人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

目指したのは物から解放される部屋

今週のお題「わたしの部屋」

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掃除が嫌い、だから物を最低限にして快適に

 考えてみると、自分が欲しいと思う部屋、理想とする部屋は人それぞれだ。私もこれまでお気に入りのグッズで部屋をいっぱいにしたら、さぞかし落ち着けるのではとやってみたこともある。だが、現実は心底満ち足りた気分はなれなかった。どうやらお金で取りそろえた物では心の隙間を埋めることはできないと気付いた。いや、むしろその程度のことで、幸せを感じることができる人が羨ましい。だが、いくら他人を羨ましがっても、自分には無理なのだからどうしようもない。一生懸命集めたグッズが溜まっていって、埃を被るのに時間はかからなかった。そうなると、掃除が苦手な自分にとってお気に入りのグッズはたちまちお荷物になった。飾っておくと、もっと汚くなるので押し入れに放り込んだ。押し入れのスペースがあるうちは良かったのだが、そのうち場所がなくなってきた。定期的にお気に入りの物たちのお世話ができない自分は物を集めるのをやめた。

 ドラマで部屋にフィギュアなどを飾っている場面をよく見る。きっとその部屋の主は、整理整頓が好きで、相当な綺麗好きなのだろう。そんな訳で私にはお気に入りの何かを集めたり、部屋に飾ったりする習慣はなくなった。だからなのか、実家に帰って、埃を被っていても気にせず美しい物を飾ってあるのを見るのが好きだ。まるで、骨董屋の一角のような風景で、なんだか楽しくなってくる。自分の部屋とはまるで正反対なので、かえって新鮮に感じてしまうのだ。自分の部屋には色がなくて殺風景だが、一方、そこは色彩豊かな雰囲気で溢れかえっているからだ。「まあ、よくこんなに集めたね、凄いね」初めて訪れた人が呆れたようにそう口にする。ただ単にモノが多くてゴチャゴチャしているのではなくて、部屋の主の個性に圧倒されるからだ。

 考えてみると、私がミニマリストを目指したのは、こまめに掃除ができないからだ。物のお世話ができない私は、だんだんと「もう、物にこだわらなくていいか」と思えて来た。私の知り合いに掃除が趣味という人がいて、彼女にとって掃除をするという行為は朝起きてトイレに行き、ご飯を作って食べたら、会社に行くのと同じくらい自然なことだった。趣味なのだから、ヨイショとやる気を出さなくても勝手に身体の方が動いてしまう。私のように、嫌々、仕方ないからやるのではなくて、身体が喜んで?やってくれるのだから素晴らしい。と言っても、実際は掃除をすると綺麗になって、達成感があるので嬉しくなる、だからますます掃除がしたくなるという好循環のなせる業なのだろう。

 一日でも掃除をしないと気持ちが悪いと言うその人の家に友達と一緒に遊びに行った。部屋の中に入ってみると、さすがに整理整頓されていて綺麗にしてあった。掃除がしやすいように物は最小限しか置いていないと想像していたが、全く違った。サイドボードの上にはガラスに入った人形があったし、花が生けてある花瓶も置いてあった。最初にお茶とお菓子を出してくれたが、彼女は私たちのいるテーブルには座ろうとはしない。どうして来ないのだろうと不思議に思っていると、雑巾のようなものを持って現れた。そして、突然拭き掃除を始めた。友人と私は面食らってしまったが彼女は気にしない。さらに驚いたのは、人形をガラスケースから出して丁寧に拭きながら、私たちの会話にちゃんと加わっていたことだった。手の動きを止めることなく、口は滑らかに動いていた。どうやら彼女にとって、このような普通の人間にとって器用に思えることは日常茶飯事なのだろう。

 私たちがいる間中、彼女は拭き掃除をやめなかった。おそらくそれは毎日のルーチンで誰にも邪魔されてはいけない、やるべきことだった。他人のために予定変更はあり得ない事項なのだ。私はこの時彼女が言う、”掃除が趣味”という言葉の本当の意味を理解した。

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