人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

町で遭遇した気になる風景

今週のお題「575」

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マスク越し 井戸端会議 花盛り

 最近、いいえ、もうずうっと前から気になっていることがあるのです。それはいつも買い物に行くときに通る公園でのことです。小さな公園なのですが、他のところにはない滑り台があって子供たちに人気がありました。それでもコロナが流行ってからはめったに子供は遊んでいませんでした。ところが今年に入ってから公園が親子連れで賑わうようになったのです。よく見ると、子供たちは近くにある幼稚園の制服を着ていて、その傍らで母親たちは立ち話をしています。どうやら幼稚園に子供を迎えに行った帰りに子供を公園で遊ばせているのでした。普通なら子供は誰かと遊ぶ約束をして、それぞれの家に行くはずです。家に帰らずに公園に立ち寄るなんてことは考えもしないはずです。おそらく今は誰かの家で遊ぶことはできないので、屋外なら大丈夫という考えから公園で遊ばせているのです。

 でも第三者から見れば、密になっていることは間違いありません。特に気になるのは子供よりも母親たちの行動です。現実を忘れたかのようにくっついて喋りあう、マスク越しなら喋っても大丈夫と錯覚しているみたいです。マスクは絶対でも最強でもないのに。さらに、公園の桜が咲き誇る季節には、シートを敷いて堂々と花見をしていました。「あれ~?町会の花見は中止のはずだけど」と道行く誰もが思ったはずです。だんだんと母親たちの行動がエスカレートしていきました。そこで、一句、詠みます。マスク越し 井戸端会議 花盛り

 コロナ禍にあっては、もはや「井戸端会議」という言葉は死語になりつつあると思っていました。でも現実はさすがに母は強しでちゃんと存在していたのです。それともう一つ絶滅の危機にあるのが、「立ち話」という言葉です。先日久しぶりに他人の立ち話を盗み聞きしてしまいました。その日私はスーパーでレジの順番を待っていました。そしたら、私のすぐ後ろにいる人のところにひとりの中年の女性が近づいてきたのです。その人は「今でもあそこに行ってる?」と話しかけました。どうやら何か趣味の集まりのとを言っているのです。相手が「コロナだからもう行っていない」と答えると、「そうだよね。それが普通だよね」と納得したようでした。でもその後すぐに、「あの人は今でもやってるよね、本当はダメなのにね」と不平不満を口にしたのです。つまり、自分たちはやりたくても我慢しているのに、そんなことを気にせずに自由にしている人が許せなくもあり、また少しは羨ましい気持ちもあるのです。その人は「ずるいよね」とため息をついてその場を立ち去りました。久しぶりに人の本音を聞いた気がしました。近頃ではスーパーのアナウンスで、人との距離に気を付けるのはもちろん、お客様同士の会話はご遠慮くださいと親切に教えてくれます。だから会話をする人は皆無です。他人がいったい何を考えているのかわかりづらいのです。玉ねぎやじゃがいもが高くなっても、「どうしてこんなに高いの?」と愚痴る人さえいなくなったのですから。

 私の住んでいる地域には私立の中学・高校があるのですが、コロナ前は下校時間になると校門前は学生の人だかりができていました。どうしてすぐに家に帰らないのか知る由もないのですが、彼らは友達同士でおしゃべりに花を咲かせていました。隣がディスカウントショップなので、コンビニよりも飲み物や食べ物が安く手に入ります。だからか、皆買い食いをして放課後を楽しんでいるのでした。でも、コロナ禍になってもたいして彼らに変化はないのです。ただ、隣の店が閉店して、フィットネスクラブに変わりました。それで、ペットボトルの飲み物を飲んだり、アイスを食べる学生は居なくなりました。ですが、友だちとのコミュニケーションは依然として続いていて、校門の前はたまり場になっています。

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