人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

暑さを乗り切るために

 

この夏をどう乗り切るか、それが問題

 市営住宅に引越した知人は、快適な住み心地にとても満足していた。越してきたばかりの3月は外が寒いにも関わらず、部屋の中は暖房器具がいらないくらい暖かかった。「もしかしたら、ここはエアコンが要らないかも」と喜んでいた。ついこの間まで、「最高気温が28度で暑い一日になると朝の情報番組で言っていたけれど、全然大丈夫そう!?」と余裕だった。しかし、6月の下旬になると、予想もしない暑さに襲われてしまった。さすがに気温が30度を越したら、いくら換気システムが機能していてもエアコンをつけないで過ごすことはできそうにもない。だが、いくら何でも暑いからと言って、エアコンにばかり頼りすぎるのも問題だ。それに友人はエアコンの風が苦手で、すぐに身体が冷え切って、震えてしまうのだ。

 引っ越してきたとき、同じ階の人たちの部屋を見たら、どこも網戸が付いていなかった。それでてっきり8階だから風通しがいいのだとばかり思っていた。実際、北側にある玄関のドアを開けるとびっくりするぐらいの強風が吹き抜けた。もしかしたら網戸が必要ないのではという希望的観測をしていたが、現在のような突然の熱射地獄を前にしたら、一瞬にしてそんな考えは吹き飛んだ。到底網戸なしで過ごすことなんて無理だった。周りをようく観察してみると、みな玄関のドアを少し開けている。つまりベランダのある南側から入る風が通るようにしているらしい。

 本当なら毎年夏はどう過ごしているのか聞いてみたいのだが、そんなに親しくもないのでそれもできない。知人が住んでいる建物は間取りが2DKか1Kで、ほとんど単身世帯だ。夜になっても人の気配が感じられないほど静かで、これまで夫婦喧嘩や親子のいざこざを嫌と言うほど見てきた知人夫婦にとっては、都会の片隅にある姥捨て山のようなところだ。住人は高齢者がほとんどで、彼らのような60代はまだ若い方だった。知人は最初隣人たちと仲良くなろうと努めた。だが既述したように、水道の元栓がわからず助けを求めたのにも関わらずインターホンを鳴らしても誰も応答しなかった。後で聞いたところによると、わざと出ない人も居るにはいるとか。知らない人と関わりたくないらしい。そういう人は玄関の表札も1階にあるポストの表札も出していないので、未だに苗字がわからずじまいだ。月に一度、回覧板も回ってきて、確認のためにハンコかサインをする欄があるのだが、ただのM.Kのサインでは何さんなのかわかるわけがない。

 それでもなんとか知り合いを作りたいと思っても、「私の仕事は曜日も時間も不規則なのです。土日も関係ないんですよ」などと言われると取りつく島がない。つまり、彼らはいつ在宅なのかは決まっていないのだ。だが、その人たちとやっとのことで会えて、挨拶をした時は「なんだかとても感じがいい」と思えたのでなおさら残念に思えてくる。それも何回か尋ねて言った挙句の果てに、もう諦めかけたその時に実現したのだ。正直言って、未だに手紙でしか交流していない住人もいて、その人とはもう永遠に会えない気がする。こんな体たらくなので、何かあっても誰一人頼ることはできない、なんとも情けない状況なのだ。何か命にかかわるような事態になったときは、迷わずインターホンの非常ボタンを押し続けるしかないようだ。

 団地に引越して、面倒な人付き合いに悩まされると覚悟したら、あまりの没交渉に知人は面食らってしまった。網戸のことを気軽に聞ける人も居ないので、いや、ひとりだけ居るにはいるのだが、なんだか迷惑がられているようなのだ。その人は同じ階の誰ひとり応答しなかった時に助けてくれた7階の住人で創価学会に入っている。親切な人に見えるのだが、「夫が定年になって、給料が半分になったので、申し込んだら当たって・・・」などと軽率なことを言ってしまったからいけないのかもしれない。インターネットの工事にしても、「うちはそういうお金のかかることは最初から考えていなかった」と言われてしまって、話にならなかった。

 だから頼れるものは何と言ってもネットの情報だった。近隣にある山川硝子店を見つけて電話をかけた。団地の網戸は普通の家庭のと規格が違うらしい。すぐに見に来て貰ったら、南側と北側の2枚で2万5千円で、消費税を入れて2万7千5百円だった。網戸を取り付けた部屋で寝たら、吹き抜ける風が気持ちよかった。だが何と言ってもまだ6月だ。この先どういう事態が待ち構えているか考えただけで恐ろしい。日経に載っていたグローバルウオッチの記事に「スペインのマドリッドは連日43度の暑さ」だと書いてあったので仰天した。

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マカロニグラタン

家では食べたことがない、特別な味

 今年は例年よりも早すぎる梅雨明けで、まだ6月下旬にも関わらず猛暑の洗礼を受けている。この予期せぬ暑さに私の身体は炭酸飲料の刺激を欲しがっている真っ最中だ。だが、暑いからと言って、冷たい物を食べたいかと言うとそうでもない。夏の食べ物の定番はそうめんとか冷やし中華と決まっているが、私はアツアツの物が食べたい。冷たい食べ物はその時はいいが、腹持ちが悪いので、後ですぐに何か食べたくなる。いつも後悔するので、冷たい食べ物は控えたほうがいいようだ。

 アツアツの食べ物といったら、例えば、グラタン、オーブンから出してみると、表面が焦げていて、まだジュルジュルと震えている。火傷しそうなくらいのグラタンをふうふう言いながら食べるのが好きだ。いや、「好きだ」と言うよりも正確には「好きだった」のだ。言い訳をするようだが、以前は、まだ若い頃はグラタンに熱をあげて、しょっちゅう食べていた。だが、年を取るにつれて、ああいうしつこい?味の料理が口に合わなくなってきた。要するに食べ物の嗜好が180度変わって、あっさりした和風の味を好むようになったのだ。

 グラタンのことを知ったのは、小学校の給食の時間で、マカロニグラタンというものがでた。家で母が作る料理はすべて和風のおかずだったので、洋風の物が珍しくて仕方がなかった。家で食べられない変わった料理が食べられる、そういう意味でも子供にとっては、少なくとも私にとっては給食は楽しみだったと言える。甘い玉ねぎとバター味のホワイトソースが子供心に新鮮で、特に気に入ったのはマカロニの柔らかさとトロトロ感だった。クタクタのマカロニがつるつるっと入って行く。ねっとりとしたホワイトソースが絡みついたマカロニは子供の舌を魅了した。世のなかにはこんな美味しい物があるんだ、くらいに感激したのではないだろうか。もちろん、給食のグラタンはアツアツでもないし、表面もカリカリではない。だが、冷めきっていても十分魅力的な食べ物だった。好き嫌いが激しい私は、たしかに給食のメニューには苦手なものがあった。でもそんなことを忘れるくらい、それ以上に 好きな献立がたくさんあって給食の時間は至福の時だった。

 大人になっても、まだグラタンへの思いは続いていた。自分でも家でグラタンを作っていたが、ホワイトソースはインスタントで間に合わせていた。最初からソースを作ると、時間と材料が無駄になるので、ちゃっかりとルーミックの顆粒やハインツの缶詰のルーを利用していた。ルーミックのホワイトソースは味付けがされているので、そのまま使えばいいのだが、味が濃すぎるのが難点だった。その点、ハインツのそれは味付けがされていない分、自分で自由に味を調節できた。コンソメや調味料で味を調えて、自分好みの味に仕上げた。

 テレビのCMでやっていた某有名食品メーカーのマカロニグラタンを買ってきて作ったこともある。確かその時はマカロニが時短で茹で上がるという宣伝文句が印象に残っている。マカロニは普通は茹でるのに10分ほどかかるのだが、半分ほどの時間で出来てしまうというものだった。実際試してみると、たしかに早く茹で上がるのだが、食べて見たら弾力があり過ぎた。早いことは早いのだが、柔らかさに欠けていて、到底食べようとは思えない代物だった。これでは普通のマカロニをきっちり茹でた方が速いでしょう、と後悔した記憶がある。

 時の流れとは不思議なもので、あんなにマカロニグラタンが好きだった私が、今では疎遠になっている。いつの間にかバターのこってりとした深みのある味が苦手になった。でも、給食の時のあのマカロニグラタンだけは今でも思い出せるのだから、まんざら忘れてしまったわけでもなさそうだ。

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ホワイトシチュー

家でも食べられた、でも給食のは特別

 給食のシチューはなぜあんなに美味しいのか、子供心に不思議に思っていた。当時の私の頭の中にあったのは、シチューと言えば、白いホワイトシチューだった。大人になって、茶色いビーフシチューと言うものがあることを知って仰天した。家で母が作るのはハウスの箱に入った顆粒の粉を入れて作るもので、また食べたいと思うほど美味しい物ではなかった。だが、給食の時に出るホワイトシチューは違った。家の味とは一線を画していて、じゃがいもはホクホクしている。人参だって本当は嫌いで、取り除いて食べたいのが本音なのだが、いつの間にホワイトソースと一緒に口に入れていた。どこにでもある、ありきたりのじゃがいもや人参が給食室の釜の圧倒的な熱量によって、柔らくて信じられないほど美味しく変身した結果だ。

 肉はどうだったのだろうか。私の嫌いな脂身がいっぱいついている豚肉ではなくて、たぶんとり肉だったのか。今となっては知る由もないが、とにかく残さず食べられたことは間違いない。あれはカレーと同様に子供に野菜を食べさせるのには実に都合がいい料理だ。私の隣の席の子はシチューのソースが美味しいので、食パンの耳をソースに付けて食べていた。その子の食器はたちまちピカピカになった。今でいうSDG’s みたいな話だ。「すごい!綺麗に食べたね!」と褒めたものの、その子の真似をする気にはならなかった。シチューとパンが合うとは夢にも思わなかったからだ。二つの味が混ざり合うのを想像したら、なんだか気持ち悪くなった。無味乾燥な味しかしない食パンを、美味しいシチューにつけて食べるだなんてことは論外だった。

 でも、今から思うと、食パンはホワイトソースの力を借りて、別のものに変身したかもしれないのだ。と言うのも、大人になってある発見をしたからだ。身も心も凍えるような寒い日にエビバーガーで有名なロッテリアに行ったら、ホワイトシチューパンの看板が出ていた。フランスパンのような生地の丸いパンの中に、なんとシチューが入っていた。シチューとパンの組み合わせをミスマッチだと勝手に決めつけた。だが、何事も経験だと割り切って、試してみたら、パンとシチューは相性がいいことに気が付いた。ファストフード店でアツアツのシチューが食べられるなんて、青天の霹靂だ。あのメニューを考えた人は普通の人とは違った視点で物事を見ていて、いつも何か面白いことはないかと探している気がする。

 私の食べ方はやはり先にシチューを食べてしまって、「もっと食べたいのになあ」と内心で思うようなやり方だ。だが、意外にもシチューが浸み込んだパンがイケてる味なので、その不満は一気に解消した。表面がカリカリで、中がふわっとしたパンはシチューで味付けされて、総菜パンのように変身したのだ。

 以前、会社の同僚がシチューを持ってきてくれたことがあって、昼休みにご馳走になった。なんでも前日に作り過ぎたらしく、ひとりではとても食べきれないからと言っていた。料理好きな彼女のシチューは優しい味だった。一口食べてみてすぐに市販のルーを使っていないことが分かった。市販の物ではどうしても塩味が強すぎて、あんなまろやかで飽きの来ない味は出せない。おそらくホワイトソースを手作りしているのだろう。ホワイトソースと一口に言っても、私は自分でまともなホワイトソースを作れた試しが未だかつてない。中学の時の調理実習の時はただ見ていただけで、自分ひとりで試したことはなかった。フライパンにバターを熱して、小麦粉を炒め、その後牛乳を少しづつ注いで出来上がり、などと言う能書き通りにはいかないのが現実だ。だから、その時の私は彼女に尊敬の念を抱いた。

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炊き込みご飯

家では食べたことがない、ピラフのような味

  炊き込みご飯の日は唯一給食で食パンではなくお米が食べられた。こう書いて、ふと思った。あれ?そう言えばカレーライスもあったのではと。確かにカレーもあったが、あれは自分の家でも食べられたので、当時の私の心には強いインパクトを与えてはいないようだ。それで急に思い出した、いつも母にカレー粉をもっと多めにして、給食のカレーのようにドロッとしたのにしてと頼んだ記憶がある。なぜなら母は毎度毎度、今でいうスープカレーのようなカレーを作ってしまうからだ。あれでは、カレーじゃなくてカレースープだと子供心に思っていた。お皿に盛ったご飯にカレーをかけると、普通のカレーならご飯が見えなくなる。だが、母が作るカレーはシャビシャビで薄いので、ご飯の顔が透き通って見えてしまう。あれが子供心に嫌だったが、最後まで母は普通のカレーが作れなかった。どろどろのカレーを望んだのに、どうしてもスープカレーになってしまうので、仕方がないと諦めた。今から思うと、大好きな母だから許せたのだ。

 給食の炊き込みご飯がなぜ好きだったかと言うと、普段あまり食べたことがない味だったからだ。あれは今でいうピラフで、洋風炊き込みご飯のようなものだ。もちろん和風の炊き込みご飯はいつも食べていたが、あの給食のピラフは食べ慣れた醤油味でもなく、どう表現していいか分からない未知の味がした。細かく切った玉ねぎ、ピーマン、人参、とり肉、ハムなどが彩りよく入っていた。あれはコンソメ味なのだろうか、見た目も綺麗で、とにかく美味しかった。給食はパンなのだともう諦めてはいるが、たまにご飯が食べられることが嬉しかった。考えてみると、ご飯はそれなりに労力と手間がかかり、パンの方が簡単で楽でいいのだ。だからこそ、給食にたまにご飯が出ることは子供にとっては楽しみのひとつだった。

 今から思うと、給食のピラフは某有名食品会社の冷凍食品のピラフとそっくりだ。でも中に入っている具とかが同じだけで、給食室のあの大きなお釜で焚き上げるのだから、比べ物にはならないのは確かだ。恐ろしく大きな鍋で大量に作るから、あんなに美味しくできるのかもしれない。不思議なことに、あのピラフを母に作ってとお願いした記憶はない。たぶん、どうやったらあんなに美味しく作れるのか、わからなかったせいだ。母に作り方を説明できないので、「作って!」とは頼めなかったらしい。

 子供の頃住んでいた村ではご近所同士助け合うのが当たり前だった。だから葬式や婦人会の行事ではいつも炊き込みご飯と煮しめが振る舞われた。炊き込みご飯は和風で中に入っているのは畑で採れたゴボウ、人参などの野菜とシイタケぐらいで、特別なものは何も入っていない。豚肉や鶏肉などの肉類が一切入っていないのに、しっかりとだしが取れていい味だしていた。近所のおばさんたちの手がまるで美味しいご飯を作る魔法の手のように感じられた。私の祖母が亡くなったときは、隣の家が朝ごはんの会場になった。葬式の日の朝起きてきたら、母が「早く隣に行って、朝ごはん食べてきて」と私を促した。寝ぼけ眼でふらふら隣の家の前まで来ると、広い庭で白いかっぽう着姿のおばさんたちが忙しそうに働いているのが見えた。味噌汁、炊き込みご飯、煮しめなどの大鍋が並んでいる。美味しそうな匂いに思わずお腹がグウッと鳴った。

 「おはよう、〇〇ちゃん(私のこと)、早く上がって食べて!」と皆に声を掛けられる。縁側から座敷に上がると、知っている顔の近所の人たちがあちらこちらでご飯を頬張っていた。その時食べた炊き込みご飯の味は年季の入った、初心者には到底まねのできない深い味わいだった。

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うずまきパン

月に一度の特別なパン、ゆっくり味わう

 小学校の給食の時に出るパンは、子供にとっては味もそっけもない食パンだった。3枚もあって、一枚はマーガリンやたまに出るイチゴジャムをつけて食べればよかった。でもあとの2枚はどうやって食べればいいのか、いつも悩みの種だった気がする。当時は何でも好き嫌いせずに食べる決まりになっていたので、残すなんてことはできなかった。だから食べられなかった時は家に持ち帰っていた。食パンが入っているケースには必ず紙が敷かれていたので、その紙を少し拝借して、残りのパンを包んでこっそりランドセルに入れたものだ。私だけでなく、皆もそうしていたので,先生に見つからないかなんてドキドキすることもなかった。

 考えてみると、給食はなぜパンなのだろうか、ご飯よりも何か都合がいいのだろうか。当時はそんな疑問なんて抱いたこともなかったが、家で食パンを食べる機会はほとんどなかったので、子供心に給食は食パンが当たり前なのだと思い込んでいた。食パンに悩まされていた私が、既述した揚げパンと同様に楽しみにしていたのがうずまきパンだった。うずまきパンは遠い記憶の断片を繋ぎ合わせてみると、あれは現在のディニッシュのようなものだ。当時は近所にパン屋というものがなかったし、あんな美味しいパンがあることさえ知らなかった。

 パン生地が渦を巻いていて、まるでアンモナイトの化石のような形をしていた。うずまきパンの時は教室中にバターの良い匂いが漂っていて、食べる前から美味しい匂いを味わうことができた。たしか中にはクリームなどは入っていないが、砂糖の粒粒が付いていて、シンプルなのにバターの凝縮した味だけで幸せになれた。もちろん、うずまきパンに一気にかぶりついたりはしない。少しづつうずまきをちぎるようにして、ゆっくり時間をかけて味わった。うずまきパンの時は他のおかずなんてどうでもよかった。でも悲しいことに幸せな時間には終わりがある。それでもまた次回のうずまきパンの日を楽しみにすればいいだけのことだった。

 幸せいっぱいの私の側で、クラスの男子は何か物足りなそうな顔をしている。それもそのはず、食パン3枚とうずまきパン1個とでは、誰が見ても違いすぎる。どう考えても、食パン3枚の方がお腹が膨れるに決まっている。クラスに欠席者がいれば、余りものがあるのだが、不思議なことに美味しい物の時は誰も休まなかった。「腹減ったなあ」とかなんとかぶつぶつ言ってはいるが、そんな雑音は馬耳東風と聞き流す。質より量を重んじる男子には悪いが、なんでもいいから詰め込んで満足するなんてことは考えられなかった。

 大人になってから、都会のパン屋に行ったら、給食のうずまきパンと似たようなものを見つけた。もうその頃は子供の頃の感激をすっかり忘れていて、「ふ~ん」とそっけない態度だった。それはシナモンロールで独特なニッキの香りがするディニッシュだった。買って食べて見たが、給食のうずまきパンの味にはかなうはずがない。パン生地が柔らかすぎるし、表面がカリカリになっていない。本当は生地が何層にもなっていて、その隙間に砂糖の粒が入っているのが見える感じがいいのになあと溜息をつく。フニャとしているよりも、少し歯ごたえのある触感が最高なのになあと勝手なことを思う。

 そう言えば、私はここ何年かパン屋さんのディニッシュを食べていない。なぜなら私が通っていたパン屋さんはすべて閉店してしまったからだ。もちろん駅前にチェーン店のパン屋は数件あるのだが、私の好みのパンは置いていないのでそこには行かない。やはり個人でやっているパン屋の味にはかなわないのだ。

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フリーのイラストレーター

楽しい仕事と思ったら、意外にも問題だらけで

 いつもTBSラジオの「宮藤さんに言ってもしようがないんですけど」を楽しく聞いている。この番組は様々な職業の人たちの愚痴を聞いて、彼らが今何を思い、どんなことで悩んでいるのかを知ることができるので大変面白い。いや、面白いなんて言うのは軽率な言葉だが、ある意味その業界の現状を知ることは社会勉強でもある。この番組に出演する人は自分たちのどうにもならない状況を訴えたいだけで、問題解決を望んでいるわけではない。事実、番組は終始ユーモアでにっちもさっちもいかない現実を笑い飛ばすような形で進行する。笑っている場合ではないけれど、でもやっぱりありえない状況に何もできず笑うしかないのだ。笑えると言うことはまだ絶望していないことであり、希望の一筋、あるいは二筋くらいの光は見えているということ。それに、最も大切なのは、どんな職業の人でも自分の仕事が好きというか、何らかの誇りを持って仕事をしているということだ。

 先日のゲストはイラストレーターで、会社のような組織に属さないフリーで仕事をしている人たちだった。ひとりはイラストレータ―歴4年目の女性で、もうひとりは今年で8年目の男性でイラストを教える仕事もしていた。さっそく番組の冒頭から仰天してしまった、先の女性の発言があまりにも信じられなくて。それは「○○さん(女性の苗字)の自由に書いてもらっていいですよ」と言われたのに、作品を描いて持って行ったら「イメージと違う」!?と却下されて書き直しを命じられることがあるということ。女性の本音、いや誰でも思うことだが、そんなことを言うくらいなら、「早く言ってよ」となるのは当然だ。「好きなように、自由にどうぞ」と言う人に限って後から山のような注文を付けることが多い傾向がある。

 だから最近は発注者の「自由に描いてください」を鵜呑みにせずに、何か、なんでもいいから、頭に浮かぶイメージを提示してもらうようにしている。具体的なものでなくてもいい、単語のひとつでもいいから、ヒントになるものを出してくれるようにお願いする。明らかに自己防衛の手段である。少しでもトラブルから身を守るためにあれやこれやと戦略を考える。世の中を渡っていくのに必要不可欠な事項で、当然のことだ。

 さらに驚いたのは、仕事の発注先から、前もってギャラを提示されないことが多いことだ。ええ~!?頼まれる仕事のお金がいくらか分からないのにやるわけ、と私などは信じられなかった。聞いてはいけない雰囲気が業界全体にあるらしく、それが当たり前の世界だった。女性もイラストレーターとして駆け出しのころは特に聞けなかった。でも、最近は後進の人たちのためにも、変な常識を一掃するためにもギャラがいくらか聞くようにしているそうだ。

 それからまだある。それはイラストレーターの仕事の単価が年々下がっていること。宮藤さんも言っていたが、このような傾向はフリーランスの人たちに共通する課題だ。イラストレーターの仕事は書籍やパンフレット、機関紙と様々あるが、特にお金が潤っていない出版関係と言うか、書籍において「値下げ」が顕著だ。例えば本の表紙のイラストのギャラは、悲しいことに昔の本がよく売れていた頃から比べると値段が4分の1程度になっている。すこし考えてみれば、現在のような出版不況においてはそれも仕方のないことと納得せざるを得ない。

 だが、一方ではイラストレーターが「ずるい!?」と思わずにはいられないこともある。書籍のイラストには表紙と中面とがあって、当然表紙の方がギャラが高い。ある時「中面のイラストを表紙にも使いたい」と言われたことがあったそうだ。素人の私などは、表紙に使うのだからギャラは当然高いのだろうと思った。だが全然違った。中面のイラストを表紙に使う時は中面のギャラの半分、いや何十パーセントの金額になるのが普通なのだ。なんとも訳の分からないことになっている。当然二人共、こんな仕事は受けないようにしていると話していた。

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ナポリタン

子供はケチャップが好き、それで人気のメニュー?

 私はすっかり忘れていた、給食のメニューにナポリタンがあったことを。以前同僚の男性と雑談をしていた時に、「俺、給食のナポリタンが好きだったんだよねえ」と彼が懐かしそうに言っていたことを思いだした。彼によると、給食のナポリタンは、喫茶店やレストランで食べるそれとは一線を画しているらしい。遠い記憶を遡ってみると、ナポリタンの麺は太く、目いっぱい伸びきっているかのようで、ふにゃふにゃだった。でもあのふにゃふにゃが良かったのだ。大人になって知ったのだが、あれは”ソフト麺”と呼ばれていた。スパゲッティとは比べ物にならないくらい柔らかい麺が子供の好みにぴったりだったのだろう。

 「柔らかい麺に纏わりついたケチャップの味がなんとも言えないくらい美味しかったんだよ」と彼は給食のナポリタンを絶賛していた。確かに、玉ねぎ、ピーマン、ハムなどの具材と混ぜ合わさったケチャップ味の麺は子供には最高のご馳走だった。なぜそんなにナポリタンが好きだったのか。考えてみると、ケチャップの甘くて酸っぱい味が子供には最高に美味しく感じられたのだろうか。今ではもう大人になった私はフランクフルトにはマスタードだけで、ケチャップは使わない。なぜならケチャップの味が甘すぎるからで、ツーンとくる酸味も苦手だからだ。不思議なことに、給食のナポリタンは酸っぱくなくて、甘さだけが引き立っていて、トマトのうま味を存分に出していた。

 今思うと、まるでケチャップとは別物と勘違いしてしまいそうだが、たぶんあれは十分に加熱することによってケチャップの酸味が全部飛んだせいなのだ。トマトの酸味が消えた結果、元のケチャップの何倍も甘みが増して、子供の大好きな味に仕上がったのだろう。トマトは熱を加えると、信じらないほど美味しく変身する不思議な野菜だ。

 同僚の男性は大人になってからはナポリタンを食べる機会は少なくなった。ナポリタンは喫茶店の定番メニューになっているが、最近は昔ながらの店が再開発などで消えている。馴染みの店でいつもの味がもう食べられなくなったと嘆く。もちろん、喫茶店ナポリタンは給食のそれとは全く違う。麺はそうは柔らかくはなく、少し硬めに茹でてあって、麺の触感を、歯ごたえも一緒に味わって食べるように調理されているからだ。かくいう私も、ナポリタンを食べる機会はそうはなくて、だからたまに無性に食べたくなる時がある。ナポリタンはスパゲティと野菜とトマトケチャップがあれば、簡単にできるだなんて思ったら、それは全くの幻想だ。家で試してみたことがあるが、想像したような理想の味にならずに挫折した。それ以来、家ではナポリタンを作らないことにした。

 今まで不思議でならなかったのは、外国のカフェのメニューにナポリタンがないことだった。だから、諦めて、似ても似つかないものだがミートスパゲティなんかを頼むしかなかった。最近知ったのだが、ナポリタンは日本生まれで、日本独特の調理をしたスパゲティの名前だった。それで、外国のどこにもないことが分かって、あれは日本人が最も好きな日本人のための食べ物なのだと確信した。以前、新聞記事にイタリア人の目から見たら、日本のナポリタンはどう映るのか、率直に書いてあった。彼らの答えは「全くの邪道でしかない」そうで、許しがたいという意見が多数だった。そんなことを言われても、好きなものは好きなのだから気にすることはないわけで、ナポリタンはビクともしない。”郷に入らば郷に従え”でナポリタンは日本独自の文化として、大いに世界に誇っていいのだと思う。

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