人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

マメで思い出すのは

今週のお題「マメ」

子供の頃出会った大豆のお菓子

 私にとってマメと言えば、たべるマメのことで、大豆や小豆、それとピーナッツのことが思い浮かぶ。実を言うと、豆が苦手で、と言っても甘い小豆は大好きなのだが、しよっぱい煮豆は好き好んでは食べない。こんにゃくやニンジン、ひじきなどと煮てある煮豆は最初こそ美味しいが、すぐに飽きてしまうからだ。要するに私は大豆があまり好きではないらしい。あの大豆特有の味がとても美味しいとは思えない。

 そんな私も大豆に関しては忘れられない思い出がある。それは子供の頃住んでいた村でのことで、まだ家の前の道が舗装されていなかった頃の話だ。中学生の時病気で亡くなった母は家計の足しにと小さな畑で野菜や仏壇に供える花を作っていた。なので、家は畑で採れた収穫物で溢れていたが、そのなかに大豆や小豆といった豆類もあった。ある日、普段は見かけことがなかったのだが、家の前にリヤカーを引いたおじさんがいるのを見つけた。その人はリヤカーに何やら小さな煙突が付いた金属の箱を乗せていた。私は「あれはいったい何なのだろう?」と興味津々で、子供の目にはとても魅力的に思えた。その人は村の人に知らせるかのように笛を吹いた。

 すると、家から母が出てきて、「あれはポン菓子だよ」と言った。ポン菓子って何だろう、聞いたことがない言葉だなあと思った。「そうだ、古い大豆があったから、あれをポン菓子にしてもらおう」と母は独り言を言うと、家の中に入り、カゴを抱えて戻ってきた。それは戸棚の中に放りっぱなしにしてあった大豆が入っているカゴだった。母はそれを家の前に居るリヤカーのおじさんに渡した。おじさんはリヤカーに積んでいる茶色い箱を開けると、カゴに入っている大豆を全部入れた。そして箱に付いているレバーを回したかと思ったら、すぐにボカ~ンというけたたましい音がした。

 突然の物々しい音にびっくりしていると、すぐに辺り一面に香ばしくて甘い匂いが立ち込めた。おじさんが茶色い箱のふたを開けると、そこにはあの豆の姿はなく、フワフワニ膨らんだ物体がぎっしり詰まっていた。小さな豆粒が圧力によって何倍にも膨らんだ結果だった。何ということなのだろう、あのどう見ても、なんのへんてつもない豆が魔法の力で美味しい豆菓子に変身したのだ。今の時代で言えば、ポップコーンのようなもので、あれはトウモロコシだが、あの頃はどうやらお米を米菓子にするのが流行っていたようだ。それをうちの母はお米ではなく、大豆でやってもらっただけのことだった。家にずうっと置いてある、どう処分しようかと困っていた古い大豆を、まさに今この時と活用しようと思いついたのだ。

 母のこのとっさの判断のおかげで、この上ない幸せを味合うことができた。最初は「あれはお米でないと上手く行かないのでは」との懸念もあるにはあった母も、これ以上ない出来栄えに「なかなかおいしいじゃない」と満足げだった。私は私で、子供ながら、どうしようもない大豆があんなに美味しい甘いお菓子に変身することに感動していた。できることなら毎度毎度、あの幸せに遭遇できたならどれだけよかっただろう、あれ以来、二度とリヤカーのおじさんの姿を見ることはなかった。だからこそ、今でも記憶に残っていて、忘れられない思い出なのだ。大豆と言えば、すぐに豆腐、あるいは納豆が思い浮かぶが、まさかあれをポップコーンにして食べるだなんて誰も思いつかないはずだ。

 納豆と言えば、私は子供の頃食べた記憶はなく、大人になって上京して初めてその存在を知った。身体によいから食べた方がいいと周りから言われても、味に馴染めなくてずうっと敬遠していた。でも今年の冬の厳しい寒さに震えあがり、自らが持っている免疫力を高めなきゃと真剣に思うようになった。納豆をご飯と一緒に食べるのは、私にとっては難事業というしかない。そこで視点を変えて、おやつとして食べることにしたら、これがなんと三日坊主で終わらず、現在まで続いている。

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