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和光小学校の自ら考えさせる教育

お題「#この1年の変化

 

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教科書を使わない和光小学校とは

 去年の12月3日の朝日新聞の夕刊に『あこがれの空の下~教科書のない学校の1年~』というドキュメンタリー映画の記事が載っていました。東京の世田谷区にある私立の和光小学校を取材して、教科書を全く使わない授業の秘密を明かにしてゆく企画です。この小学校は教育界においては「化石のようだ」と言われています。私は最初その意味がわからなくて、”化石”をネットで調べてみたら、古臭い、時代に合っていない、とありました。どう見ても誉め言葉ではなさそうです。最新のプログラミング教育や世界に通用する英語教育に力をいれている学校からしたら、和光小学校のやり方は「もうそんな教育は今の時代に通用しないよ」と揶揄したいのもわかります。でも本当にそうなのでしょうか。彼らの指摘はコロナの時代にふさわしい教育の本質を捉えているのでしょうか。

 実は私も内心、教科書を使わなくて本当に大丈夫なのだろうかと疑問でした。いくら生徒に自ら考えさせる授業と言われても、私の貧しい想像力ではいったいどんな方法なのか、皆目見当もつきませんでした。ヒントになるのは、担任の先生が強調している「多様な考え方を『言ってもいいんだ』と授業の中で保証することが大事」という記述ぐらいでした。それと、自主的に話せるようになるために1年生の朝ははっぴょうで始まるということです。記事を読んだ時は「見に行きたいなあ」と思ったものの、映画館が遠すぎて無理でした。学校の秘密を知りたくてたまらないのですが、ひとまず頭の中からその思いを追い払うことにしました。

円を細かく切り取って貼ると、四角形になる

 その後は忘れていたのですが、昨日の夜偶然に記事の切り抜きを見つけたのです。そしたら急に見たくなってネットで検索していたら、和光小学校の学校案内のサイトを見つけました。この学校のホームページは他のところと違ってブログ形式になっていて、授業でどんなことをしているのか載っているので、とても楽しく、また目から鱗の実態を知ることができます。私が衝撃を受けたのは6年生の算数の授業でした。円の面積の求め方を捜すのですが、この「探す」という過程の作業を普通の学校では省略します。そんなことを考えなくてもいいから、とにかく公式を覚えるのが大切と教わるのです。なぜなら、問題を解くためにはその公式が不可欠だからです。どうしてその公式ができたのか納得しないままでやらされていたのです、そんなことを考えるのは無駄だと言わんばかりに。

 でも和光小学校の授業は他とは一線を画しています。円を描いたプリントを切ったり、折ったり、線を引いたりして、どうしたらいいのかみんなで一生懸命考えます。描かれた円には線が引かれてあり、色分けされた無数の扇型ができています。そこで、生徒のひとりが「ピザみたいに切って、交互に並べたら四角形ができるかもしれない」と素晴らしい発想力を発揮してくれました。実際やってみたら、なるほど平行四辺形みたいな形になりました。細かい紙片を貼り合わせるのは時間がかかる作業なので大変です。でも、そのおかげで円の面積は「底辺✖高さ」で求められることがわかりました。この平行四辺形の高さは円の半径、底辺は円周の半分です。つまり円の面積は半径✖円周✖2分の1だとわかりました。

 普通ならここまでぐらいで終わると思うのですが、さらに円周まで確かめようとするのです!「そこまでやるか!」なのです。色々な直径の円をボール紙で作って紙の上で転がして円周の長さを調べました。すると、どの大きさの円でも円周は直径の3倍ちょっとだということを発見したのです。つまり、私たちが何のことかわからなくても覚えさせられた、3.14という数字が出て来るのです。このように時間と手間をかけて、生徒たちはまさに身体で覚えると言ってもいい方法で、自ら考える力を自然と身につけていくようです。

 最後に、私が一番知りたかったことは、子供たちはどんな大人になるのだろうかと言うことでした。そのことについては母校についての映画を見た卒業生からの手紙で知ることができました。彼は和光に居るときは、その環境が普通のことだと思っていたのに、大学や社会に出てから違うのだとはっきりわかった。遠く離れたアフリカのことも他人事とは思えなくて、気が付くとボランティアに駆けつけてしまう。沖縄と同じ立場にあるハワイに関心があって、今も学び続けている。ただ、仕事で上から命令されても、自分が納得しないと動けないところがある。管理する側としたら、自分のような人間は扱いづらいだろうなあとも感じたこともある。でも最近はこれからの時代はそれが武器になるのだと考えるようになったとか。どう見ても彼は、今のどうしようもない世の中に悲観して諦めてしまう人間ではないことがわかる。自ら考えて行動する習慣が身についているおかげで希望を失わないでいられるのだと思うのです。

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