人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

夏休みのラジオ体操

滅多に出会わない親子連れ、その訳は

 今日早朝の散歩に行く途中で、母親と小学生くらいの子供3人が連れ立って歩いているのを見た。そんな風景には滅多に出会わないので、何だろうと興味が湧いた。まだ6時を少し過ぎたばかりで、お出かけにはいくら何でも早すぎる。それに彼らは荷物らしきものを何も持っていない。母親は小さなバッグを持ってはいるが、子供たちは手ぶらだった。もしかしたら、気分転換にお散歩かと思ったが、何も目的もなしに出歩くとも思えない。彼らとすれちがって、いつもの道を歩きだしたら、すぐにその存在は頭から消えしまった。

 散歩コースの途中にあるセブンイレブンの向かいにあるマンションの敷地にはピンクの花が鮮やかに咲いていた。ネットで調べたら、いや調べなくてもちゃんと百日紅さるすべり)と名前が書いてあったのだが、それに気が付かなかっただけのことだ。先日の朝日新聞天声人語には「ピンクの花は普通に考えれば、美しいのだが現在の灼熱地獄のような気候では、ただただ暑苦しいだけ」だとの感想が書いてあった。それでも私にとっては、毎朝、「なんて綺麗なんだろう」とその鮮やかさに感激する存在だ。それと今は何と言っても勢いのあるのは芙蓉の花で、白、ピンク、薄ピンクと辺り一面に咲いて町中を明るくしている。先の天声人語でも、「芙蓉の花の白さは涼を感じさせてくれる」と歓迎していた。芙蓉の花の中でもスイフヨウは朝は白で夕方になるとピンクに色が変わると姉から聞いたことがあるが、その姉が亡くなってからちょうど一年になる。

 緑溢れる川沿いを散歩し、いつものタワーマンションの前にある橋まで行って、Uターンして帰ってきた。家の近くまで来ると、偶然出かける時に会った親子連れを見かけた。ふと見ると、彼らは白い袋を下げていた。ああそうか、何かコンビニかなんかで買い物をしてきたのかと思った。でも、それにしては子供がそれぞれ同じような袋を持っているので、何か変だ。何だろうと思ったら、目に入ったのは子供のひとりが首からかけていたラジオ体操の出席カードだった。その瞬間、私はすべての状況を理解できた。子供の頃、体操が終わった後、早く帰りたくて、我先にとハンコを押して貰うための「あれ」だった。

 そう言えば、今日は8月3日でラジオ体操の最終日だと、通りにある掲示板に書いてあった。となると、子供3人が持っていたレジ袋に入ったお菓子は「頑張ったで賞」に他ならない。遠目から見ただけだが、袋には見たことのある「とんがりコーン」らしきパッケージも入っていた。どうみても袋には3種類くらいのお菓子は入っている。まさか、昨今はラジオ体操に行っただけでスナックの詰め合わせが貰える!?のかと仰天した。時代は変わった。そのことをとやかく言うつもりはないが、自分の子供の頃と比べると雲泥の差だ。たしか、あの頃は、ご褒美に小さなパックジュースをひとつ貰えただけだった。もっともそれだけでも嬉しかったのだから無邪気なものだ。

 ラジオ体操は子供にとって、夏休みに早起きするためのモチベーションには最適のイベントだった。前日に夜更かしをしても、親にたたき起こされて仕方なく寝ぼけ眼でラジオ体操に行った。なんとかハンコを押して貰って、帰って来たらまた寝てしまうこともあった。とにかく、子供が早起きするために必要不可欠なもので、ラジオ体操で一日が始まった。目覚ましをかけていても、寝過ごしてしまうこともあったが、途中から遅れて行っても、出席には変わりはない。現在ではコロナ禍で中止するところが多いと聞くが、開催しているところもあるのだと気付かされた出来事だった。それにしても、”お土産”まで用意されているのには、何らかの事情があるのに違いない。例えば、子供に人気がなく、集まりが悪いとか・・・」。ではラジオ体操をやる意味は何なのかと考えると、もうわけが分からない。

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