人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

転勤族って大変なんです

いろんな所に行けて羨ましい、されど・・・

 昨日のTBSラジオ『宮藤さんに言ってもしようがないんですけど』のテーマは転勤族の娘の愚痴だった。今回は宮藤さんがリスナーの人ふたりと電話で繋がって、傍目からは見えにくい事情を聞きだしていて、とても面白かった。まず最初の人はこれまでに7回も引越しをして、初めての引っ越しは小学校の3年生の時だった。その時は仲の良い友達とサヨナラするのが嫌だったが、そのうち慣れてきて、どうせここには長くいないのだから・・・としか思わない。新しい学校に行くと、クラスの中の力関係や自分はどのグループに属したらうまくやっていけるかを察知するのが習慣になる。常に自分の中にあるアンテナを外に向けて張り巡らして、空気を読む人になっていった。

 学校には給食というものがあるが、あれは地域によってさまざまで、トマトが丸ごとお盆にゴロンと乗せられていたことがあった。これはどうやって食べるのか、戸惑い悩んだが、こっそりと辺りを覗った。すると、皆が丸ごとかじりついて食べていたので、変な奴と思われたら大変と、自分も同じように真似をした。なるべくなら目立たないように、異質な奴だと目を付けられないようにするのが、転校生の生きる道だと学んだ。

 宮藤さんに転勤族の娘でよかったことってありますかと聞かれると、コミュニケーション能力があることですと即答していた。なるほど、行く場所行く場所で、皆に溶け込み、うまくやっていかなければならないとなると自然と身に着く、というか、本人の努力あってのことなのだろう。私の転校生に対するイメージは、誰とでも話せてクラスの人気者で頭もよくて運動神経もいい人だ。子供の頃実際にそんな子がいて、親が銀行員だから、転勤が多いらしく一年もしないうちにあっという間にいなくなった。先生はあの子ならきっとどこにいってもやっていけるから大丈夫と太鼓判を押していた。

 ただ、想像力がなく、たりんずの頭の弱い私には、それが将来大人になって役に立つ能力なのだとは思いもしなかった。彼らは小さいうちから、自分の家はそういう家なのだからと諦めて、与えられた環境に順応しようと奮闘していたのだ。そうとも知らず、転勤なんてありえない家の子の私は、その子たちの様子をぼうっと眺めていたにすぎない。

 ふたり目の人は国内外合わせて、何と11回の引っ越しを経験した転勤族の娘だった。最初はマレーシアで日本人学校だったからよかったが、その後行ったアメリカでは日本人が誰も居ない学校に放り込まれた。父親が航空関係の仕事なので、転勤が多いのは仕方ないが、英語が全く喋れないのでほぼ1年余り無言で過ごした。日本人はおろか、外国人さえ見たことのない生徒たち。大人とは違って彼らは自分たちの言葉を話せない子供を受け入れてはくれなかったからだ。そんな彼女は、「もはや自分の地元がどこなのかさっぱり分からないんです」と告白し、「私には幼馴染という存在はいません」と宮藤さんに言う。

 以前にもこの類のことを聞いたことがあった。親の仕事で世界のあちこちに住む経験をしてきた人が「僕はアイデンティティーが無い、根無し草のような存在なんです」と語っていた。でも、彼のような人は私から見れば、立派な国際人で、相当に羨ましい存在なのだが。

 以前私が出会った転勤族は銀行の社宅に住んでいる人だった。たしか日本銀行だったと思うが、広い敷地にある4LDKの家で、よく遊びに行っていた。3~4年に一回は転勤があるから、もうそろそろと思っていたら、辞令が出た。今度は四国の高松で、社宅ではなく、一軒家らしい。それを聞いた彼女はため息をついた。どうしたのと尋ねると、「一軒家だと、接待があるのよ」と嫌そうな顔をした。つまり、会社の上司を家で?もてなさなくてはならないそうで、今どきそんなことがあるのかと仰天した記憶がある。最初は一軒家と聞いて、すごい!と思ったが、そんな面倒な付録付きかとがっかりした。大変だねえと彼女を慰めはしたものの、きっとうまくやるに違いないと「手紙書くからねえ」と励ました。そんな思い出があった。

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