人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

うちの冷蔵庫は気まぐれ

壊れたはずなのに、突然氷を作り出した!?

 以前うちの冷蔵庫の自動製氷機能がストライキを起こした話を書いた。今日はその続きで、あれからどうなったかと言うと、あのまま壊れたままで現在に至っている。その訳は直接製造元の日立の関連会社に修理を頼んだのに、待てど暮らせど連絡もなければ、我が家にも来てくれなかったからだ。そもそも過去に来て貰った時の作業報告書を大事に取って置いたからこそ、ネットよりも早く修理を頼めたと喜んでいた。冷蔵庫を購入した大型量販店がネットでしか修理を受け付けてくれないから、やむを得ない行動だった。だが、きっと量販店とその会社はどこかで繋がっていて、私がネットでの修理を断った時点で、修理の予約は取り消されてしまったのではないだろうか。

 私が頼んだ時点で、今は修理依頼が混んでいるので最短で伺うのは10日後だと言われた。その翌朝に量販店から「今日中かあるいは翌日に修理担当者から連絡を差し上げます」とメールが届いた。確かネットの文面ではあくまでも「仮受付」で、後で「受付番号」を送ってくれると言うので、まどろっこしくてたまらなかった。こちらとしてはできるだけ早く何とかしたいのがやまやまなのだが、ネットの文面は「まあ、そんなに向きにならずに落ち着いてお待ちください」で、なんだか諭されているような気分になって来る。冷蔵庫が壊れたのが緊急事態だとすれば、以前なら、すぐに電話をすればいいわけだが、今の世の中は何でもネット受付なのだ。

 となるとこれまでの家電が壊れたら、電話をすればいいだけのことと言うステレオタイプな考え方は通用しなくなる。まさに、「すぐに直してもらえると思うなよ!」でこちらも忍耐力を試される事態となる。実際に私は便利で完璧な生活を送ることを放棄してもいいかなあと思い始めている。そんなに便利でなくともいいかと諦めにも似たような気持ちになっている。そう考えるようになったのは、指定された日に修理の人が来なかったからだ。確かにその日の午前9時から11時までの間に何らかの連絡があって来てもらえるはずだった。ネットで断ったことで、もしかしたら通じているのではと心配していた。だからその不安が現実になった時、もうそんなに自動製氷にこだわらなくてもいいのではないかとふと思った。

 お昼ごろになっても修理の会社からはナシのつぶてなので、壊れたままの冷蔵庫でやっていこうと決めた私はスーパーに出かけた。日用品売り場であの手でガシャンとやる製氷皿を3個も買って来た。そう言えば、電話で修理の人が言っていた。モーターなどの部品を取り換えると、2~3万、場合によっては4~5万くらい費用がかかるかもしれないのだと。うちの冷蔵庫は2010年製だから部品があればの話だが、とうに保証期間を過ぎているから、部品を取り換えたとしてもどうだろうか。ついつい目一杯に氷を貯めて置こうと欲張って仕事をさせれば、またストライキを起こすことは目に見えている。自動製氷機能がダメになったからといって、気軽に新しいものに買い替えられるほど冷蔵庫は安くない家電だ。昨今は新しい冷蔵庫に買い替えた方がSDGsで、地球にやさしいのかもしれないが、物を大事に使うことも大切なことだ。

 あと何年今の冷蔵庫を使えるかは分からないが、できるだ長く付き合っていきたい。氷を勝手に作ってくれなくても構わないので、冷蔵と冷凍の機能の役目だけ果たしてくれれば満足だ。確かに定期的に製氷皿の水を取り替えなければならないのは面倒だが、それくらいのひと手間は何でもないことだ。何事にもこだわりを持たなければ、心穏やかに暮らせるのだと思えた。

 そんなある日、夜中に目を覚ますと台所の方から、何やらガラガラガシャーン!という音が二度ほど聞えた。あれはたしか自動製氷皿が回転して、氷が貯蔵室に落ちる音だった。壊れているはずなのにどうしてと仰天した。急いで見に行こうと起き上がると、その後でウィーン、ウィーンとモーターが動く音がした。おそらく空になった製氷皿に水を吸水しているのだろう。どうなっているか台所に確かめに行って、冷蔵庫の引き出しを開けると予想通りちゃんと氷が出来ていた。小さかったり、壊れていたりで立派な氷ではないが、氷には違いない。その後もたまにではあるが、そんないたずらを繰り返している。

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