人生は旅

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兄の行きつけの寿司屋

今週のお題「寿司」

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▲文春文庫のポケットブック「ベストオブ寿司」から。

兄に連れられて行ったのは、隣の県の寿司屋で

 お盆や正月に田舎に帰るといつも兄が寿司屋に連れて行ってくれました。大通りを通るバスが1時間に2本しかない地域では、当然生活には車が欠かせません。兄の運転する車で向かったのは、隣の県の寿司屋でした。実家のあるのはちょうど県境で、3県に渡って流れる大きな川には高速道路と新幹線が通っていました。自分の住んでいる県内ではなく隣の県に行くのはどうやら理由があって、みんながそこへ行くから自分もそこに行くらしいのです。実際にその店に行ってみたら、噂通りで満足したので通い始めました。連れられて行った寿司屋も個人でやっている店で、駐車場もほとんど埋まっていました。店に入ると、兄はカウンターに座り、ビールと刺身の盛り合わせを注文しました。義姉と私はそれぞれ好きなネタを、トロ、ウニ、イクラ、アナゴなどを次々と注文してお腹いっぱいになるまで食べました。

 特にウニはあまり食べたことがなかったので感激した覚えがあります。いつだったか同僚に「ウニってどんな味?」と聞かれたことがありました。「甘いよ」と言って、ウニ独特の甘みを強調したかったのですが、あとで「食べて見なければわかるわけないか」と気が付きました。食べるウニは養殖ですが、旅をしていたら偶然野生のウニに出くわしたことがありました。フランスとスペインの国境近くの港町でホテルに面した海で遊んでいた時でした。浅瀬になっていて、周りにいる子供たちが潜っては何かを取ってきて、私が座っている側に次々と置いて行きました。これはいったい何?とふと見ると、小さいけれど間違いなくウニでした。黄緑、紫、赤、黒、と色とりどりの食べられないウニのオンパレード。何気なく見たら、「あれ、もしかして動いた?」そうなんです、彼らは少しずつあのトゲトゲで移動していたのです!「ウニが歩く」ことを目撃した私は初めて彼らも生きているのだと実感したのでした。

 話を寿司屋に戻すと、兄の通っていた店で高校時代からの親友の土本さんに会ったこともありました。勉強嫌いだった兄は高校は商業科を選び、卒業して信用金庫に就職しました。その時一緒だったのが彼で、土本さんは今も信金に勤めているのですが、兄は転職をしました。今でも思いだすのは、信金から電話が掛かってきて、私が受話器をとっていつものように応対したら、会社の人から怒られたというのです。「お前の電話での応対がなってないと上司から注意されたんだぞ」。ただ、「お兄ちゃんはおるよ、待っとってね、今呼んでくるから」と言っただけなのに何が悪いのかさっぱりわかりませんでした。兄の話ではその言い方では都合が悪いらしく、模範的な言い方を教え込まれました。仕方がないので、言うことを聞いてその文句を呪文のように覚えました。子供ながら、会社というところは体裁を取り繕うところなのだと感じたものです。

 それから兄がいつも言っていたのは「他の銀行員よりも早く行かなきゃ、契約が取れないんだ!」ということ。銀行間の競争は熾烈なようで家に帰ってきても仕事のことが頭から離れませんでした。妹の私が覚えているくらい、それくらい仕事が大変だったわけです。兄は毎日遅く帰ってきて、夕飯を一緒に食べた記憶はあまりありません。数年後兄は市役所の仕事を請け負う建設会社に転職をしました。信金にこのまま居ても、仕事がきつい割には給料が安すぎて、将来に不安を感じたからでした。今まで考えたこともない職種でしたが、心機一転で取り組みました。その結果社長の信頼を得て、副社長にまでなれたのです。

 しばらくして、兄の行きつけの寿司屋は残念ながら店を閉めてしまいました。その理由は店主の息子さんが不慮の事故で亡くなってしまったからです。ひとり息子を亡くした悲しみから立ち直ることができないのです。激しい雨が降る夜でした、県境にある川の堤防の道を息子さんは車を走らせていました。そこで何があったのか、詳しいことはわかりませんが、車のタイヤがスリップしたのか、河原に転落してしまったのでした。突然の出来事に兄は絶句しました。そして「これからどこに行けばいいんだ!」と嘆きました。

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