人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

日差しを返せ!と叫びたい

今週のお題「叫びたい!」

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コパカバーナのバシリカ聖堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

取り壊される社宅の土地を見ていたら、ふと思い出して
 近所のスーパーに行く途中にある有名銀行の社宅がありました。今でも建物はあるのですが、すでに住人が退去して壊されるのを待っているところです。解体工事は10月下旬からの予定でしたが、まだ取り掛かる気配はありません。思えば、日差しの強い夏頃に社宅の庭に生えている雑草を業者の男性が一人で刈っていました。そのおかげで大きな木を残してだいぶ庭がきれいに片づきました。住人が退去してから伸び放題だった雑草がなくなって、閑散とした庭はなんだか寂しい気がしました。いずれは大きな木も切り倒されて更地になってしまうのです。毎日この庭の木々に集まっていた鳥たちはもうすぐ居場所がなくなることに気付いているだろうか。残念なことに、自分たちの住んでいる地域からかなりの緑が失われるのを私たちはただ黙って見ているしかないようです。

 競売でこのものすごく広い土地を買った某不動産会社は、なんだか立派なビルを立てそうな予感がします。社宅の建物は3階建てで、南向きで遮るものは何もなく、太陽が燦燦と降り注いでいました。恐らくマンションを建てるのでしょう、それも15階くらいの、なんて自分勝手に想像しています。ただ、現時点では取り壊しの期間が来年の6月までかかると掲示板に記載されているだけで、それからあとのことは何もわかりません。社宅の駐車場の真ん前には一戸建ての家が3軒あって、いつもベランダいっぱいに洗濯物が干してありました。羨ましいくらいの立地で、最高の場所に住んでいたわけですが、果たしてこの先はどうなるのか。そう考えると、なんだか暗澹たる気持ちになってきました。そう、他人事なのにどうしてなのか。それに狭い道路を挟んで立っている多くの家だって、もしビルが建ったら少なからず影響を受けるのは必至です。つまり、日差しが入らなくなって、日陰の身に甘んじなければならないのです。

 太陽の、お日様の光がどれだけ大切か、身をもって体験したことがあります。若い頃、私は一軒家の1階を借りて住んでいました。その家はたくさんの古い民家が密集している場所にあり、2階には大家の息子夫婦が住んでいました。家の前には猫の額ほどの庭があり、そこには植木が植えられて、梅雨の時期には紫陽花が美しく咲いていました。隣の家の住人とはいつも話をしたり、お裾分けを持って行ったりして、仲良く付き合ってきたつもりでした。それなのに、ある日突然「悪いけど、建て増しをするからごめんね」と言うのです。話を聞いて驚きました、私の住む部屋のすぐ前に小さな部屋を立てるつもりなのです。そんなことをされたら、今まで差し込んでいた太陽の光が全く入って来なく

 その計画を中止してくれるように頼みましたが、息子さんの最大の願いだそうで聞いては貰えませんでした。すぐに不動産屋に走って行き、説得してもらうように頼みました。大家にも困っていることを訴えたのに、隣の家は親戚のようで何らかの事情があるのでしょう、強く出られないのです。私たちが右往左往している間に、あっという間に増築というか、小さな部屋は完成してしまいました。それでも私は部屋が少し暗くなるだろうぐらいにしか考えていませんでした。

 ところが、日差しが全く入らくなった部屋は、急にジトジトとして、すべての物にカビが生えるようになりました。洗濯物を干そうものなら、部屋に居るだけで不快に感じました。洗濯物の干し場を奪われてしまったので、部屋の中に干すしかないのですが。そこで、こんな状況にいる自分が情けなくなって、なんだか怒りがこみあげてきました。心の中で思いっきり叫びました、「日差しを返せ!」と。

 後日、こんな部屋にはとても住めないと不動産屋に訴えたら、大家も認めてくれました。私は慰謝料として新しい部屋に移る資金を出してもらうことができました。でも、あんな最悪な経験はしない方がいいに決まっています。

mikonacolon