人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新聞をもう一紙とってみた

今週のお題「買ってよかった2022」

中日新聞に連載されている漫画『ねえ、ぴよちゃん』から。

毎日『ねえ、ぴよちゃん』から笑顔を貰ってます

 私はずうっと日経新聞朝日新聞を取っていた。でも、実を言うと、忙しさにかまけて一面の見出しをさっと斜め読みするだけが精いっぱいだった。日経に至っては、最後のページの文化欄を読むだけだったが、これがまた面白かった。各界の有名人による『私の履歴書』、『交友抄』は未知の世界を垣間見たような気がして大変興味深かった。このページには連載小説もあって、こちらは気が向いた時だけ読んで楽しんでいたるだけで、熱心な読者ではなかった。正直言って、新聞を2紙取ってはいるが、ほとんど読まない、中身がない状態だった。だが、かと言って新聞をやめるという選択肢はなくて、時間が空けば、突然思い出したかのように紙面を開いていた。まるで空気のようで、普段は知らんぷりをしていても、やっぱり側にないと寂しい、そんな存在だった。

 ところが、コロナ禍になって時間ができると大きな変化があった。通勤時間が無くなったおかげで、急に新聞があることを思い出し、熱心に読むようになった。俄かに新聞を読むようになったからと言って、世界情勢や政治に精通するわけもないが、一通り今の世の中で何が起こっているかは把握できるようになった。連載小説や漫画も読むようになって、小説は切り取ってスクラップしておいた。気まぐれな性格のせいで、面白くない時はパスしてしまうので、後であらすじがわからず困ることが無いようにとの配慮だった。

 そんな折、ある日玄関ポストに中日新聞の広告が入っていた。いつもは完全無視なのに、その時はなぜか気になり、読むだけ読もうという気になった。その中で『筆洗(ひっせん)』というコラムの記事の地雷を処理するねずみの話も衝撃だったが、4コマ漫画『ねえ、ぴよちゃん』が特に気に入った。元々、親戚の家の新聞で見たこともあったので、「ああ、これか!」と感激した。いったい何がいいのか、どこがいいのかと言うと、絵が可愛いところ、話が日常の何でもない、でも愛おしい出来事や場面で盛りだくさんなところだ。特別な事件が起こるわけでもなく、誰でも共感できるところが素晴らしい。

 要するに、『ねえ、ぴよちゃん』を読むと笑顔になれるのだ。日によって、笑顔のレベルは違って「クスッ」と軽く受け流すこともあれば、「アハハッ」と数秒間笑顔が続くときがある。時には後になって、その回の話をふと思い出してしまうほど感激するレベルの時もあるから余計に魅力的だ。この漫画は小学生の女の子ぴよちゃんとその愛猫又吉(またきち)を中心にして展開する。ぴよちゃんは又吉命でいつも又吉のことで頭がいっぱい、一方の又吉も「ぴよさん、大丈夫か」と心配し、お互いに相思相愛なのが微笑ましい。それから特筆すべきは、ぴよちゃんの友だちがひみこちゃんというお金持ちのお嬢様で、二人はとても仲良しだということだ。家にプールがあり、週末に別荘に出掛けるようなセレブとごくごく普通の家庭の女の子が交流して、そこに笑いが生まれること自体が新鮮だ。

 しかもこのひみこちゃんがよくあるツンデレで、自分が喜んでいるのを他人に悟られないように、精一杯のやせ我慢をする。その姿が可笑しくて、もっと素直になればいいのにとも思うが、そうなってしまっては面白くない。ひみこちゃんにはこれからも本心を隠して行動してもらい、『ねえ、ぴよちゃん』を盛り上げてもらいたい。素直でないことが意外にも笑いを生み出すことに驚かされる。この漫画の作者である青沼貴子さんの発想には脱帽するしかない。

 考えてみると、子供の頃は今よりももっと笑っていたと思う。だが、擦れっからしの心しかない大人の今の私には、そんじょそこらのくだらないことではもう笑えない。日常生活で笑うという機会があまりなくなっていたし、笑うことに対するハードルも高めだった。そんなとき『ねえ、ぴよちゃん』に出会って、いとも簡単に、気軽に笑えるようになったのである。

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竿受け、これがあれば洗濯物を浴室に干せる

今週のお題「買ってよかった2022」

おかげで、部屋干しの煩わしさから解放された

 私は今まで”竿受け”というものがあることを知らなかった。今となっては生活には不可欠なものだが、その存在すら知らずに暮らしてきたのだから呆れるばかりだ。ここ数日もそうなのだが、雨が降らなくても曇りの日が続いていて、洗濯物を外干しできないでいた。いや、そうではなくて、外に干していてもいっこうに乾かないのだ。乾かないから、当然のごとく、家の中は洗濯物の森と化してしまう。何日か分の洗濯物が広がる光景は鬱蒼とした森さながらに、どうすることもできないが邪魔で仕方がない。

 部屋干し用の洗剤とか、いとも簡単に言ってくれるが、とにかく部屋に干しておけば、いつか乾くだろうだなんて悠長なことは言ってはいられないのだ、現実は。だいたいが部屋の中は何もなくても湿度が90%以上で、それに加えて乾ききっていない大量の洗濯物がひしめき合っているのだから。ある日のこと、洗濯物が目の前にちらつくのに耐え切れなくなった私は、乾かなくてもいいから、ベランダに干し場を増やそうと考えた。物干し台というか、洗濯スタンドみたいなものをネットで検索してみた。

 ヤフーショッピングの画像で探すと、あるはあるは実に様々な種類の物干しがあって、見ていたら、あっという間に時間が経った。ベランダ用だけでなく、室内用にも目を向けてみた。鴨居にひっかけて使うタイプで、使用しない時は折り畳めてとても便利なもの干しがあった。他にはカーテンレールにひっかけて使うもの干しもよさそうに見えた。たかが物干しにこんなに興味津々になれるとは驚きだった。かなり真剣に検索して見ていたら、聞いたことがない物、つまり”竿受け”というものがあることを知った。

 その時の私にとって”竿受け”は未知の物で、それが一体全体何の役に立つのかどうかも分からなかった。商品のレビューを読んで自分の目を疑った。「これがあれば、浴室に洗濯物を干せます」と書いてあったので、正直言って「なんのこっちゃ!?」と思った。だいたいが、あのジメジメ、ジトジトしている風呂場に洗濯物を干すだなんて、とても正気の沙汰とは思えない。洗濯物を風呂場に干して乾くのは、浴室に乾燥設備があるマンションに住んでいる友達の家ぐらいのものだ。その友達にしたって、最初は感激して使っていたが、月末に電気代の領収書を見て目の玉が飛び出るほどの金額に怖気づいて使わなくなった。まさに”宝の持ち腐れ”だった。

 なので、レビューにある話は俄かには信じられなかった。だが、よく読んで見ると、この竿受けはマグネットで簡単に取り付けられて、2個セットで2600円でお得だと書いてあった。安くはないが、高くもないリーズナブルな値段の買い物で、快適さが手に入るなら、試さずにはいられない。半信半疑ながら、注文して試してみることにする。長方形の箱を開けると、縦23cm、横6cmの白い竿受けが2個入っていた。早速風呂場の壁に取り付けて、竿はとりあえず家にあった突っ張り棒で代用した。折も折梅雨時で洗濯物の渇きの悪さに悲鳴をあげていた時だった。

 たいして期待もせず、洗濯物を浴室の突っ張り棒にかけ、換気扇を回してそのままにしておいた。半日もすると、あろうことか噓のように乾いているではないか。そのままの部屋干しよりもはるかに乾きがよかった。風呂場を使う時以外は常に換気扇を回して置くようにしたら、天気が悪い時でも一日で乾いてしまうので目から鱗だった。風呂場が洗濯物干し場になり得るという事実が私を驚かせたのだ。まさに私にとっては青天の霹靂とも言える出来事だった。それ以来、天気が悪いとか良いとかにはあまり一喜一憂しなくなった。洗濯物が乾かないというどうでもいいこと、されど、実は鬱陶しいことを気にせずに済むようになった。そんな快適な暮らしを”竿受け”が私にプレゼントしてくれたのだ。

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380円の電動歯ブラシ

今週のお題「買ってよかった2022」

安いのに、想像以上に歯がツルツルになる

 皆さんは歯を磨くときに、電動歯ブラシを使っておられますか。私は長年愛用していて、これほど便利なものは無いと思っていました。でも先日の新聞のアンケートの結果を見て衝撃を受けました。何と「はい」と答えた人は23%で、「いいえ」が圧倒的多数で77%だったからです。私の思い込みではてっきりあんな便利なものを使わない人はいないと思っていたのです。自分で手を動かす必要がなくてラクチンだし、手磨きよりはるかに信用できます。昔歯医者さんで歯磨きの仕方を教えて貰いましたが、自分ではうまくできませんでした。なんだか歯の表面を磨くというよりは撫でまわしているだけで、汚れが落ちているのかどうかなんて怪しいものでした。遥か昔テレビのCMで、きちんと磨けていると胸を張っている人が、歯医者さんに「ほら、こんなに磨き残しがありますよ」とつぶさに指摘されている場面がありました。その時、「自分もきっとそうなのだろう」と確信しました。

 要するに、自分が信じられないから機械に頼らざるを得ないのです。ですが、電動ブラシを使わない人は、その理由として「効果がわからない」を一番にあげているのです。これには正直言って目から鱗でした。さらに「手動の歯ブラシで磨く方が綺麗になる気がする」という意見には目が点になりました。機械よりも自分を信用できるなんて凄いです。電動歯ブラシを使わないその他の理由としては、値段が高いからとか、歯や歯茎が傷つくのが怖いというもので、これらはまあまあ納得がいきます。

 以前10年以上通っている歯医者の先生に「電動歯ブラシと手磨きではどちらの方がいいですか」と質問したことがあります。でも、先生の答えは「どちらでも、好きな方でいいですよ」でした。電動歯ブラシの方が何だかより良く効率的に磨けると思い込んでいた私は拍子抜けしました。それでも「手磨きでうまく磨けない場合は電動歯ブラシの方がいいですよね」と畳みかけると「まあ、そうですね」と言われました。ただ、先生はこうも付け加えました、「いずれにしても、歯の汚れは歯磨きだけでは完全に取りきることはできません」と。つまり歯磨きの後の歯間ブラシやフロスでのケアは大切なのだと言いたいのです。面倒ではあるのですが、ひと手間加えないと、完璧な歯磨きが無駄になってしまうのです。そうやって完璧にケアしているつもりでも、残念ながら虫歯になってしまうこともあるので、歯の定期検診は欠かすことはできないのです。

 私はかれこれもう10年以上前から電動ブラシを使っているのですが、ブラシの劣化については無頓着でした。と言うよりそんなに強い力で磨く方ではないので、ブラシの毛先が曲がったりと言ったような目に見えるような変化はありませんでした。ブラシをどのくらいの頻度で取り替えたらいいのかわからなかったのです。ある日気づきました、もう1年くらいブラシを取り替えていないことに。さすがにこれはまずいと思って、薬局にスペアを買いに行きました。店に行って見て初めて気づきました、スペアはもう少しお金を出せば、新しい電動歯ブラシが一つ買えてしまうくらいの値段で高いのです。

 はっきり言って、歯ブラシと言うのは消耗品です。電動歯ブラシも例外ではなく、やはりいつまでも同じと言うわけにはいきません。衛生面の問題もありますし、毎日使うものですからその効果も落ちてくるでしょう。今使っている電動歯ブラシは1980円のGUMの商品ですが、先日同僚と雑談をしていたら思わず耳を疑いました。何と彼は380円の電動歯ブラシを使っているというのです。そんな安くて大丈夫?ちゃんと磨けるの?とむきになって聞いてしまいました。すると彼は「もちろん、ちゃんと歯がツルツルになるよ」と堂々と言い放ちました。

 彼の使っているのはあまり聞いたことのないスーパーのオリジナル商品で、その辺の薬局にはおいていないそうです。「じゃあ、私にもその電動ブラシを買ってきてくれない」と頼みました。本体が380円なら、ブラシの替えも安いので、頻繁に取り替えて磨くことができます。ただ、効果が本物かどうか試してみたかったのです。私が今まで使っていたのはブラシが回転するタイプがほとんどでしたが、彼のお勧めの電動歯ブラシは音波振動歯ブラシでした。正直言って、うまく磨けるのかどうか不安でしたが、ちゃんと磨けて何の問題もありませんでした。あまり期待していませんでしたが、買ってよかったです。

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しまむらの中綿ジャケット

今週のお題「買ってよかった2022」

値段が2000円なのに、想像以上に暖かい

 先ほど、朝の散歩から帰ってきた。現在のパソコンに表示されている気温は7℃でやはり肌に感じる風の冷たさが昨日とは全く別次元だ。いつもはダウンコートを脱ぎたくなるのに、家に帰って来るまで着ていられた。汗ばんで着替えをしなければ、気持ちが悪かった昨日までが嘘のようだ。昨年と比較すると、今年は寒くなるのが早い。そう言える根拠は、ちょっとした覚書のようなものを見つけたからだ。

 今私は昨年のNHKラジオのまいにち中国語のテキストを復習しているところだが、ちょうど12月のページを捲っていたら、何やら落書きを見つけた。12月14日のページで、それは赤のボールペンで無造作に「今日初めて朝、暖房を入れた」と書いてあった。その理由も付け加えられていて、「寒くて、くしゃみが止まらなくなったので、仕方なく」とある。そう言えば、昨年は12月に入っても冬なのにも関わらず暖かい日が続いていた。このまま行くかと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。当たり前のことで、12月なのだからそんな訳はなかった。12月14日は我が家の初暖房の記念日のようなものだ。

 昨晩の天気予報によると、これからは気温がぐっと下がるようで、エアコンのスイッチを入れる日も近そうだ。12月1日に政府の節電要請がでたばかりなのに、来春の電気料金の45%の値上げが発表されたばかりなのに、どうやってこれからが本番の冬の寒さに立ち向かっていけばいいのだろう。懐は痛むが、背に腹は代えられない。節約のためと言っても、身も凍えるような寒さに耐えるのは辛い、いや、そんな根性は生まれながらに持ち合わせていないのだ。だからその場限りの考えで「まあいいか」と後先考えずに暖房のスイッチを入れてしまうに決まっている。

 外の寒さには耐えられても、部屋の中の寒さには耐えられない。特にじっとしている時の寒さはいくら着込んでも、悲しいことに電気の力を借りずにはいられない。なるべく電気のお世話にならずに暮らしたいと思っているのに、現実はままならず無力感でいっぱいになる。そんなある日新聞にしまむらのチラシが入っていた。いつもはチラシはあまり見ないようにしているのだが、この時はなぜか気になった。しまむらが3日間バーゲンセールをしていて、広告にはなかなかよさそうに見えるジャケットの写真が載っていた。それがなんと2000円で消費税込みでも2200円だというから驚いた。中綿が入っていて、ダウンではないので値段も安いのだが、それにしても2000円はありえないと思った。

 チラシが入っていた翌日に通りかかったついでにしまむらに寄ってみた。私が住んでいる地域にあるしまむらの店舗は1階がスーパーになっていて、2階にあるので買い物帰りについでに行けて便利だ。こう書くと私が普段から行っていると誤解されてしまうかもしれないが、実はほとんど行かない。要するにしまむらの商品で私が欲しいものは無いという先入観から足が向かなかっただけのことだ。昔一度友達について行ったことがあるが、予想通り私には合わなかった。

 でも今回はお目当ての中綿ジャケットを物色するという目的があった。階段を上って2階のしまむらの店舗に入ると、洋服の森の中を他の商品には目もくれず中綿ジャケットだけを探す。ジャケットはちょうど目線の高さに陳列してあったので、すぐにわかった。商品はあと2着しか残っていなくて、おそらくいっぱいハンガーがかかっていたであろうポールはスカスカになっていた。早速品定めをしようと商品を手に取った。アイボリーとブラウンの2着だが、アイボリーは汚れが目立つのでがさつな私には向かない。ブラウンの方を触ってみると、中綿がぎっしり詰まっているので、「これなら買う価値がある」と判断した。

 広告に2000円と表示されていたので、品質を疑ってかかったが杞憂に終わった。 もっとも安いのだから仕方がないとも言えるのかもしれないが、そんな商品はいくら安くても買いたくはない。その点において、この中綿ジャケットは、「買ってよかった」といえる商品だ。元々期待などしてはいなかったので、余計に「これは得した」と感じるのかもしれない。

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物々交換でお互いにハッピー

お裾分けで予期せぬ幸運が2,3日

 2,3日前に東北の親戚から「今年取れたお米を送るから食べて」と電話があった。実を言うと、去年は草取りをサボったのであまりいい米がとれなかったと嘆いていた。だからこそ今年は頑張ったらしい。「美味しいお米が取れました」と自信満々に語っていた。これは期待できそうだとウキウキして宅急便が来るのをひたすら待った。次の日はさすがに無理かとあきらめて、翌日に期待する。それに家の米びつがもう少しで底を突くところだったから、よけいにドキドキした。こんな絶妙なタイミングでお米をよそ様から頂けるのは滅多にないことだ。今まで感じたことがない、心から嬉しくて、ありがたいと思った。ところが宅急便は待てど暮らせど来なかった。夕方になっても来なかったので、「今日も来ないのか、どうしよう」とお米の心配をしたら、そこへインターホンのチャイムが鳴った。いつものクロネコヤマトの宅急便かと思ったら郵便局の人だった。危機一髪、もう少しで明日の朝のご飯にありつけないかとの思いが一瞬頭を掠めたが、ぎりぎりセーフ。なんとも嬉しい出来事だった。

 早速届いた段ボール箱を開けてみると、お米と一緒にりんごが入っていた。完熟のサンふじで、その匂いと味でスーパーのりんごとは一線を画していて美味だ。果肉は固めで、歯ごたえが抜群、噛むと甘酸っぱい果汁がジュワッと口の中に広がる。もちろん送ってくれるのはそんなに値段が高いものではないが、最高級品になるとひと箱10万円もするというのだから腰を抜かしてしまう。今まで食べた中で一番美味しいりんごは、メロンと錯覚するような、そんなとろけるような触感のサンふじだった。

 御近所にお裾分けする前にまずは自分で試食しようと、包丁でりんごを半分に切る。切ったりんごの断面を見て、「あれ~、蜜がない!どうして」と少しがっかりする。だが皮を剥いて八つ切りにしたりんごを食べてみると、いつも通りの味だった。蜜がある方がいいにはいいが、ただ、蜜があると腐りやすいのが欠点だ。「これなら人様にあげても大丈夫」と確信し、レジ袋に2個づつ分けていれた。自分の家の分は2個あれば十分で、何を隠そう私はりんごがあまり好きではないので、正直言って早く片付けたかった。

 まずは隣の家のチャイムを鳴らして「田舎から送って来たので、食べてください」と言うと、嬉しそうに受け取ってくれる。次の家も同様だったが、その中で対応が少し違ったのが藤井さんの家だった。ずいぶん前に旦那さんが亡くなって一人暮らしの藤井さんは80歳の高齢で、最近少し具合が悪いと噂に聞いていた。玄関に出て来た藤井さんは見た目は元気そうだったが、一日中耳鳴りが酷くて辛いと嘆いた。そのせいで町内会の役員を少し前に辞めていた。私がりんごの袋を差し出すと同時に、「今ちょうどお宅に行こうかどうか迷っていたとこなの」と言われたのでびっくりした。

 旦那さんの故郷の福岡から明太子が送られてきたので、ご近所に配っているところだった。「あなたが来てくれたので、行く手間が省けた」と言いながら、台所から明太子の入ったタッパーとアルミ箔、それにラップまで持ってきた。ふと見るとタッパーにはプリプリした、丸々と太った明太子が寝そべっていたので、思わず涎が出そうになった。おそらくこんなおいしそうな明太子を買ったら、物凄く高いだろう。昨今の物価高の折も折、こんな幸運にありつけるとはなんとついているのだろう。藤井さんはタッパーから太めの明太子を二つ取り出してアルミ箔の上に乗せてくれた。

「りんご2個と明太子ではどう見ても釣り合わないですよ」と私が指摘すると、藤井さんは、「私にとっては明太子よりもりんごの方が価値があるの」と反論した。もちろん明太子は大好きだが、年を取って辛い物が苦手になったので、りんごは大歓迎なのだ。それにちょうどお返しに知り合いに家にあるりんごをあげてしまったところだった。りんごを食べたくなったが、残念ながらりんごが家にはない、悲しい状況だった。そこへ不意に現れたのが私で、なんとりんごの入った袋を持ってきた。

 藤井さんにとって私は救世主、またとないタイミングでチャイムを鳴らしたというわけだ。一方の私は普通ではありつけていなかったであろう明太子をご馳走になった。「物々交換っていいですねえ」と私が感激して言うと、藤井さんもニッコリ頷いた。

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Sさんはひとりが好きな自由人

夫が亡くなっても、何も変わらない

 昨日知人のSさん(ササモトさん)のことを書いたが、今日もその続きを書くことにする。Sさんの口癖は「私はひとりで自由がいいの」だが、夫が亡くなっても、どうやらそれは変わらないらしい。つまり、本人は口には出さないが、心の底から寂しいという気持ちは皆無のように私には感じられた。もっとも私は本当の意味でSさんのことをよく知らないし、Sさんの夫婦仲がどうだとかは知る由もない。夫婦共に卒のない常識人で、見かけたら挨拶をして、世間話をするような軽い関係だった。ご主人は普段から身体の中に石が貯まりやすい体質で、当時は手術を受けるために病院に検査入院していた。だが、不幸にもコロナに院内感染し、そのまま亡くなってしまった。ある日突然、病院から電話があって「ご主人は亡くなりました」と告げられたというのだから仰天する。

 ドラマでよくあるように病院から「ご主人が危篤です」と呼びだされて、最後の面会をすることもかなわず、夫との永遠の別れを経験した。さすがのSさんも当時のことを語るときは幾分か興奮気味になるのだった。夫が亡くなってひとり残されてしまったが、基本的に生きる姿勢は変わらない。「寂しくはないのですか」と尋ねると、「元々、以前から、あの人(Sさんの夫のこと)は生きていたくなかったから」だなんて衝撃的なことを言われてこちらはドキドキした。ええっ!?生きていたくないってどういうこと?と困惑し、返す言葉を探すが見つからない。

 そんな私の動揺を気にすることもなく、Sさんは「あの人は仕事をするのが辛くて、もう生きているのが嫌だったの。だからしようがないのよ」ときっぱり言った。続けて「夜中なんてねえ、寝言で何か叫んでいることもあった。そんなときはギョッとして何事かと飛び起きてしまったわ」とも話してくれた。要するに、Sさんの夫は仕事の人間関係で疲弊していて、ストレスに押しつぶされそうになっていた。毎朝、嫌々仕事に行っていたわけだが、私が見たご主人はいつも元気そうで穏やかな人でしかなかった。

 だから、Sさんから真実を聞かされて、俄かには信じられず、人間は外見では何ひとつわかったものではないと驚かされた。そうなのだ、人は誰でも本当の心を隠して生きているものなのだ。ご主人も生きていることに絶望していたのに、外では他人にそんな素振りは一切見せなかった。それどころか、私に「いつも元気で感じのいい人」だと思わせてくれた。今思うとなんだか切なくなってしまう。もう生きていたくない人と一緒に生活していたSさんの心模様はどんなだったのだろうか。ご主人の心の叫びを十分にわかっていたからこそ、亡くなった現実を肯定できるのかもしれない。どうせ生きていても辛いだけなのだから、それならいっそのこと、本人の希望通り亡くなってしまった方が幸せなのではという考え方も可能だ。

 生きていくための仕事って、どうしてそんなに辛いのだろうか。地球上に住む同じ人間なのにどうして分かり合えないのだろうか、などと不毛な考えを巡らしたら、時間を無駄にすることにもなりかねない。考えても考えても答えが出ない、人生における永遠の宿題と言えるだろう。「人間関係が劇的に変わる」などと言うキャッチフレーズのビジネスの啓発本を何万冊読んだところで、対応できるものではない。本に載っているタイプ別対処法は複雑な人間の心模様にはたいして役に立たず、無用の長物になりかねないのだ。

 現在のSさんは相変わらず自由を満喫しているが、常にスマホで友人や息子夫婦と繋がっている。ラインで繋がっているのは分かるとしても、息子やその嫁、子供たちともゲームで繋がっている、と聞かされた時は目が点になった。なんでも息子がスマホにゲームのアプリを入れてくれて、時々一緒に遊ぶと言うのだから面白い。それにしても母親のことをこんなにも構ってくれる息子も今どき珍しいではないか。詳しいことは分からないが、息子はSさんの家から少し離れた自分の住んでいる町に母親が引越してくることを切望しているらしい。その理由が自分のふたりの子供の面倒を見て欲しいからなのか、あるいは純粋に母親のことを気にかけているのかは定かではないが。現在においてはSさんの息子は絶滅危惧種と言っても過言ではないと思うが、どうだろうか。

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常に誰かと繋がる

ひとりで自由にやるのが好き、されど・・・

 先日の土曜日に歯医者に行くついでに、知人のササモトさんの家に立ち寄った。しばらく顔を見ていなかったので、どうしているかなあと日頃から思っていた。それに以前私が奢るからと近くにある資料館に併設されているカフェに無理矢理誘ったのに、結局はササモトさんに払わせてしまったからだ。なぜそんなにそのカフェに行くことにこだわったかと言うと、その店に有名な老舗のモナカが置いてあるからだった。そのモナカは何か月先まで予約でいっぱいで、直接買うことは不可能だった。新聞で紹介記事が載っていたこともあり、ついつい気持ちが抑えきれなくなり、ササモトさんを巻き込んだというわけだ。

 ササモトさんはいい人だから、私に付き合ってくれた。おかげで、私は自分の目的を果たすことができた。一方のササモトさんは心中では「何、この人!?」と快く思っていなかったのかもしれない。それでも私が「これがあの有名なモナカなのですよ」と興奮気味に言うと、「これがそうなの!?」と共感するのを忘れなかった。実際のモナカは「これ、ちっちゃい」とため息が出るほどの”小物”で、そのあまりの小ささに仰天した。でも、すぐに気を取り直し、一口でも食べられそうなのに、大事に大事に味わって何口にもわけて食べた。そんな貴重な?体験を共にした相手なので、あのモナカのことを思い出すと、ササモトさんの顔が浮かんでくるのだった。

 彼女は年齢は70代ぐらいで、夫と二人でアパートの1階に暮らしていたのだが、1年ほど前にコロナで夫を亡くしていた。以前は毎日仕事に行っていたが、今はいつも家に居るから、「時間があるときに立ち寄ってね」と言われていた。まあ、社交辞令なのだろうが、こっちは以前の借りがあるので、義理を果たすまでのことだった。家を出る時は気づかなかったが、通りを歩いていたら空腹を感じた。時計を見たら、お昼の12時を回っていた。「失敗したなあ、何か食べてくるべきだった」と後悔したが、ちゃんと遅めのお昼ご飯を食べるには食べたはずなのだが。

 それでもササモトさんの家のベルを鳴らして、彼女の顔を見たときは空腹を忘れていた。突然の来訪に「ごめんなさい、こんな格好で。今起きたばかりなのよ」と明らかに戸惑っている様子だが、顔は笑っていた。「歯医者に行く途中なので、ちょっと寄ってみたのですが」と言いながら、家から持ってきたお茶とお菓子が入ったレジ袋を差し出した。少し立ち話してから帰ろうとすると、「部屋が散らかってるけど、よかったら上がっていきませんか」と誘ってくれるのでお言葉に甘えることにする。

 夫を亡くして、ひとりになってから、好きな時に寝て好きな時に食べる、自由気儘な生活を満喫しているらしい。息子に一緒に住んでくれるように頼まれているのだが、それは断固拒否していた。「とにかく、ひとりで自由が好き」がいつもの口癖だ。そんな彼女も最近少し気になることがあった。それは友だちや息子の家族とラインで繋がることが面倒になってきたのだ。夫を亡くした彼女を誰もが「ひとりだから心配だから」とか言ってメールを送ってくれる。何かあったらいけないからと常に「生きているかどうか」の確認メールを有難いことにくれるのだ。

 例えば、朝は「おはよう」で、こちらも当然「おはよう」と返す。夜は「おやすみなさい」で、また「おやすみなさい」と同じことを繰り返す。これが毎日続くというのだから、私がササモトさんならめんどくさくて嫌になる。想像どおり、彼女も少し息苦しさを感じ始めていて、知らんぷりをしてスマホを見ずに3日ぐらい放って置いた。すると膨大な数のメールが溜まっていたので、腰を抜かしてしまった。「大丈夫?」とか「何かあったの?」だのとの文面に心がざわついた。自分の周りの人たちはどうやら常に、おそらく24時間繋がっていたいらしく、自分にもそうなることを求めているのだった。

 確かにササモトさんはいつも部屋でひとりでいる、でも実際はスマホを通して常に誰かと繋がっている。だから、ひとりでいても孤独を感じることはないのだから、むしろ幸せだと言えるかもしれない。まあ、それも考えようによってだが。しかし、考えてみると、常にメールすることを強要されているようなものなのだから、そうなると自由ではなくなる。生存確認のためには必要と言われても、これでは監視されているのと変わらないのではないか。こんな見方をする私は少しひねくれているかもしれないが、ササモトさんの自由は脅かされていることに変わりはない。

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