人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

静脈瘤のない足

今週のお題「自分に贈りたいもの」

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長年付き合ってきたが、スカートはさすがに無理

 今週のお題が「自分に贈りたいもの」だと知って、みなさんはどんなものをお望みなのかとふと興味が湧いた。それで久しぶりに記事の欄を見てみたら、そこで見つけたのは「○○な脊髄」?そうか、贈りたいものが物とは限らない、身体に関するものでもいいんだ、と気が付いた。それで、長年のコンプレックスとなっている、両足に絡みついている、厄介な奴、つまり、静脈瘤について書こうと思う。時々、テレビや新聞で話題になるが、あれは関係ない人には「ふ~ん」で済ませられる症状だが、腐れ縁のように付き合っている当事者には深刻な問題だ。

 こんなふうに書くと、私が静脈瘤で長年悩んでいるように誤解されるかもしれない。でも正直に言うと、昔はどうにかならないかと手術をしようとしたこともあるが、今はもう「どうでもいいかぁ」状態だ。専門家がストッキングをはくといいだの、痛みを伴ったりして、生活に支障が出る場合は手術をとアドバイスする。実際私の友だちは静脈瘤の痛みで歩けなくなって、血管2本を取る手術をした。手術は下半身麻酔だったので、医師二人の会話がリアルに聞こえた。その会話が全く関係のない日常のたわいもないことだったので、「おい、俺の手術大丈夫か!?と」と心配になったそうだ。術後に自分の足から取り除いた血管2本を見せられて、なんだかとても不思議な気持ちになった。なぜならそれらはただの薄いベージュ色をした細いゴム管にしか見えなかったからだ。「こんなものが身体の中に!」と戸惑い、言われなければ、なんだか柔らかそうな、薄いゴム管だなぁの認識で終わってしまう。

 一般的には、静脈瘤は立ち仕事の人や中高年の人に多いと言われるが、私の場合は高校生の時からだった。中学生の時まではその兆候はなかった。なぜそんな若い頃からなのか、考えてみると、思い当たることがないので、遺伝としか言いようがない。それでもまだ症状としては”かわいい”もので、ストッキングをはけば見た目には何の問題もなかった。ところが、年を取るにつれて、症状がひどくなって、デコボコのある瘤みたいなものができて、たちまち”ムカつく奴”でしかなくなった。足の持ち主の私までもが自分の足を正視できない状態になり果てた。まるで自分の子供にとことん嫌気がさして知らんぷりを決め込む親みたいなものだった。

 静脈瘤は私にとってはどうしようもない奴で、考えたくもない”病気”でしかなかった。実際の日常生活において、見た目を気にしなければ、何の支障もなかった。ところがいつからか、だんだんと痛みが出てくると、歩くのが嫌になってきた。ふくらはぎをマッサージしてみたが、何の効果もない。きっと血液の循環が悪くなっているからだと思った私は、歩くことにした。痛いからと安静にしているのは逆効果なのではと考えた。思えば、あれが私がウォーキングを始めるきっかけになった。最初は痛い足で無理矢理歩いていたが、慣れると信じられないことに足の痛みが消えることに気が付いた。静脈瘤が腫れて痛むのを防ぐためには、身体を動かすことが有効なのだと実感したわけだ。

 なぜ、手術をして綺麗な足、と言うか普通の足になろうと思わなかったのだろう。それはたぶん、噂に聞く手術というものを「痛い」とか「怖い」とかで敬遠し、また「あれはたいして効果がない」との残念な声も少なからず影響していた。最大の理由は自分の足の静脈瘤のレベルが並みではなかったからだ。本当のことを言うと、医者に診せるのが恥ずかしかった。あんな酷い状態を何とか出来るものなのかと考えただけで気が遠くなった。以前静脈瘤とは全く縁のない知人に、「静脈瘤ってどんなふうになっているの?見せてくれない?」と言われたことがあった。知人に悪気がないことはわかってはいるが、まさか無邪気な疑問に素直に答えるつもりなどなかった。それはイラつくという感情よりはあんなひどいものを見て不快な気分にさせてしまうのが嫌だった。関係のない人には知らなくていいことだと思ったからだ。

mikonacolon