人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

今の気持ちは「寒」

今週のお題「現時点での今年の漢字

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コスタリカの伝統的な牛車「カレータ」。NHK旅するスペイン語テキストから。

寒すぎてどうにかなりそうで、これから雪も多そう

 今の私の気持ちを表す漢字は何だろう。近頃は何と言っても寒すぎるので「寒」という漢字が一番ふさわしいと実感する。年末から実家に帰省したが、その地域は 私の住んでいるところよりも寒いようで、1週間居たのだが、何度も雪が降り、翌日にはすぐに溶けてしまった。10㎝程積もったのに、ひとたび日が照りだせば、嘘のようにあれよあれよという間に消えてなくなった。太陽のすさまじい熱量に驚くほかない。実家の居間は南むきで昼間はたっぷりと日が当たってボカボカになる。ネコ2匹はここぞとばかりにその恩恵を利用して特等席で日向ぼっこをしていた。

 昼間は暖かくても、日が落ちると信じられないほど冷えてくる。実家のエアコンは兄が亡くなった年に買った物だから、まだ4年しかたっていない。それなのに性能がいいはずのエアコンがこれまた仕事をしてくれない。さっぱり部屋が温まらない。最新式でうちのエアコンのようにフィルターが付いていないので、効かないからといって掃除をするわけにもいかないのだ。ではどうしたらいいのか。仕方なく自動お掃除というボタンを押してみて、それが終わるまで待ってみてからまた「暖房」のスイッチを押す。だが悲しい事に現状は変わらないので諦める。床に敷いてあるホットカーペットの熱と膝に掛けた毛布で何とかやりすごすしかなった。

 人間たちが「寒い、寒い」とぶつぶつ言っているのに2匹の猫ときたら何の不満もないらしい。彼らはちゃっかりエアコンの暖かい熱がもろに当たる場所でまったりしていた。猫はこの世の中で、いや、家中で一番暖かい場所を見つける名人なのだから。それに気持ちよくて、暖かそうな毛皮まで着ているのだから羨ましい限りだ。身一つで移動もできるし、などとついつい関係ないことまで思ってしまう。

 家に戻ってからも寒い日は続いたが、朝の日課になっている早朝の散歩は休まず行っている。本音を言うと、実家で過ごした1週間ほどは散歩に行かなかったし、遅寝遅起きだった。そんなわけで、戻った翌日の朝は起きるのが辛かった。初めて心から「起きたくないなあ、もっと寝て居たい」と思い、ずる休みをしそうになった。だが、「このまま寝ていていいことがあるのか?」ともう一人の自分が私に聞いてくる。そう言われると「たいしていいこともないかあ」となり布団を抜け出した。着替えをしている時は嫌々だった気持ちが外に飛び出したら、心地よさに変った。

 まだ空には月が出ていて、昼間とは別世界を月を見ながら張り詰めた空気の中を歩く。新年早々はそんなに感じなかった空気の冷たさを近頃は強く意識するようになった。スニーカーを履いた足の裏の冷たさ、手袋をはめていても指がしびれる感覚。顔はマスクで隠れているのでそれほどでもない。でもやたらと鼻水がでて、垂れてきそうになるので何度もティシュで鼻をかまなくてはならない。自動販売機の缶コーヒーを買って、カイロ代わりにして暖を取るのだが、帰り道ではもう冷えてしまう。

 寒い中早朝歩くのは習慣になっていて身体が動くので何も問題はない。でも家の中でじっとしているとどうしても寒さを感じてしまうことがある。最近気になるのは布団の中でも寒さを感じてしまうことだ。敷布団に毛布を敷いて、上は羽毛布団でその上に毛布を掛けて寝ているのに、なぜか寒さを感じてしまう。寝る前はなんだか身体が熱を持って熱いくらいなのに、途中で冷えてしまう?からなのか、どう考えても不思議でならない。夜中に寒さを感じたら、パブロンの顆粒を飲むことにしている。あれを飲んで布団に潜り込むと暖かくなってよく眠れるから。いずれにせよ、この先も寒さと付き合うためには、何らかの対策を考える必要がある。さもないと、この世の中の片隅で小さな幸せを感じることはできそうにもない。

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送料無料の返品トラブル

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グアテマラの街並み。NHK旅するスペイン語テキストから。

発送料負担の要求に激怒、でも相手の側から見たら納得

 昨日は炊ける弁当箱を使ってみた感想を書いた。今日はその続きを書こうと思う。会社でひとり優越感に浸りながら、炊き立てのホカホカご飯を食べる夢は儚くも消えてしまった。目の前の現実を信じたくはないが、受け入れるしかない。気持ちを切り替えるためにも、1分一秒でも早く使えない弁当箱に消えて欲しかった。私に与えられた選択肢は”炊ける弁当箱"を捨てるか、あるいは返品するかだった。ゴミに出してしまえば目の前から消えてせいせいする。でもそんなことをしたら後で後悔するに決まっている。それで、面倒ではあったが、メールで発送元の会社に返品したい旨を伝えた。すぐに送料負担で返送するように言われた。

 返品を伝えるメールには「使ってみて、何度やってもうまくご飯が炊けなかった」ことを一言も書かなかった。なぜなら、きっと相手が「それはあなたの使いかたが悪い」とか、「商品にもたまに欠陥があるものもある」とかなんだかんだと理屈をこねてくると思ったからだ。そんな面倒なことは御免だった。実際使ってみた私がダメだと言っているのだからそれでいい。だから返品の理由は「なんだかよさそうに思えたので購入してみたが、実際は違う物だった」にした。この時すでに私は商品の欠陥ではなくて、あくまでも「自分の都合で返品」することを認めたのだ。後で友達にこの話をしたら、「うまく炊けなかったし、保温もできなくて能書きと違う」となぜ本当のことを伝えなかったの?」と言われてしまった。彼女の言うことはもっともだ。チラッとは頭で思ったものの、私一人の意見など少数意見として、かき消されてしまうと諦め半分だった。

 私はすぐにコンビニに行き、宅急便で”炊ける弁当箱”を返送した。送料が820円かかったが使えない物を返品できたことで少しホッとした。これで私はあの役に立たずの代物から解放されたはずだった。ところが翌日会社からメールが来て、読んでみると「商品受け取りました。ただ、当社の規定では商品の発送料はお客様負担となります」などと言う前代未聞の文面だった。その瞬間私は自分の目を疑った。そんなことはまさか!と何度も読み返してみたが、やはり本当だった。イラっとした私は怒りにまかせて返信のメールを書いた。「今まで何度も購入した商品を返品したことはありますが、発送料を要求されたことはありません。どうかもう一度考え直してくださいませんか」

 すると相手から「当社のお買い物ガイドのサイトを見てください。ちゃんと返品の場合は発送料も負担という規定になっています」との私には具の音も出ないようなメールが送られてきた。何も言ってもダメなのですよ、不満に思っても諦めざるを得ないのでよとでも言うように、送料660円を支払うように振込先を指定してきた。指定口座はゆうちょ銀行と三菱UFJだった。折しも1月17日から硬貨での振り込みの手数料がかかることになった。何とか手数料が安く済む必要がないかとネットで調べてみた。三菱UFJの口座は持っていないので、ゆうちょで支払うとすると、220円手数料がかかるようだ。660円の振り込みをするのに220円かかるとわかったら、ばかばかしくなってしまった。できるだけ早くこのトラブルから逃れたいと思っていたのに、私の頭はは思考停止してしまった。

 考えてみると、あの”炊ける弁当箱”は送料無料の商品だった。だからこそ相手の会社は私から送料を取り戻したいのだ。自分の会社が損をしないように相手に要求するのは何の後ろめたさもないことで、当たり前のことなのだ。私が正論を振りかざして抗議しても、相手の心は全く揺るがないのだ。そう考えたら、880円かかってもひとまずこのトラブルに幕を引こうと思う。これからは”送料無料”の商品を買う時はあんなこともあったのだと思い出すようにしたい。今回のトラブルから”送料無料”という落とし穴もあるのだという教訓を学んだ気がする。

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炊ける弁当箱を買ってみたら

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▲一見美味しいご飯が炊けているようですが、実は食べてみると芯があることがわかります。炊飯器で炊くご飯には程遠いものです。購入は失敗でした。

炊ける弁当箱を購入したのに、残念な結果に

 最近テレビの報道番組で世間で”炊ける弁当箱”が売れているとアナウンサーが言っていました。人気の秘密は会社に居ても暖かい炊き立てのご飯が食べられるからです。普通は冷たいご飯を食べるのが当たり前なので、皆が飛びつくのも無理はありません。でも何事も”百聞は一見に如かず”でそれが本当のことなのか、自分の目で確かめなければ納得いきません。今年の冬は例年に比べて、なんだか雪が多くて寒そうです。そんなに値段が高くないものであれば、買ってみて小さな幸せを味わいたいと思うのは自然なことです。早速ネットで検索してみると、いろいろな種類の物があるのでどれにしたらいいのか困ってしまいました。2段になっているものもありますが、ご飯だけ炊ければいいので、ちょうど”最新式”と表示のある1段だけの弁当箱をクリックしました。

 その時メーカー名をちゃんと確かめればいいのに、それを忘れてとにかく何でもいいやと決めてしまいました。その弁当箱は”新型”電熱弁当箱で、ご飯が炊けて保温もできるはずでした。メーカーなどにこだわることなく、ただ早く試してみたかっただけでした。さて、待ちに待ったお目当ての”炊ける弁当箱がついに我が家にやってきました。さっそく頑丈に梱包された箱を開けて、取扱説明書を読んでみました。

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▲お米を入れたステンレスの容器のしたはこのようになっていて、ここにお米の量に合わせてお水を入れて炊きます。

 ところが、読んでみても使いかたがさっぱりわかりません。つまり、ネットで購入するものはいつだって丁寧な説明などは付いていないので、頼りになるのは役に立つサイトの情報だけです。このお弁当箱は0.5合から1合まで炊けるのですが、普通の炊飯器に必ずついているはずの水の量を教えてくれる目盛りはありません。それに取り扱い説明書ではお米の量も単位はgなので戸惑ってしまいましたが、価格コムのサイトの情報で0.5合が75gだということがわかりました。お米の量がわかったので、今度はお米に加える水と機械に加える水の量を計算しました。説明書にはお米の量が175gの場合しか書かれていないからでした。

 それにしても機械にお水を入れるのだとわかったときは仰天しました。最初はそんなことは想像もできなかったので、炊飯器で炊くときと同じようにして炊こうとしましたが、電源のランプが付かなくてうんともすんとも言いません。何度電源ボタンを押してもダメでした。それでまたネットで確かめ、説明書を読み返してみると、「水が乾くと作動を停止し、電源ランプが消えます」とあるのでやっと納得したのです。炊ける弁当箱なのですが、どうやら炊飯器とは構造が全くの別物なのでした。

 勘違いしていたのがわかって、すべて計算通りの量でやってみたのですが、炊けることは炊けるのですが、まともなご飯は炊けないのです。何度試してみてもうまくいきません。どう考えても、お米がちゃんと柔らかく炊けていない、つまり圧倒的に熱量が不足しているのです。そんなに炊き立てご飯が食べたければ、小型の炊飯器を会社に持って行けばいいようなものですが、そう言う問題ではないのです。やはり弁当箱の形をしているからこそ価値があるのです。そう言えば、説明書にはメーカー名は明記されていません。それにネットの商品の説明では保温もできるとのことでしたが、保温のランプが無いのでダメでした。説明書に300wとあるので消費電力が問題かとも思うのですが、家にある小型の炊飯器は300wでもちゃんといい仕事をしてくれます。

 「売れているのだからそんなはずはない」とも思うのですが、どう考えても私の場合はハズレを引いたようです。炊ける弁当箱を選び間違えたのかどうかはさておき、炊き立てご飯を会社で食べる夢は儚く消えたのでした。

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失くした手帳の思い出

今週のお題「手帳」

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主婦の友社『イギリス、本物のくつろぎインテリアを訪ねて』から

バッグが盗まれて、その中にお気に入りの手帳が

 今ではすっかり手帳と無縁になってしまった私ですが、若い頃は違いました。当時人気のあった雑誌があって、毎月何らかの付録が付いてきました。たしかその中には手帳もあって、若い女の子が喜びそうな花柄のおしゃれな手帳でした。私もとても気に入って、バッグにに入れていつも持ち歩いていました。その手帳には日々の予定はもちろん、住所録もあって、今でいうならスマホのように情報が満載でした。

 ところが、その手帳を予期せぬ出来事によって失くしてしまいました。はっきり言うと、誰かが私のバッグを盗んだからです。あれは昔、友だちが総菜屋の店をやっていた時でした。やっていたと言っても雇われ店長で、小さな店を一人で切り盛りしていました。材料の買い出しも仕込みもすべて一人でやっていました。毎朝地下鉄に乗って築地に買い出しにも行っていました。そもそもその店をやるきっかけになったのは、保育園のパートをしていた時、あるイラストレーターの女性と知り合ったからでした。

 子供を保育園に預けていた女性が友だちが書いた絵を「いいね!」と褒めてくれたのです。「一緒に仕事をしない?」と誘われて、二つ返事で保育園をやめて彼女の家に行きました。元々保育園の仕事や園長の態度に不満を抱いていた彼女は、やりたかぅた絵の仕事ができると喜びました。故郷の短大を出て、上京してデザイン研究所にも通いましたが、絵の仕事はなかなかありませんでした。それで、スーパーの店員などの絵とは全くない関係のない仕事でもやらざる得ませんでした。その保育園は24時間体制のところで彼女は夜勤もこなし、子供をおふろに入れて寝かしつけるのが大変だとこぼしていました。

 「一緒に仕事しない?」と言われたものの、実際の仕事はアシスタントのようなものでした。最初の仕事はイラストレーターの女性の子供の御守りでした。離婚して2歳の子どもを一人で育てているその人はちょうど再婚したばかりでした。仕事ができて自立しているその女性を彼女はとても尊敬していました。だから絵の仕事ではなく子守りでも不満はなかったようです。しばらくして、今度は女性から「総菜屋をやってみない?」と言われたのです。それで駅前にある商業ビルの地下にある市場の一角で店をやることになりました。総菜屋のメニューは、おから、アジの南蛮漬け、きんぴらごぼう煮しめ等のおふくろの味と言うべきものでした。

 私も時々店に立ち寄ることもありましたが、年末に店を手伝ってくれないかと頼まれました。それは年越しそば用のエビの天ぷらを売りたいからで、表に出て売りたいので人がいるからでした。当日私は地下の店に手伝いに行き、友だちに「バッグはどうしたらいい?どこに置いたらいいの?」と聞きました。そしたら彼女がいつもそうしているらしく、背伸びして棚から籠を取り出しました。「ここに入れておけば誰もとらないよ。大丈夫!」。彼女が自信たっぷりに言うので、私もそれならと信じて疑いませんでした。後から思えば貴重品をあんなところに入れて置くなんて、一番してはいけないことでした。

 天ぷらを売るのに夢中になっていた私はすっかりバッグのことを忘れていました。すべて売れて後片付けが終わり、バッグを取ろうと棚から籠を下ろしました。でも籠の中にはバッグはありませんでした。どこかに落ちているのではないかと狭い店の中を捜すのですが、どこをどう探しても奇跡は起きませんでした。そうなると、考えられるのは誰かが私のバッグを盗んでいったことだけです。盗まれてしまった!という決定的な事実がわかったとき、頭が真っ白になりました。これからどうしようか、お金もアパートの鍵も情報が詰まっている手帳も失くしてしまった!

 途方に暮れている私にイラストレーターの女性はあまりがっかりしないようにと慰めてくれました。私を気遣って失くしただけのお金も渡してくれました。せっかく手伝ってくれたのに悪いことをしたと謝罪の言葉をかけられて、少しホッとしたのを覚えています。

 

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市営住宅に引っ越す

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主婦の友社『イギリス、本物のくつろぎインテリアを訪ねて』から。

低所得者だけのものというイメージが吹っ飛んで

 都心に長く暮していた知人が引っ越しをすることになった。その引っ越し先が市営住宅と聞いて仰天した。予想通り、「ねえ、でもああいうとこって収入が低くないとダメなんじゃないの?」とか、「それに抽選もあって、滅多に当たらないんじゃない?」とか周りの人たちにさんざん言われたそうだ。知人の夫は昨年定年になったので、高齢者優遇の枠で応募したらしい。最初からたいして期待はしていなかったので、当選通知が届いた時は飛び上がって喜んだ。市営住宅に当たるなんて幸運は自分には無縁だとばかり思っていたからだ。

 知人夫婦は当時8万円の家賃の2kのアパートに住んでいたのだが、定年を過ぎたら収入が半分に落ち込んでしまった。彼らは知らなかったのだが、世の中ではこうなることは当たり前のことらしい。かくして手取りが20万円ほどになって家計をやりくりする妻は途方に暮れた。それでもなんとかやっていけたのは、市から支給される高齢者のための補助金が月3万円程度あったからと、個人年金の3万5千円のおかげだった。まだ若い頃にきっと年金だけでは足りなくなることを予想して、妻が郵便局の個人年金に入っておいたのだ。それでも30万円に満たないお金で8万円の家賃を払うのは大変だった。彼らは家計の見直しを迫られ、すぐに生命保険を半分ほどの支払いのタイプに変えた。

 それでも妻はこの先が不安だった。夫が仕事を辞めて年金暮らしになったら23万円程度のお金で生活しなければならない。個人年金が少しはあるとはいえ、とても安心できなかった。何よりも重荷になったのは8万円の家賃で、年金生活を脅かす最大の敵だった。このまま時が経てば、不安しかない年金生活に突入することは間違いない。何もしなければ窮地に追い込まれるのはわかりきっている。だから妻は行動に移すことにした。ダメもとで市営住宅の高齢者優遇枠に応募することにしたのだ。応募から2年ほど経った6月のある日幸運にも当選通知が届いた。

 市営住宅に応募してわかったのだが、ここでの「収入」というのは世間で思われているものとは少し違っている。知人も最初は応募要項をよく読まずにいたのだが、ある時真剣に読んでみた。すると市営住宅の応募資格に該当する収入は思ったよりもずうっと高くてもいいことに気づいた。源泉徴収票を見てみると、総収入の隣に控除後の金額というのが書かれている。市営住宅の収入欄にはその控除後の金額から100万円を引いた額を書けばいい。そう考えると、高齢者優遇の場合、たしか「収入」の上限が280万程度なので、手取りが30万円あっても応募する資格があるのだとわかる。

 知人から「市営住宅に住んでいる人は意外にも低所得者とは限らない」ことを聞かされた私は目から鱗だった。なぜなら、彼らは信じられないほどの低所得者だと誤解していたからだ。知人は市営住宅の昨年の5月の募集に応募して当選したのに、資格審査の通知が来たのは10月の終りだった。その間、こんなにも長い間うんともすんとも連絡がないのは「もしかしたら資格を取り消されたのか」とやきもきした。でも待つしかないので仕方なく待って、必要な書類を何通も用意して送ったのに今度は合格通知がなかなか来ない。次は合格通知がやっと来たのに今度は住宅の用意ができるまでまた待つことになった。そして年が明けて、ついこの間通知が来て、使用許可が下りて3月に入居できることになった。

 知人はこの間引っ越しをすることになっている市営住宅を散歩がてら見に行った。部屋の下見は1月下旬にならないとできないので、その前に少し回りを散策するためだった。入居することになっている部屋のある建物は12階建てで、外見はどう見てもマンシmョンにしか見えない。いつか遊びに行ったことのある団地の雰囲気とは程遠いものだった。部屋の前まで行ってみたが、人っ子一人いなくて、誰にも会わなかった。予想したような猥雑さは全くなく、ひっそりとしていた。建物は南向きで、訪れた日は太陽の光が燦燦と降り注いで暖かかった。ふと見ると、建物の前で高齢の女性が二人椅子に腰かけて日向ぼっこをしていた。二人は少し離れた場所に座り、顔をあげてどこかを見ていた。何かを見ているようなのだが、それが目の前の道路を挟んだところにある運動場で野球をしている若者たちを見ているのか、あるいはぼんやり物思いに耽っているだけなのかはわからない。

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不思議な夢を見た

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眠れない夜に見る夢はろくなことがない

 久しぶりに夢を見た。その夢の中で追い詰められて、万事休すと思ったら目が覚めた。その瞬間、何であんなに辛い思いをしていたのか、さっぱり思い出せない。たしか何か仕事で普通にできて当たり前のことができないで、周りの人から責められている夢だった。まさか、そんなはずがないとやってみるのだが、信じられないことにできない。「そんなこともできないなんて、よく会社に居られるわね」と先輩が私を容赦なく非難する。後輩に至っては遠慮がちに軽蔑の目を私に向けているのがわかる。でもどうしても具体的に何ができなくて、最低の人間と思われているのか思い出せない。

 夢の中では自己嫌悪になり、絶望感でいっぱいになって「こんなことなら消えてしまいたい」と本気で思ったら、運よく目が覚めて私は救われた。不思議なことに、嫌な夢だったなあという強いダメージはない。反対に気分はすっきりして、過去の失敗に怯えることもない。過ぎ去ったことにこだわって、なんだかんだと思い煩っても埒が明かない。時は流れ、季節は移り変わって、今日という日は常に更新されて新しい日になっている。だから自分もそれに合わせて、新しい自分になるべきなのだ。

 若い頃仕事の人間関係で悩んでいた頃、街中で誰かがこんなことを言うのを聞いた。「基本、他人の言うことなんて、すべてゴミで、気にすることなんかないんだよ」。その発言の主は若い男性で、要するに「自分の事など何もわかっちゃいない奴らの言うことなんかに惑わされるな」という忠告なのだ。彼の言い方は極端すぎるが、いいところをついている。考えてみれば、他人なんて好き勝手に言いたい放題言うだけで、自分の事を想う親切心から言ってくれる人なんて皆無である。だから、他人の舌先三寸の言葉なんかで動揺するなと言いたいのだろう。また彼の発言の中にはもっと自分に自信を持って生きていいんだというメッセージも含まれていたと思う。

 他人に何か気に障ることを言われたら、「またあのカボチャが、じゃがいもが、何か好き勝手なことを言っているなあ」とでも思って、気にすることないのだ。正直言って、あの男性の言葉を耳にした瞬間は目から鱗だった。私は他人に言われたことを真剣にその通りに受けとって、素直に悩む大バカ者?だったのだ。つまり、私はすぐに反省する人間で、「何言ってるのよ」などという反発心などなかった。言われる原因は自分にあるとしか思えず、仕方ないかと諦めていた。だから常にウジウジと悩んで暗い毎日を送っていた。そんなときあの言葉に出会って、なんだか明るい虹を見た気がした。あの若い男性の考え方に私は強烈なパンチを食らって、目を覚まさせられた。「そんなふうな考えもあるのか、いいや、そう考えてもいいんだ」とものすごく新鮮に感じた。

 どうしてあんな夢を見たのだろうか。昨日は都心の方に行く用事があって、久々に2,3時間ほど歩き回った。あの地域に行くのは約2年ぶりだった。2年という時間は短いようで、何かが変化するのは十分のようだ。いつも通り過ぎる2階建ての小さな家は車庫に置かれていた車もなく、雨戸は締め切りになって、あの頃と様子が違っていた。まるで人が住んでいる気配がしない。古いアパートはいつの間にかおしゃれなマンションに生まれ変わっていた。でも変わらないものもたくさんあって、なんだか懐かしさの方が先に立ってしまう。

 昨晩は昼間長時間歩いて疲れているはずなのに、9時になっても不思議と眠くならなかった。それをいいことに10時過ぎまで起きていて、でもさすがにまずいと思って布団に入った。でも眠れない、すると新年早々に転倒したことを思い出した。今になってお尻が痛みだし、普段は気にしないでいるのに、こんな時よりによって気になりだした。するとたちまち不安に襲われた。もしかしたら、この痛みはずうっと続いて消えないのではないか、などとろくでもないことが次々と頭の中を駆け巡った。恐らくそんな私の心の動揺が作用して、後になって「あれはいったい何だったのだろう」と思う夢を見たのに違いない。

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リベンジ消費って何?

 

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また安心してお金が使えたあの日々が戻ってくるのか

 新聞の別刷りを見ていたら、いつものアンケートのページには「リベンジ消費していますか?」とありました。「リベンジ消費」とはなんだかマスコミが「お金を使いましょう」と消費者を煽っているかのような刺激的な言葉です。そんな刺激的な文句に意外にも人々は冷静に構えて見ているようです。アンケートの結果によると、「はい」は22%で「いいえ」は78%でした。「いいえ」の理由は様々で一番多いのは「言葉に踊らされたくない」で、次に「生活がコロナ前と変わっていない」、そして一番共感する理由が「行動を広げて感染するのが怖い」でした。

 8割近くの人が「いいえ」で、その本当の理由はどうやら安心してお金が使えないということにあるようです。今まで給料やボーナスは当然入って来るべきもので、だからこそ安心してお金が使えたのです。もっともそれは恵まれた人の部類で元々給料が少ないとか生活に余裕がない人には当てはまりません。コロナになってもその状況は全く変わらず、というより給料がさらに減ってしまって困窮してしまう人もいるのです。

 若い世代に限って言えば、「コロナ前と変わらず、経済的に余裕はないし、旅行や居酒屋にも行かない」し、「元々の給料が少なくて、安心してお金を使うことができない」という人も中にはいます。それでも若い人たちはお金がないなりに楽しくやっているのではないか。そんなことを思ってしまうのは私が休日の早朝にいつも楽しそうな若い人たちに出会うからです。彼らは3~4人の集団の時は遠くからでも聞こえるような大きな声を出して、私を怖がらせます。おそらくアルコールが入っていて気が大きくなっているだけなので、何もされないことはわかっています。でもやっぱりできれば近づきたくないので、出くわすことが無いように道を変えます。

 一方のカップルの人たちは、朝6時前からデートでもないと思うので、たぶん朝帰りなのでしょう。二人はルンルンで楽しくてしようがないという雰囲気が漂っています。たしか、昔のテレビドラマの主題歌に「二人の世界があるから、だから強く生きるんだ」という歌詞がありました。コロナ禍にあっても、世界がどうなろうと、二人は幸せを感じて生きていくのでしょう。大きな幸せなど望んではいるわけではなく、この世の片隅で小さな幸せを追求していけばいいのです。自分たちの身の丈に合った幸せがあればそれでよしと満足する生き方です。

 アンケートに「はい」と答えた人は2割程いるのですが、その人たちは「積極的に外食や旅行を楽しみたい」わけでもないようです。というより、むしろ苦境にある観光地や飲食店を応援したい人が多いのだそうです。また先が見通せない事態に初めて直面して、「お金を使ってもっと楽しんでもいいのではないか」という思いもかけないことを実感した人もいます。今までは老後のために節約と貯金のことばかり考えて生きてきたのですが、未来のために今を犠牲にすることが果たして正しいのかがわからなくなりました。後で後悔するのではないかという疑問を感じるようになったのです。

 考えてみると、この世の中は何一つ確実なことなど何もないわけで、コロナ禍はそれを直視する機会を与えてくれただけのことです。そうなると途端に人は不安に襲われますが、”座して死を待つ”わけにもいきません。それで必要に迫られて無い頭を無理やり使って今のどうしようもない状況を打開しようとします。職を失った知人の女性は職業訓練センターに通いながら、漢検の勉強に余念がありません。特に漢字が好きなわけでもなく、ただ何かに夢中になっていないと不安な気持ちが大きくなりすぎるからです。人の気持ちは不思議です、ひとたび不安に襲われると、それはムクムクと成長し、怪物のように人を支配してしまいます。だから手を動かして、不安に付け入る隙を与えないのが最善の策なのです。それに漢検に合格すれば、職業には直結しない資格ではあってもそれなりに達成感が得られます。きっとその達成感は彼女がこれからを生きる希望と自信につながるはずです。

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