人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

夏物をまだ出していません

今週のお題「夏物出し」

6月と言えば、衣替えなのに・・・

 思えば、昔は6月1日と言えば、世間はもちろん、自分の中でも”衣替え”と決まっていた。だが、今年はなんだかおかしなことになことになっている。まだ5月なのに夏日になったかと思ったら、その次の日はやたら寒くて震えてしまった。天気は日替わりでコロコロ変わり、洋服選びに忙しかった。だいたいが、まずダウンなどの冬物のコートを仕舞おうとして失敗した。押し入れに仕舞って、やれやれこれでもう冬とはお別れと思ったら、次の日は真冬のような寒さだった。街を歩く人たちを見てみると、春物の薄いコートを着て何食わぬ顔で歩いている人あり、暖かそうなダウンコートを着て完全防備の人ありと皆様々だった。

 どうやら、もう○○月だから~と季節で区切ろうとしなくてもいいらしい。自分の判断でその日着るものを決めればいいらしい。私はいつも朝NHK第一ラジオの天気予報を聞くのだが、その日の朝の気温を聞いてから散歩に行く服装を決めることにしている。家の中と外では身体に感じる温度が違いすぎるので、外に出て歩き始めたら「なんだこりゃ!?」と驚くこともたまにある。寒さに震えたときは、家に戻るのも面倒なので手袋を取り出してはめる。すると嘘のように身体が暖かくなるから不思議だ。

 6月になって日中の最高気温が30度近くまでなったが、街を歩いている人で半袖を着ている人はそう多くはない。確かに夏が、あのうだるような夏が近づいているのははっきりとわかるのだが、そういう自分もまだ長袖のシャツを着ている。そうなのだ、毎年この時期になると「夏物を出さなきゃ」という思いに囚われていた。だが今年はそんな気分にはなれないし、半袖の服が別になくてもまだ困らないのだ。私を衣替えに突き動かさない原因として挙げられるのは、近頃の天気予報があまりにも親切に毎日の気温を詳細に教えてくれるからだ。それで、気温が下がる日にご注意くださいなどと言われると、喉が痛くなったりして、風邪を引くのが嫌なので、ついつい薄着になるのを避ける傾向にあるようだ。

 だから私の洋服ダンスの中はいっこうにスッキリしなくて、新しく夏物を入れるスペースがない。面倒なのでついつい現状維持のままなのだが、明日からの天気予報を見ると、雲と傘マークが多い。どうやら季節はこのまま梅雨を迎えそうだ。これからの状況次第で衣替えを判断することになるだろうが、慌てることは無いので少しずつやっていこうと思う。衣替えと言えば、学校の制服が思い浮かぶが、5月にはもう女子高生が半袖を着ていて仰天した。その時の私はたしか長袖のシャツにパーカーを羽織っていたのに。彼女たちとは違ってもう若くはないおばさんである私は、彼らは寒さを感じないのだと感心した。だから、当然彼女たちは皆衣替えをしたのかと思ったら、不思議なことにそうではなかった。

 本当は衣替えをして生活にメリハリをつけたいのにそれができない。春と夏の間に境界線を引いて、タンスの中をすっきりしたいのにできない。なんとも宙ぶらりんな状況なのだが、考えてみると、今の世の中にどこか似ている。今までの常識が全く通用しなくて、予想がつかないから、これまで生きて来た以上に自分で考え、判断しなければならない。それこそ”チコちゃん”に「ぼうっとして生きているんじゃないわよ」と叱られてしまいかねない。

 夏と言えば、田舎で育った子供の頃は毎年夏になると浴衣を作ってもらえた。母が自ら縫ってくれた浴衣で、どこの家でもそうしていた。金魚や、花火、飴玉などの柄がついた可愛い色合いの浴衣を着て、夏祭りに行った。そして、いつも金魚すくいをするのだが、うまく掬えた試しはなかった。残念賞に金魚2匹を貰って家に帰ると、必ず母に「すぐ死ぬからダメでしょう!」と叱られた。金魚すくいの金魚は大勢の子供に散々弄ばれて弱り切っていたし、また病気だって持っていたのかもしれない。儚い命なのに子供の私は金魚が欲しくて仕方がなかった。作ってもらった浴衣はその後どうなったかというと、なんと翌日からは私の寝間着になった。そんなことをふとこのブログを書きながら思い出した。

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