人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ホワイトシチュー

家でも食べられた、でも給食のは特別

 給食のシチューはなぜあんなに美味しいのか、子供心に不思議に思っていた。当時の私の頭の中にあったのは、シチューと言えば、白いホワイトシチューだった。大人になって、茶色いビーフシチューと言うものがあることを知って仰天した。家で母が作るのはハウスの箱に入った顆粒の粉を入れて作るもので、また食べたいと思うほど美味しい物ではなかった。だが、給食の時に出るホワイトシチューは違った。家の味とは一線を画していて、じゃがいもはホクホクしている。人参だって本当は嫌いで、取り除いて食べたいのが本音なのだが、いつの間にホワイトソースと一緒に口に入れていた。どこにでもある、ありきたりのじゃがいもや人参が給食室の釜の圧倒的な熱量によって、柔らくて信じられないほど美味しく変身した結果だ。

 肉はどうだったのだろうか。私の嫌いな脂身がいっぱいついている豚肉ではなくて、たぶんとり肉だったのか。今となっては知る由もないが、とにかく残さず食べられたことは間違いない。あれはカレーと同様に子供に野菜を食べさせるのには実に都合がいい料理だ。私の隣の席の子はシチューのソースが美味しいので、食パンの耳をソースに付けて食べていた。その子の食器はたちまちピカピカになった。今でいうSDG’s みたいな話だ。「すごい!綺麗に食べたね!」と褒めたものの、その子の真似をする気にはならなかった。シチューとパンが合うとは夢にも思わなかったからだ。二つの味が混ざり合うのを想像したら、なんだか気持ち悪くなった。無味乾燥な味しかしない食パンを、美味しいシチューにつけて食べるだなんてことは論外だった。

 でも、今から思うと、食パンはホワイトソースの力を借りて、別のものに変身したかもしれないのだ。と言うのも、大人になってある発見をしたからだ。身も心も凍えるような寒い日にエビバーガーで有名なロッテリアに行ったら、ホワイトシチューパンの看板が出ていた。フランスパンのような生地の丸いパンの中に、なんとシチューが入っていた。シチューとパンの組み合わせをミスマッチだと勝手に決めつけた。だが、何事も経験だと割り切って、試してみたら、パンとシチューは相性がいいことに気が付いた。ファストフード店でアツアツのシチューが食べられるなんて、青天の霹靂だ。あのメニューを考えた人は普通の人とは違った視点で物事を見ていて、いつも何か面白いことはないかと探している気がする。

 私の食べ方はやはり先にシチューを食べてしまって、「もっと食べたいのになあ」と内心で思うようなやり方だ。だが、意外にもシチューが浸み込んだパンがイケてる味なので、その不満は一気に解消した。表面がカリカリで、中がふわっとしたパンはシチューで味付けされて、総菜パンのように変身したのだ。

 以前、会社の同僚がシチューを持ってきてくれたことがあって、昼休みにご馳走になった。なんでも前日に作り過ぎたらしく、ひとりではとても食べきれないからと言っていた。料理好きな彼女のシチューは優しい味だった。一口食べてみてすぐに市販のルーを使っていないことが分かった。市販の物ではどうしても塩味が強すぎて、あんなまろやかで飽きの来ない味は出せない。おそらくホワイトソースを手作りしているのだろう。ホワイトソースと一口に言っても、私は自分でまともなホワイトソースを作れた試しが未だかつてない。中学の時の調理実習の時はただ見ていただけで、自分ひとりで試したことはなかった。フライパンにバターを熱して、小麦粉を炒め、その後牛乳を少しづつ注いで出来上がり、などと言う能書き通りにはいかないのが現実だ。だから、その時の私は彼女に尊敬の念を抱いた。

mikonacolon

 

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