人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サチコさんがおかしくなった

突然の電話から波紋が広がって

 昨日実家の義姉ミチコさんから夜遅くメッセージが届いた。「サチコさん(去年亡くなった叔母の妹)から電話があったけど、いくら聞いても話が分からなくて困って・・・」とスマホの画面にはあった。その時の私は眠くて瞼がくっつきそうだったので、明日電話すればいいかと寝てしまった。翌日確かめてみると、その後電話もかかってきていたが、その頃の私はもう夢の中だから知る由もない。ミチコさんから再度電話が来るかと待っていたが、梨のつぶてなのでこちらから電話をしてみた。

 ミチコさんは用事がない限り、あるいはちょっとした事件でもない限り、電話をしてくる人ではない。「サチコさんがどうかしたの?」と開口一番聞いてみた。すると、サチコさんが突然ミチコさんに電話をしてきて、「書類にハンコを押したいのにどうしてもうまく押せない」だの、「郵便局の何かの書類が見つからないからどうしよう」だのと何が何だか訳の分からないことを言ったというのだ。ミチコさんは返す言葉を無くし、立ち往生してしまった。かと言って無下に電話を切るわけにもいかない。しばらくサチコさんに付き合っていたが、突然誰かの「もしもし」と言う声が聞こえた。「ええ~!?誰だろう」と思ったら、それは一緒に暮らしている娘だった。

 娘の話ではサチコさんは最近少し認知症の症状がでている。でも日常生活はちゃんと送れているので、今のところは問題ない。病院に看護師として勤めている娘は自分の母親のことについては福祉事務所に相談に行ったりしているという。ミチコさんは「やっぱりそうなのか」という気持ちを抑えながら、娘に対して「お母さんのことよろしくお願いね」と言うしかなかった。

 驚くべきことに、サチコさんは普段は絶縁状態の弟にも電話をかけてきて、ミチコさんと同じ様なことを延々と話したというのだ。元々は仲の良い姉弟だったが、時の流れのいたずらなのか、関係が希薄になって今ではもう連絡することはなかったのに。兄の葬儀でもたいして言葉を交わさず、叔母の葬儀にはサチコさんは足が痛くて歩けないからという理由で欠席したので、二人はほとんど会っていなかった。サチコさんはてっきり過去を、親戚関係を清算したのだとばかり思っていたのに、なのに突然の電話とは、いったい何が起こったのだろう。もうあの人たちとは付き合わなくてもいいかと思っていたであろうサチコさん、なのに過去に付き合いのあった兄弟や親戚の電話番号だけはちゃんと記憶の底にあったのだ。

 普段はすっかり忘れているように見えるが、それでもいざとなったらふと頭の中に浮かび上がるものらしい。そうなったら、もう躊躇することなく電話を掛けるしかないのだ。自分の「電話をしなくちゃ」という差し迫った思いだけで、相手がどう思うかなんてことはお構いなしで突き進む。その「いざ」と言う時がサチコさんに先日訪れたらしい。案の定、いきなりの電話で、しかも訳のわからないことを言う姉にびっくり仰天した弟はすぐに車を飛ばして姉の家に駆けつけた。普段は自分さえよければいいというポリシーの弟も、さすがに自分の姉の変わり果てた態度には衝撃を受けたらしい。おそらく、その時は昔の姉弟に確かに流れていた濃密な時間が蘇ったのだろう。

 まだ去年亡くなった叔母が生きていた頃、ミチコさんはサチコさんにお正月に家に泊まりに来るように誘った。叔母とサチコさん、私の4人で一緒に楽しく過ごすためだった。それなのにサチコさんは「あなたに迷惑をかけるからやめておく」とミチコさんの申し出を断った。サチコさんは自分の娘と孫娘と3人で住んでいて、世間から見れば幸せな高齢者だ。だが、その中身が問題で、サチコさんと娘親子は断絶していた。食事も別々で、あまり会話もなかったし、見たいテレビもロクに見せてもらえなかった。

 そんな実情を聞かされた私たちはそれこそ開いた口が塞がらなかった。離れでひとり暮らしを満喫している叔母が「あんたは何をしているの?あんたの家でしょう。もっと自由に生きればいいのに。娘親子にやりたい放題やられて、あんたはそれでいいの?」と激怒した。それでもサチコさんには叔母の叱責もたいして響かない。自分の我慢を当然のことと思い、自分の犠牲で娘親子が幸せならそれでいいと考えていたからだ。どうやら離婚して家に出戻ってきた娘親子のことが心配で堪らないらしい。

 ではサチコさん自身の幸せはどうなのかと考えたミチコさんはせめて自分にできることはしてあげたいと思った。我慢だらけの日常生活で、しかも近くに友達もいないので人と話す機会もほとんどない。そんな暮らしを続けていたら、遅かれ早かれボケてしまうのは間違いない。ミチコさんの心配は現実のものとなったわけだが、滅多に連絡もないサチコさんのいきなりの電話にミチコさんの心は乱れに乱れた。思いもかけない一本の電話が平安に生きていた人の生活に波紋を投げかけ、これから先の展開が全く読めない。

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