人生は旅

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むらまつり

今週のお題「秋の歌」

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タラゴナにある地中海を望む円形闘技場NHKまいにちスペイン語テキストから。

子供がお祭りが楽しいのには理由があって

 秋の風物詩といえば、なんといってもお祭りで秋祭りです。でもこのところお祭りのお囃子を聞いたことがありません。それで、思いだしたのは、子供の頃よく歌っていた「むらまつり」です。「村の鎮守の神様の 今日はめでたい お祭り日 ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる 笛太鼓」で、何とも親しみやすい曲で、すぐに覚えてしまいました。子供の頃住んでいた村のお祭りは、まさにこの歌のとおりで朝からなんだかウキウキしていました。きっと土曜日だったのでしょう、朝学校に行くときにはもうお祭りで着る法被が出してありました。半ドンで学校から帰って来たら、ご飯を食べてすぐにお宮さん(村の神社)に行けるように準備してあったのです。

 法被を着て、頭に鉢巻を巻き、肩から鈴のついたタスキをかければ出来上がりです。家を飛び出して、幼馴染の子と一緒にスキップして村の外れにある神社まで行きました。どうしてこんなにもお祭りが楽しいのか、それは村中の家を回って、玄関先で「わっしょい、わっしょい」と連呼して騒げば、お金が貰えるからです。面白いことに、家によって対応の仕方が違っています。子供たちの気配を感じたのか、すぐに玄関の戸を開けて人が出て来る家があるかと思えば、なかなか出てきてくれなくて、子供がしびれを切らしてしまうこともありました。普通の家はいくらか小銭を子供が持っている提灯みたいな籠に入れてくれます。でも商売をやっていて儲かっているような家の人はなんと1万円札を入れてくれることもありました。すると子供たちは一斉にワアッと歓声を上げて喜びました。たしかその家では宴会をやっていて、「お祭りだから、まあいいか」とお酒の勢いもあって大金を出してしまったのでしょう。「あそこに行けばまた1万円札が貰えるかもしれない」などと味を占めた子供たちがまたもやその家に行ったら「また来たのか」と苦笑いされたこともありました。

 おそらく村を3周くらいして暗くなって「今日はこのくらいでお終い!」となったら、また神社に戻ります。そして、すぐに集めたお金を数えて、皆で平等に分けるのです。あの頃で2千円くらい貰えたでしょうか、子供にとっては大金でした。でもそんな大金をその日だけは親にとやかく言われることなく使うことができるのです。子供にとっては願ってもない、夢のような自由が与えられるのですから、天にも上ったような気分でした。しかもそのお金は自分たちで村中を回ってかき集めたお金なのですから、自分で稼いだようなものです。親から貰うお金とは意味合いが違って、自分のお金ですから、それを使うことは二重に嬉しいのです。

 その誰からもとやかく言われる筋合いのない、自由に使えるお金を握りしめて、子供たちが真っ先に向かう先は村の公民館でした。いつもひっそりと静まり返っている場所なのに、この時期だけは嘘のように賑やかになりました。毎年お祭りの時期になると、公民館の前あたりに夜店がでて、子供の好きそうな店がずらりと並ぶのでした。綿あめやたこ焼き、ミニカステラなど美味しそうな匂いが子供を「おいで、おいで」と誘っていました。でも子供たちの関心はどちらかと言うと、食べ物よりおもちゃでした。男の子は何やら振ると光って音を出す面白そうなおもちゃ、女の子はお人形のセットや首飾りや腕輪などを夢中になって見ていました。目の前に沢山あるキラキラしている宝物を前にして、選ぶのにどれにしていいかわからないから迷ってしまいます、でも決められずに困ってしまうのも含めて買い物は楽しかったのです。きっと好きな物を買えるお金を持っていること自体が自由で嬉しかったのです。

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