人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

突然のお弁当にどうする?

今週のお題「お弁当」

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 ▲燃え上がるように赤いトマト。以前ベルリンで食べたカフェの本日のメニューを思い出しました。稲葉由紀子著『パリのお惣菜』から。

「忘れてた、今日はお弁当だった」と言われたら

 子供に突然「今日お弁当だった!」と言われたとき、母親はどうするのでしょうか。以前友だちのひとりが経験したのは、明日は土曜日だから、お弁当作らなくてもいいと思っていた時のことです。だから、本当に何も段取りを考えていなかったのです。その日の朝、解放感に浸ってコーヒーを飲んでいました。寝坊助の娘が珍しく早く起きてきました。そして、突然「ごめん、今日お弁当いるの!」とまさかの発言をしました。こちらが油断していたら、一瞬の隙を突かれたようなものです。ささやかな幸せは娘のとんでもない言葉で消え去りました。さあ、どうしたものか、と空っぽの頭を無理やり使って考えてみました。時計を見るとあと1時間あるので、何とかなると確信しました。早速行動開始で、弁当箱にご飯を詰めて、娘が出かけるまで冷ましておきます。冷蔵庫から卵を取り出して、砂糖を入れて甘い卵焼きを焼きます。後は何にしようか、おかずが何もない、困ったと頭を抱えたら、ありました。冷凍庫にスーパーの特売の半額セールで買ったシュウマイとハンバーグが。普段は絶対に買わないのに、あの時は友達に釣られて衝動買いした冷凍食品、不要だと思ったものが意外にも役に立ちました。

 この時は心から冷凍食品と友達に感謝したそうですが、母親たるもの、突然の弁当ぐらいで怯むなんて何たることかと反省しました。この時の失敗を教訓にいつでも平常心で想定外のできごとに対処できるように備えることにしました。でも、あの時は時間があったからこそ、お弁当を作れたのであり、無ければ万事休す、絶体絶命なのです。つまり、「無理だから、今日はパンにして」と白旗をあげることになります。考えてみれば、娘は小学校から私立で給食というものを食べたことがなく、高校までずうっとお弁当でした。そんな娘は高校になってから「私も一度くらいはパンを買って食べてみたい」と言ったことがありました。

 どうやら学校の購買部で買っている同級生の姿を見て羨ましいと感じているようです。毎日のように売店に生徒たちが群がって、ワアワア言いながら何やら楽しそうにしています。自分もあの仲間に加わりたい衝動に駆られたのです。母親の弁当がマンネリ化しているので、飽きてしまったのか、あるいは自分の食べたいパンを自分で選ぶという自由を味わいたいのか。今にして思えば、人間ならそう思うのは当たり前のことです。なのに母親の自分ときたら、心が狭いのか、娘の気持ちを理解できないでいたのです。あろうことか、「私の弁当よりどこにでもあるパンの方がいいだなんて」と少しイラっとしたのでした。弁当作りが母親の義務であり、当たり前のことで、子供から感謝されるべきことでもないと自覚していてもこの体たらくなのでした。たぶん、「お母さんのお弁当が一番!」などと嘘でもいいから言って欲しいという気持ちが心の片隅に隠れているのでした。たかが、弁当なのに、されど弁当なのでした。自分の時間と手間をかけて作っている以上、母親の気持ちは複雑で、少しのことで簡単に揺れ動いてしまうのでした。

 さて、娘の突然のお弁当発言に翻弄された友人は、今では娘が結婚して弁当作りから解放されました。あの時のことを思うと「バカみたい」で「母親の手作り弁当にこだわりすぎた」と大笑いしています。それも今だから言えることで、あの時は固定観念でがんじがらめで無理だったとも言っていました。そう言えば、同僚に聞いた話によると、突然のお弁当にコンビニ弁当で対処したことがあるそうです。つまり、急いでコンビニに走って行って適当な弁当を買って帰る。それからお弁当箱にご飯やおかずを詰めて完成というわけです。それを聞いた私は「その手があったのか!」と目から鱗でした。

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