彼にこの種のことは任せるべきではなかったのだ」とか、「またあいつにひどい目にあわされた」などと、彼らは著者に助けを求めに来たのです。『様々な形で他人の犠牲になることに甘んじたがために、結局は自分の自由を侵されてしまった人達』、そんな人達が多すぎると痛感しました。それで、彼は後で悩み苦しんで人生を棒に振るくらいなら、もっと自分本位に生きていいのではと考えたのです。

常に誰かの犠牲にはならないと肝に銘じる

 新しく何かを始めようとしたときに、必要なことは何かと考えてみます。すると頭に浮かぶのは新しい部屋、あるいは不用品を全部捨てて生まれ変わった部屋、つまり環境をリセットするということです。それから、一番大事なのは今までの自分の凝り固まったカチンカチンの考え方を捨ててしまうことです。環境は整えても、そこに住む人間の頭の中が悩みが絶えなかったとしたら、日々悶々としていたとしたら、どうでしょうか。私にとって、この「頭のいい人はシンプルに生きる」と言う本はまさに悩みのるつぼにいたときに出会ったのだと思います。「思います」と敢えて言うのは、この本を買った時のことを全く覚えていないからで、自分にとって嫌な記憶は消すようにしているからなのです。おそらく、本を自由に読むことができる大型書店で数ある自己啓発本の中から、一番共感できるこの本を選んだのだと思います。

 この本の言いたいことは、「自分以外の誰かによって自分が犠牲にならないこと」です。よく「自分さえ我慢すれば、ことは丸く収まる」などと言います。でも当の自分は人間ですから仕方のないことだとわかっていても、敗北感と言うか、「なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか」と惨めな気持ちになるものです。他人にはもちろん、自分にさえも「平気よ、大丈夫」と言い聞かせてみてもふつふつと沸き上がってくる疑問は消せないのです。物わかりのいいひとは、これくらい当たり前という振りをして、実は「自分ばっかり」という思いをしているはずなのです。こんな惨めな思いばかりしていたら、いつかきっと心を殺られるのではないかとさえ思えてきます。だから、この際「物わかりのいい人」をやめてみるのです。自分が嫌なことは断固拒否し、自己主張してみると周りの反応も変わってきます。とは言っても、”言うは易く行うは難し”で勇気がいることです。はっきりノーと言うことは難しいのです。それでも自分から自己犠牲を申し出る人には絶対ならないぞと固く心の中で誓うのです。それだけでも自分の人生は一変するのです。

 些細なことでいいのです、自己犠牲をやめることは他人に嫌な思いをさせられるのを拒否することです。自分の大事な一日が不快なものになることから守ることでもあります。例えば、寒い冬の日にカフェに行くと、一人の席は入口に近い所しか空いていません。そんなとき、物わかりのいいひとは当然寒くても、空気を読んで一人席に座ります。でも奥にはちゃんと他にも空いている席があるのですから、寒い思いをする必要は全くないはずです。人には誰にでも他人に迷惑をかけない限り、いい思いをする権利があると考えればいいのです。不快な思いをすることを極力避けることは、自分の時間を充実させることで、人生において重要かつ不可欠なことです。

 私の場合は、コロナ禍の最中新幹線に大阪から乗車したことがありました。車内はガラガラだったのに、二人席の窓際の席に座ってホッとしていたら、隣の席に一人の男性がやって来たのです。私はすぐに「こんなに空いているのにどうして?」という思いにとらわれてしまいました。と同時にどうしようもない圧迫感が押し寄せてきて息苦しくなりました。この状況をなんとしなくては、とか、このまま2時間も座っているのは無理とかという思いが頭の中を駆け巡りました。でも2時間ぐらいなら我慢できるという考えもあったことは事実です。そんなとき、ふとなぜ自分の大切な時間を犠牲にしなければならないのか不思議に思ったのです。周りの乗客は寛いで楽しそうにしています。あの人達は自由なのに、今の私はなぜこんな不快な思いをしなければならないのか。どう考えても理不尽すぎると思ったら、幸運にもちょうど車掌が通りかかりました。席を移ることを車掌に申し出たら、3人掛けの窓際の席に落ち着くことができたのです。

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