人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

トイレから出られない

今週のお題「人生最大のピンチ」

トイレの鍵が開きません、さて、どうする!?

 今回もまたトイレにまつわる人生最大のピンチで、笑うに笑えない切実な話だ。だいたいが、安心して利用していたにも関わらず、信頼をいとも簡単に裏切られて、出られないだなんてどういうこと?とツッコミを入れたくなる。こうなると、トイレに付いている鍵がどうなっているかを使用する前に確認しないではいられない。日本では普通はスライド錠が一般的なので、まず、出るときに開かないという事態はあり得ない。この点において、日本のトイレは安全安心で何も心配はいらない。実にありがたいと思える。

 だが、外国となるとカギの事情が違ってくる。私の経験から言うと、スライド錠は少なくて、金具にひっかけたり、あるいはねじ式で回すタイプが多かった。日本でもコロナ前によく行っていたカフェのトイレはねじを回してカギをかけるタイプだった。でもちゃんとドアの隙間からカギがかかるのがわかるので安心できた。だが、私が閉じ込められたトイレのカギは外からは全く様子が分からなかった。もちろん、大丈夫だろうと信頼して利用していたので、まさか出られなくなるなんて、夢にも思わなかった。今で思う、もしあの時友だちがいなくて、自分ひとりだったら、どうなっていただろうかと。

 もう何年も前に、友だちと二人でウィーンに旅行に行った。目的はシェーンブルン宮殿を見学することだったが、ついでにモーツアルト生誕の地であるザルツブルグに行こうとした。ところがよくよく調べてみると、かの地のホテル代が天文学的に高いことに恐れをなした私たちは方向を変えることにした。ウィーンから行ける場所でホテル代が安いところならどこでもよかった。そんなロクでもない理由で行ったのが、クロアチアザグレブで、そこからバスに乗って着いたのがアドリア海沿岸にある小さな港町だった。なぜそこを選んだのかと言うと、ガイドブックに「金貨がザクザクあるのが見れる」と書いてあったからでワクワクした。まばゆく光る金貨が大量に展示されていたのは小さな博物館で、一瞬にして古代に居るかのように錯覚してしまうような歴史地区の一角にひっそりとあった。

 通りに観光客は居るにはいるが、誰もそこに入ろうとはしない。そこが博物館だという立て看板だけはあったので、私たちは簡単にお目当ての場所を捜すことができた。玄関を入るとひとは誰も居ない。私たちが躊躇していると、すぐに係員の女性が現れて、館内を案内してくれた。ある展示室の前まで来た時、その人はポケットからカギを取り出してドアを開けた。中に入ると、そこには今まで見たこともないような量の金貨がガラスケースの中に展示されていた。いや、「展示」というよりも無造作にざっくりと置かれていたという表現の方がふさわしい。思えば、私の知っている金貨は展示台の中に一枚一枚、行儀よく並べられているものでしかなかった。これほどの枚数の金貨を目の前にして、わあっ!とも、すごい!とも賞賛の言葉が出てこない。それほどの衝撃を受けて呆然とするしかなかったのだ。

 せっかくの貴重な体験をしたのに、事件はその後起きた。金貨をまじかに見れた興奮が収まったので、トイレに行って帰ろうとした。普通なら何事もなくトイレから出て来られるに決まっている。だが不幸なことにそうはならなかった。そのトイレのカギはネジ式で回すタイプで、また元に戻せばドアは開くはずだった。だが、いくら動かそうとしてもビクともしなかった。隣のトイレに入って出て来た友だちが「ねえ、どうしたの?」と声をかけた。いつまでたっても出てこない私を心配したのだろう。悪戦苦闘中の私が「ねじが回らなくて出られない」と言うと絶句した。

 ただでさえ入場者が少ないのだから、トイレには誰も来なかった。だが、何もしなければ、確実にここで夜明かしすることになる。私は友だちに誰か助けを呼んできてくれるように頼んだ。すると、そこに幸運なことに家族連れの4人組が現れた。父親らしき男性にトイレから出られなくなったと話すと、驚くべきことに彼はすぐにドアを開けてくれた。不思議に思って「どうやって開けたのですか?」と尋ねると、彼はポケットからコインを取り出した。ドアをよく見ると、鍵の丸い部分に縦にくぼみがあるので、そこの溝にコインを入れて回して開けたのだ。なるほど、でもなかなかとっさには思いつかないから、すごい!と感心した。幸運なことにまたもや救世主の出現によってピンチを脱出した。

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