人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

東京ハイダウェイ

懸命に働く人の隠れ家はどこに

 古内一絵さんの『東京ハイダウェイ』を図書館で借りて読んだ。実をいうと、古内さんの小説はこれまで読んだことはなかった。そのお名前さえ聞いたことはなかったとばかり思っていたが、以前から新聞の新刊案内などで、著書名だけは見かけたことはあった。その本はたしか食に関する小説だったが、大して興味も湧かず、通り過ぎたまま忘れていた。今回、古内さんのこの『東京ハイダウェイ』を読もうという気になったのは、小説のテーマが”隠れ家”に関することだったからだ。コンクリートジャングルの中にある働く人々のために隠れ家とはいったい、どのようなものなのだろうか、という素朴な疑問から好奇心が噴出して止まらなくなった。

 となると、今すぐにでも読みたくなった。今のこの機会を逃したら、永遠に読む機会を失くしてしまう。林修先生の名言ではないけれど、まさにそれは”今でしょう”だった。興味が沸き起こったその時が旬で、時が過ぎれば、泡のように跡形もなく消えてしまう、頼りなくて、あやふやな感情、それが私にとっての好奇心だ。となれば、すぐに行動に移さなければならない、最近は本を探す場所は本屋ではなく、もっぱら公立図書館のサイトで、そこでだいたいの本は見つけられる。こう書くとさも当たり前のように聞こえるかもしれないが、以前から考えれば、画期的に素晴らしいことだと言える。

 なぜなら、近所の本屋で探しても見つからない新刊本が図書館のサイトで簡単に発見でき、しかもすぐに取り置きメールが送られてくるという幸運にありつけるからだ。この『東京ハイダウェイ』も幸か不幸か予約が入っていなくて、私が借りるのを待っていてくれた。かくして私は首尾よく、新刊本を無料で真っ先に読む幸運を手にした。それなのに、足の不調で少々疲れていた私は読む気が失せていて、パラパラとしかページが捲れなかった。だが、どうしたことか、気が付いたら、いつしかストーリーを追っていた。この本は短編集だが、それぞれ独立した話ではなくて、それなりに繋がっている。そのため物語の展開に気を取られ、結局最後まで読むことができた。

 インターネットでショッピングモールを経営する企業に勤める若い社員、矢作桐人の隠れ家はなんと、プラネタリウムだった。新聞の紹介記事によると、「東京のビル群の間にある港区立みなと科学館で昼に無料のプラネタリウムのプログラムがある」そうだ。仕事人間の桐人は偶然、オフィスの近くにまたとないオアシスがあることを知って、それ以来お昼休みには自然と足を運ぶようになった。この科学館はコロナ禍にできたばかりの施設で知る人ぞ知る秘密の穴場だと言えるらしい。誰もが、まさかあんなところに絶好の癒やしの空間があるとは夢にも思わないだろう。だからこそ、そんな事情があるからこそ、プラネタリウムを見ながらの20分間が余計に輝くのだろう。

 桐人がこの隠れ家を発見したのは、同期だが、口をきいたこともない神林璃子の後をつけたからだった。大した理由もなく、昼休みに彼女を見かけ、「どこに行くのだろう?」と付いて行ったら、プラネタリウムと遭遇したに過ぎなかった。何の目的も悪意もない自然な行動だった。気づかれないように、様子を窺ったら、横になって目を閉じている彼女は涙を流していた。「知ってる?ここでは会いたい人に会えるんだよ」と彼女は桐人に教えてくれる。

 では一体全体彼女は夢の中で誰と会っているのか、と思ったら仰天した。「ここではいつも彼に抱かれる」という言葉からてっきり恋人だと思っても無理はない。だが、それが従兄で、13年前に亡くなった別の恋人がいる男性だったことから、私の頭はもうついて行けなくなった。何という執着心なのだろう、過去の出来事にこうまで囚われていることに、残念ながら首を傾げざるを得ない。彼女の心の闇は恐ろしく深い。

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