人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

列車からの神様の贈り物

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列車から投げられたのは赤ん坊?

 あれはコロナ禍で自粛期間が終わって、久しぶりに大型書店に行った時のことでした。2階の海外文学のコーナーに立ち寄ったら、「列車から投げられたのはまさかの赤ん坊?!」という文字が目に飛び込んできました。気になってその本を手に取ったら「列車がくれた贈り物」というタイトルでした。どうやら贈り物と言うのは赤ん坊のことらしいのです。でも、それだけじゃあ、一体全体どういうことなのか、さっぱり訳が分からない。その謎を解き明かそうと無我夢中で一気に読んでしまいました。心が洗われるような感涙必至の物語でした。 ですが、初めに作者が断っているように、この物語は残念ながら事実ではないと言うことです。しかしながら、この奇跡のような話が本当であってくれたらどんなにいいかという思いを込めて書いたそうです。物語の舞台はポーランドで、ナチスによってユダヤ人が収容所に送られていた時代が背景にあります。

 ある森の中に貧しい木こりの老夫婦が住んでいたのです。食べる物にも、着る物にも不自由する暮らしをしているのに、それなのにその妻は赤ん坊が欲しくてたまらないのです。来る日も来る日も神様に赤ん坊を授かりますようにとお願いをしていたのです。当然自分にはもう子供はできないと承知しているのですが、諦められないのです。ところが、ある日木こりの妻の願いが叶う日がやって来たのです。

赤ん坊が希望の光に

 その日妻は偶然に草原の中を歩いていました。ふと見ると線路を列車がこちらに向かって走ってきます。風の音でよく聞こえませんが、誰かが何かを叫んでいるようです。「これから投げるから受け取ってくれ」と彼女の耳にはそう聞こえたのです。急にそんなことを言われて、彼女は慌てふためきました。突然のことで、うまく受け取れませんでしたが、草のベットの上に落ちたものを見たらアッと息を呑みました。毛布にくるまれていたのは、彼女が思い焦がれた赤ん坊だったのです。

 赤ん坊を自分の家に連れかえってはみたものの、夫には反対され、何も与える物がありません。それで、宝物のような子供のために、恐ろしい化け物が住む森にも躊躇することなく足を踏み入れます。そこに行けばヤギのミルクを分けてもらえるとわかっていたからです。他人の善意を当てにして、また、それに助けられて子供がすくすくと成長するところがそこだけ天国のようです。老妻の夫の木こりも命がけで赤ん坊を守ってくれました。連れ戻しに来た軍人と争って命を落としてしまうのです。

 それにしても、なぜ老妻は赤ん坊を熱望し、手に入れたら宝物のように大事にするのか。きっと彼女にとっては「生きる上での希望の光」だったと言っても過言ではないと思うのです。だって何もなくて自分のことだけでも精一杯なのに、手のかかる赤ん坊を喜んで連れてくる人ですから。自分のことより赤ん坊優先なのです。そんな奇特な人がいること自体が有難いと言えるのです。

赤ん坊を列車から捨てたわけは

 その列車が最後に停まる駅の近くには、悪名高い収容所があるのです。乗せられている人達がほぼ全員生きては帰れないと言われています。だから、双子のうちのひとりだけでも助けようと、父親は衝動に駆られて赤ん坊を投げてしまったのです。運命なのしょうか、通りかかった木こりの妻をめがけ、祈るような気持ちで。もちろん、父親は「なんてことをしてしまったのだ、自分の子を捨てるなんて!」と後悔しました。しかし、その後奇跡的に親子が会える場面がちゃんと用意されているのです。これってまさに神様のなせる業のようで、人間愛に満ちた感動的な物語でした。