人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

辰巳渚さんの本「捨てる!技術」

お題「#新生活が捗る逸品」

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 物を捨てる心構えをこの本から学んだ

 ミニマリストの暮らす部屋が載っている本を何度も見ていたら、「こんな何もない部屋に住んだら気持ちがいいだろうなあ」と思えてきました。普段から物に囲まれ、雑然とした部屋に住んでいると、何もないすっきりとした部屋に憧れます。例えば、海外旅行に行ったときに泊るホテル、余計な物が何もないのでものすごく落ち着きます。煩わしい日常から離れて、ホッとできる空間なのです。荷物も最低限なので、何を着ようかなどと迷うこともありません。それしか着るものがないのですから悩む必要などないのです。下着も2~3枚あれば十分で、夜寝る前に洗濯しておけば、朝にはもう乾いてしまっています。下着だけでなく、ジーンズでさえパリパリに乾いているので必要最低限の服で大丈夫なのです。気が付いたら、何の不便を感じることなく、リュックサック一つで旅行できていました。

 でも実際、そんな生活を家に帰ってからも続けようとするとなかなか難しいのです。あれは旅行先だからできたことだからです。でも少しでも、快適でくつろげる空間で暮らしたいという思いは消えません。思えば、物が多いのは少ないよりはましという考え方からで、不安な心の隙間を埋めて安心したいからでした。物を捨てることは寂しい事であり、罪悪感を伴うことでした。壊れてもいない物やまだ着れる洋服を捨てるなんてことはとても痛みを伴うことであり、もったいないことでした。しかし、過去に買ったとりあえず取ってある物たちが自分の生活に影響を与え始めていることにも薄々は気づいていたのです。どこかに必ずある物を捜すのにかかる時間、いつか使うだろうと保管してあるものでいっぱいの押し入れを開ける煩わしさが自分にとっての重荷でしかなくなった時、思ってしまったのです、楽になりたいと。

 物に執着することは物に縛られ、支配されることではないかとさえ思えてきました。それに物がないと掃除が楽でいつも部屋を綺麗にしておけるというメリットがあります。昔、まだミニマリストなどと言う言葉もない頃、クロワッサンという雑誌を見ていて衝撃を受けました。そこには「いつ行ってもきれいな家」という特集記事が載っていました。そのグラビアの中で私が一番注目したのは、雑貨屋を経営している女性の自宅で、物があまりなくて、嘘のようにすっきりしていました。猫を2~3匹飼っているのに片づいているのです。「あの人、忙しいのにいつ掃除するのかしら」と知人や友人たちが不思議がるほどでした。まるで魔法使いのように素早く掃除するのではとさえ思えるのに、当のご本人は猫を抱いてにっこりとほほ笑んで余裕の表情でした。当時は謎の人としか思えませんでしたが、今ならなんとなくわかります、掃除がしやすい仕組みができていたのだと。外にだして置くものを極力なくして、短時間で簡単に掃除ができてしまうように工夫していたのです。食器なども最低限しかなくて、床には物を置かないからストレスもゼロなのです。

 さて、家に溢れる物たちを手放して自由になろうと決心した私ですが、どう捨てていいかわかりません。捨て方の基準がわからないし、何よりやる気になる「燃える心」が欲しかったのです。捨てることは悪いことだという固定概念を覆すような、何か背中を押してくれるような考え方はないのだろうかと本屋をうろうろしていました。そんな時出会ったのが辰巳渚さんの「捨てる!技術」でした。その中で目から鱗だったのが、「あなたの大事な物は他人にとってのガラクタ」という紛れもない真実を指す言葉でした。以前親戚の葬式に行ったとき、形見分けをしようと故人の遺品の数々を物色している光景を見ました。遺されたものをひとつひとつ手に取り、ああでもないこうでもないと言いながら「それはいらない、私はこれを貰うわ」などと言い合っていました。当の本人が見ていたらどう思うだろうか、と内心思いました。でも遅かれ早かれすべて捨てられてしまうのです。だから、まずは物への執着心を捨てるところから始めるべきなのです。

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