人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

招かれざる客

突然のフェイントに戸惑うも、すぐに切り替えて対応

 昨日久しぶりに親友と会ったが、彼女は何だか元気がなかった。気になって理由を聞いてみると、実家に一人で住んでいる義理のお姉さんに”カウンター”を食らったらしい。彼女のお兄さんは5年前に亡くなったのだが、それ以来毎年お正月は実家に泊まりに行っていた。先日も年末年始のことを相談しようと電話を掛けた。いつものように「いつから来るの?」と言われるとばかり思っていた。ところが、お姉さんの反応は「年末はいないの」だったので、彼女は何のことだかわからなくて「ええっ?ええっ?」と言うだけで言葉が出なかった。するとお姉さんは「うちにお正月はないの」だなんて、またもや意味不明なことを言いだした。

 一体全体何が起こったのか。彼女は不意の出来事に衝撃を受けてしまったが、すぐに切り替えて「お姉さんが元気で頭がおかしくならない限り、私はそっちに行くからね」と反論した。それなのに相手は「頭がおかしくなったの!」と冗談めいた口調で返してきた。これはタダの冗談なのか、あるいは本当に義姉が認知症になってしまったのかと恐ろしくなった。だが、すぐにいつもの義姉に戻って一安心し、食べ物の話題になった。おせちは食べるのかとか、何が食べたいかとの話で盛り上がった。年末の30日にそちらに行って、1月の5日に帰ると伝え、話の最中に誰かが尋ねて来たというので、そのタイミングで電話を切った。

 電話を切った時点では彼女は実家に行く気満々だった。年末年始に夫と二人で家で過ごすことに耐え切れなかったからで、実家に行かないという選択肢はなかった。あちらに行けば、据え膳上げ膳でなんでも義姉がやってくれてラクができるからだった。行きたい理由は一番がそれで、二番は義姉と楽しくおしゃべりができること、それに犬や猫がいて彼らが可愛くて会いたいからだ。今年も当然そうなるはずだったのだが、だんだんと嫌な気持ちになってきた。つまり、義姉が頭がおかしくないとしても、自分が泊まりに来るのをあまり快く思っていないのではないかという疑念が湧いてきたのだ。

 家に人が来るのを喜んでいるのなら、あんな言葉は冗談だとしても口からでないのではないか。実は以前義姉に「ええ~!?来るの?来なくてもいいのに」とお盆の時に言われたことがあった。その時はその言葉の意味を深く考えてみたことなどなくて、ただひたすら、自分の気持ちを押し通した形で実家に行っていた。我儘を言って昔のように甘えていたのだ。だから、ひとりで自由に暮らしている家に、他人が泊まりに来るのを拒む気持ちは理解できる。自分の生活のペースを乱されるのが嫌なのだろう。こちらからしたら、何も一年に一度や二度のことなのだから、受け入れてくれればいいのに、あるいは、いつもひとりなのだからたまには賑やかなのがいいのになどと言う勝手な思い込みは通用しない。

 それに義姉はランチに一緒に行く友だちに困らない社交的な性格だ。一番仲良しの人は趣味も食べ物の好みも、物事に対する感じ方もピッタリなのだと聞いたことがある。義姉は正直な人で、でも頼まれれば嫌とは言えない性格でもあるので、仕方なく面倒見てくれているのかもしれないとは薄々は感じていた。今まではぐらかして、直視しようとしなかった真実を思い知らされた、今回はそんな状況だった。

 またいつものように知らんぷりをして実家に行けばよかったのだが、今度は自分の気持ちが楽しくないとNOと言う。とてもこんな気持ちでは着替えを詰めた宅配便を送り、予約した列車に乗るために駅に行くことは不可能に思えた。だいたいが身体が動きたくないと拒絶反応まで出していた。ネットで行きの電車の事前予約までしたのに、以前として心は沈んだまま、こうなると、義姉に断りの連絡を入れなければならない。

 さて、どんな理由なら、本心を相手に悟られることなく、自分も傷つかずに済ませられるだろうか。ふといいアイデアを思い付いた。外国に行っている長女が3年ぶりに帰国するとの理由なら、相手も納得するだろう。そんな事実は全くないが嘘も方便で、人と揉めないためには役に立つ。電話での態度を指摘し、腹を立てて、相手を咎めることもできるが、それでは双方とも嫌な気持ちになるだけだ。彼女は争うことは望まない人だ。それで、スマホで「お正月のことだけど、娘が来ると連絡があったので、行けなくなった。ごめん」とメールを送った。すると夕方になって電話が鳴った。義姉の声は「寂しいけど、娘が来るなら仕方ないね」との言葉とは裏腹に楽しそうに高ぶっていた。それを「断ってくれて、ありがとう」と彼女は受け取った。

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