人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

教師の家の立派な本棚

今週のお題「本棚の中身」

親が二人共教師の親戚の家で、本棚に仰天して

 まだ田舎で暮らしていた子供の頃、よく親戚の家に遊びに行った。その家は母親の妹の家で、夫婦共に教師だった。妹は小学校、その夫は中学の教師で、私が中学生になったときは体育の担当だった。あろうことか、私は顔馴染みのおじさんに体育を教わることになって、居心地が悪い思いをたくさんした。

 まあ、そんなことは今から思えば、どうってことはない。そんなことより、当時の教育者の家庭と言うものが、子供の目にはどう映ったかが問題だ。私の家は父親が会社員で、母は自分の家の狭い畑で花や野菜を作って、家計の足しにしていた。父だけがお金を稼いでいるので、当然子供が欲しい物を何でも買ってもらえるわけではなかった。それなのに、親戚の家の子供たちは、私の持っていないものをすべて持っていた気がする。「うちとは違いすぎる」と私が文句を言うと「あそこは夫婦二人で稼いでいるから、仕方がないのよ」と母はいつもため息をついた。それから「あそこの子供は小さい時からお母さんと一緒にはいられないのよ。それでもいいの?」と必ず付け加えた。

 私の家になくて、親戚の家にあるものと言ったら、子供の勉強部屋、グランドピアノ、そして、立派な本棚の3つをあげることができる。本棚はピアノとソファがあるリビングと子供部屋にだけでなく、他の部屋にも置いてあったので、私は気になってしようがなかった。それらの本棚の何に惹きつけられたかと言うと、学校の図書館では見たことがない、いかにも高そうな装丁がされている本ばかりぎっしりと詰まっていたからだ。あれはきっと百科事典かなんかだったと思うが、子供心に「さすが、教師の家は普通の家とは違うんだなあ」と驚き、感心した覚えがある。「世界文学全集」と書かれたタイトルの本がずらりと並んでいるのを見たときは、「うわぁ、こんなにたくさんある!」と感激した。ここの家の子は本棚の中から、いつでも自由に好きな時に好きなだけ好きな本を読むことができるんだ、と思ったら、途端にここの家の子供が羨ましくなった。本棚がない自分の家とは雲泥の差で、申し分のないアカデミックな環境だった。

 こんな風に書くと、私が筋金入りの本好きかと誤解されそうだが、実際は違う。私はどちらかと言うと、いかにも子供らしい浅薄な考えしか持っていなかった。私の頭の中はいつも親戚の家の末っ子の女の子が着ているワンピースのことでいっぱいだった。それらは田舎にある洋品店ではお目にかかれない、花柄のついた上等なお姫様ドレスだった。親戚の家に行くと、その子の部屋に泊まるのが常だったので、当然洋服ダンスの中身も見ることになる。そこにはデパートにあるようなワンピースがずらりと掛かっていた。「すごい、綺麗な服ばかりこんなに持っているのね。羨ましい!」と言うと、私より一つ下のその子は予想外の反応をした。「ふ~ん、そうなの?私はこんな服なんかいらないわ。私は服なんてどうでもいいから、お母さんと一緒に居たいだけなの!」と真剣な顔で訴えるので返す言葉がなかった。母が言っていたことも、まんざら嘘でもないのだと痛感した出来事だった。

 思えば、あの家の立派な本棚を住人が利用したのを見たことがなかった。あれはいわゆる教育熱心な家に常備されているインテリアで、百科事典は最も便利で役に立つアイテムと言える。ネットなどない環境において、あれさえあれば、なんでも調べられるのだから。普通は図書館や本屋に調べに行く必要があるが、家にあるだけでその手間が省けて、時間の節約にもなる。世界文学全集は私にはとても魅力的なものだったが、やはり家庭にあると無いとでは天と地との差がある。なぜなら、田舎では本屋というものが身近になくて、あったとしても遠くて子供の足では通えないからだ。一度町の本屋に『りぼん』を買いに歩いて行ったことがあった。往復でどれくらいかかったか、もう覚えていないが、その時『りぼん』を手にしたときのワクワクした気持ちは忘れられない。

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