人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

物々交換でお互いにハッピー

お裾分けで予期せぬ幸運が2,3日

 2,3日前に東北の親戚から「今年取れたお米を送るから食べて」と電話があった。実を言うと、去年は草取りをサボったのであまりいい米がとれなかったと嘆いていた。だからこそ今年は頑張ったらしい。「美味しいお米が取れました」と自信満々に語っていた。これは期待できそうだとウキウキして宅急便が来るのをひたすら待った。次の日はさすがに無理かとあきらめて、翌日に期待する。それに家の米びつがもう少しで底を突くところだったから、よけいにドキドキした。こんな絶妙なタイミングでお米をよそ様から頂けるのは滅多にないことだ。今まで感じたことがない、心から嬉しくて、ありがたいと思った。ところが宅急便は待てど暮らせど来なかった。夕方になっても来なかったので、「今日も来ないのか、どうしよう」とお米の心配をしたら、そこへインターホンのチャイムが鳴った。いつものクロネコヤマトの宅急便かと思ったら郵便局の人だった。危機一髪、もう少しで明日の朝のご飯にありつけないかとの思いが一瞬頭を掠めたが、ぎりぎりセーフ。なんとも嬉しい出来事だった。

 早速届いた段ボール箱を開けてみると、お米と一緒にりんごが入っていた。完熟のサンふじで、その匂いと味でスーパーのりんごとは一線を画していて美味だ。果肉は固めで、歯ごたえが抜群、噛むと甘酸っぱい果汁がジュワッと口の中に広がる。もちろん送ってくれるのはそんなに値段が高いものではないが、最高級品になるとひと箱10万円もするというのだから腰を抜かしてしまう。今まで食べた中で一番美味しいりんごは、メロンと錯覚するような、そんなとろけるような触感のサンふじだった。

 御近所にお裾分けする前にまずは自分で試食しようと、包丁でりんごを半分に切る。切ったりんごの断面を見て、「あれ~、蜜がない!どうして」と少しがっかりする。だが皮を剥いて八つ切りにしたりんごを食べてみると、いつも通りの味だった。蜜がある方がいいにはいいが、ただ、蜜があると腐りやすいのが欠点だ。「これなら人様にあげても大丈夫」と確信し、レジ袋に2個づつ分けていれた。自分の家の分は2個あれば十分で、何を隠そう私はりんごがあまり好きではないので、正直言って早く片付けたかった。

 まずは隣の家のチャイムを鳴らして「田舎から送って来たので、食べてください」と言うと、嬉しそうに受け取ってくれる。次の家も同様だったが、その中で対応が少し違ったのが藤井さんの家だった。ずいぶん前に旦那さんが亡くなって一人暮らしの藤井さんは80歳の高齢で、最近少し具合が悪いと噂に聞いていた。玄関に出て来た藤井さんは見た目は元気そうだったが、一日中耳鳴りが酷くて辛いと嘆いた。そのせいで町内会の役員を少し前に辞めていた。私がりんごの袋を差し出すと同時に、「今ちょうどお宅に行こうかどうか迷っていたとこなの」と言われたのでびっくりした。

 旦那さんの故郷の福岡から明太子が送られてきたので、ご近所に配っているところだった。「あなたが来てくれたので、行く手間が省けた」と言いながら、台所から明太子の入ったタッパーとアルミ箔、それにラップまで持ってきた。ふと見るとタッパーにはプリプリした、丸々と太った明太子が寝そべっていたので、思わず涎が出そうになった。おそらくこんなおいしそうな明太子を買ったら、物凄く高いだろう。昨今の物価高の折も折、こんな幸運にありつけるとはなんとついているのだろう。藤井さんはタッパーから太めの明太子を二つ取り出してアルミ箔の上に乗せてくれた。

「りんご2個と明太子ではどう見ても釣り合わないですよ」と私が指摘すると、藤井さんは、「私にとっては明太子よりもりんごの方が価値があるの」と反論した。もちろん明太子は大好きだが、年を取って辛い物が苦手になったので、りんごは大歓迎なのだ。それにちょうどお返しに知り合いに家にあるりんごをあげてしまったところだった。りんごを食べたくなったが、残念ながらりんごが家にはない、悲しい状況だった。そこへ不意に現れたのが私で、なんとりんごの入った袋を持ってきた。

 藤井さんにとって私は救世主、またとないタイミングでチャイムを鳴らしたというわけだ。一方の私は普通ではありつけていなかったであろう明太子をご馳走になった。「物々交換っていいですねえ」と私が感激して言うと、藤井さんもニッコリ頷いた。

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