人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナ禍でもストレスフリーな生活を

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夜は眠らずドラマを寝ながら見る?

 昨日ブログに書いた叔母のことですが、その生活を見ていたら驚かされることがありました。それは夜寝るときに布団ではなく、こたつでテレビを見ながら寝てしまうことです。夜中に横になって寝ながらテレビを見ているのですが、そのまま眠り込んでしまうかと思えば、途中で起きてお風呂に入ったり、あるいはチーズケーキを食べたりとやりたい放題らしいのです。まさに、それは私が旅行に行って、泊まったホテルで自堕落な生活をするのに似ています。でも叔母の場合は毎日なのですから、また別問題です。 私は隣の部屋で寝ているのですが、熟睡しているせいか、全く気にならないのです。何よりもびっくりするのは、朝までBSのドラマを見ていて、結局あまり眠っていないと平気でいうことです。

 ではいったいいつ眠るのか、睡眠時間が明らかに足りないのに、大丈夫なのか、などと思っていました。そしたら、案の定昼間にうたた寝していたのです。夜の睡眠の不足を昼寝で補っていたのです。それにしても、こんな不規則な生活を1年中よく続けていられるものだと以前は呆れていましたが、今はこれでいいのだと思うのです。何より叔母は風邪ひとつ引かないのです。歯も丈夫で、少し太っているので腰がたまに痛くなる程度で、いたって健康なのです。私などが同じ生活をしたら、喉がやられて、たちまち風邪を引いてしまうでしょう。世間で言われている「高齢者は規則正しい生活を」というのは叔母には当てはまらないのです。好き勝手な生活が性に合っているようなのです。第三者がとやかく言う問題ではなさそうです。

行動に変化はなくストレスとは無縁

 私が一番驚いたのは、世間の大部分の人がコロナで個人差はあれど閉そく感を感じているのに、叔母には全くそれが無いことです。以前と全く変わりない生活をしていて、当たり前のように毎日車で出歩いているからです。もちろん大好きなクルーズ船のツアーに行けなくなったのは残念なのですが、別に無くてもいいのです。外食や買い物に躊躇なく行ける環境に住んでいるからです。叔母の住んでいる町、いいえ、もはや店が何もないので村です、そこから南に車で1時間も行くと感染が広がっている都心に出ます。その地域は以前からめったに行かない場所なので、あまり危機意識はないようなのです。

 叔母と一緒に車で15分のショッピングセンターに買い物に行ったら、町中には車をあまり見かけないのに駐車場は満杯でした。車を停める場所が見つからず、帰ろうかと思うほどでした。スーパーやレストランがある商業施設なので、みんなすぐには帰ろうとしないようです。店内に入ると、人の多さにびっくりです。ここではコロナ以前の日常があって、少し違って見えるのはみんながマスクをしているからです。そして、次々に立ち寄ったスーパーでも状況はすべて同様で、ここではコロナとは無縁なのだと感じたのです。なにも叔母だけが特別なのではなく、その周りもなので、それがこの地域では普通なのです。

 早朝に喫茶店のモーニングを食べに行ったら、駐車場は満杯で、もちろん店内も人が大勢います。ただ、田舎なので、都心の店のように密になっているわけではなく、ちゃんとソーシャルディスタンスは取れています。だから日常のままで過ごせるのです。そんな田舎ですから、もしもどこかの店で感染者が出たとしたら、すぐに噂は広まるはずです。そんなことは聞いたこともないと叔母は言うので、みんな安心して店に行けるのでしょう。

車の運転ができなかったら、どうすれば

 それにしても、今回の滞在で田舎ではいかに車が必須の物であるか、思い知らされました。もし、叔母が車に乗れなかったら、あんなに自由に行動できなかったでしょう。それこそ、おかしな言い方ですが、その時は本当の意味での「不要不急の外出自粛」と言えます。自転車、それともタクシーを利用するか、どうするのか。楽天家の叔母でも「あと何年車に乗れるのだろうか?」などと思うらしいのです。車は人に活力を与え、楽しませてくれ、自由に生きる手助けをしてくれるからです。そんな不安を物ともせず、お気楽な年金生活を満喫している叔母。一緒に居るとなぜだか叔母の年齢を忘れてしまっているのです。そのことを口にしたら、本人も自分が高齢者だと言うことをすっかり忘れていたのだと笑うのです。それを聞いた私は思いました、やはりそうかと。

mikonacolon