人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

旅情を誘うパンフレットやチケット

今週のお題「わたしのコレクション」

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何でも取って置きたくなったあの頃が懐かしい

 もう今では手が届かなくなった気がする海外旅行だが、当たり前のように行けていたあの頃が懐かしい。特に初めての海外旅行は見る物聞くものすべてが物珍しくて、激しく心を揺さぶられた。初めてということで、念入りに準備したはずなのに、当てが外れて途方に暮れることもあった。それらすべてが大事な宝物のような経験なのだが、その詳細はどうしても思い出せない。あの時どう感じたのか、どうすべきだったのかについては記憶が全くない。どうやら当時の私は旅の思い出を写真を撮ったりして、後から味わうことなど考えていなかったらしいのだ。それよりもその時の瞬間を大事にし、「今を楽しむ」ことに没頭していた。せっかく海外に行ったのに一枚も写真を撮らなかったと友人に話すと、「もったいない」だの「信じられない」だのと驚かれた。こちらは人に見せびらかすために、自慢するために写真が必要だなんて思わない。だから、現地に行くと必ず絵葉書を買って、知人や友人に手紙を出したり、お土産にしたりしていた。

 写真を撮ることに夢中になって、今そこにある感動を味わうのを疎かにする。そんなことばかりしていてはあまりにももったいない。後からゆっくりとじわじわと押し寄せる感動を味わうなんて、本当にそれでいいのだろうか。誰かが書いていた、運動会での親の目的はビデオを撮ることで、我が子の晴れ姿を見守ることではないのだと。今目の前にいる我が子もカメラやビデオを通して見ているのだから、自然と気持ちの入り方が違ってくる。感情よりもまずはいかにうまく撮るかに意識が集中してしまうのが普通の人間だ。

 写真を撮らない主義の私は、旅行で使った鉄道のチケットや美術館のパンフレットを捨てずに取って置いた。旅行の計画を立てる時は、必ず大学ノートよりも小さ目なノートに書きこむようにした。目的地や行き方の必要な情報は旅行のガイドブックから切り取って貼りつけて、本自体は持って行かないようにした。このノート一冊持っていれば安心して旅立てた。旅行中もいつもこのノートと一緒だったが、旅を続けるうちにその日に訪れた美術館や寺院のパンフレットやチケットが溜まっていった。このままだとゴミになってしまいそうなので、ノートに張り付けることにした。不思議なもので、後から眺めてみると、いつしか当時のことが頭の中に蘇ってくる。

 まだ鉄道のチケットがインターネットで買えなくて、窓口に並んでやっとこさ手に入る時代があった。慣れない外国語で書かれたチケットはまるでチンプンカンプンだった。列車の出発地や行き先、日にち、発車時間、座席は何号車の何番なのか、確認するのに最初は一苦労だった。それで、使い終わるとノートに貼って、後からでもわかるようにメモをしておいた。こうしておけば、次に買う時に以前よりは困ることはないはずだ。何でもかんでも役に立つ、ではなくて思い出になるからと取って置いた。集めたくて集めたわけでもなく、気が付いたらいつの間にパンフレットやチケットの山に囲まれていた。

 人間というのは気分屋でどうしようもなく自分勝手なものだ、特に私に関しては。最初はあくまでも唯一無二の物だった。それなのに物が増えてくると、それは一瞬にして輝きを失ってどうでもいいものになった。あんなに思い入れがあったパンフレットやチケットにももう心は動かされはしない。物に対して気持ちがなくなったら、一転して邪魔なものになりさがり、自分の目の前から早く消したくなった。私は物を取って置くことにこだわらなくなり、外国のホテルから出る前にすべて処分するようにした。かつては日本に帰ってから、旅情に浸りながら処分していた行為を旅先で済ませた。だから日本に帰ってからすぐに日常生活に戻れるようになった。これって、今の言葉で言うと、リセットするっていうのだろうか。

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