年が明けて、日経のプロムナードの執筆者のメンバーが新しく変わった。土曜日の担当は瀬戸山美咲さんという方で、私は聞いたこともないが、劇作家だという。その瀬戸山さんが歯医者さんとのかかわりについて書いていた。瀬戸山さんは幼い頃から虫歯に悩まされ、歯医者さんにしょっちゅう通っていた。だが、それで慣れていて平気かというと、そうではなくていつも逃げ出す前提でいたというから、驚かされた。たとえば、虫歯の詰め物をする途中で、音信不通になるとか、次回の予約を無断でキャンセルするとかと言った反則を平気で繰り返していた。まあ、私の周りにも、そんな輩はけっこういるが、後で必ず重い代償を払うことになるのは目に見えている。
その一方で、歯医者さんが怖いという気持ちも実によくわかる。これだけ技術が進歩しても歯医者のあの不気味で不快な音は昔とちっとも変わらない。歯医者をサボったら、倍になって返って来るという戒めを自分に課している私も、正直言うと、さっさと帰りたいと治療の間中思っている。できれば、歯医者の先生と日常会話などしたくはないのだが、相手が話しかけてくるからどうしようもない。要するに、私が今通っている歯医者さんは話好きなのだ。例えば、仮歯の調整をしながら、天気や私の田舎についての話をしてくる。私にとっては迷惑そのもので、人として関わりたくないと内心思っている。決して先生が嫌いなのではなく、歯医者という職業にどうしても抵抗があるからだ。私としては、予約時間に行って、必要な治療をして貰い、歯に関することだけの会話をしてさっさと帰りたいと思っている。歯に関してどうしようもない無力感を抱いているから仕方がない。それに、先生にいつも言われる、「歯を健康に保つのにゴールは無いのですよ」というフレーズも私を怖がらせる。要するに、私と先生とは死ぬまでご縁が続くということだ。
瀬戸山さんは、これまでの自分の行動を反省し、都心の歯医者に通い始めた。はて、どうしてわざわざそんな遠いところにと首を傾げたが、それにはちゃんとした理由があった。それは「近所の歯医者だといつか行くと言い訳して行かなくなるので、電車を乗り継いで行くような歯医者を選んだ」そうだ。でも、だいたいがそんな遠いところだと、行くのが面倒臭くて余計に行く気が失せるのではないか、と思ったら、2年も続いているというから素晴らしい。あちこち欠けていた歯も入れて貰って、とても満足しているという。そんな瀬戸山さんが、治療以外で歯医者さんと会話したいと思ったのは、自分が関わる芝居に歯医者さんが4人も登場するからだった。ぜひ、先生に芝居を見に来て貰いたいと心から思わずにはいられなかった。それで勇気を出した演劇のチケットを渡すことに成功し、実際に先生も見に来てくれた。それ以来これからは先生ともっと気軽に話したいと思えるようになった。
瀬戸山さんの話はあるきっかけがあれば、意外なところから道は開けると頷かずにはいられない話だ。そう思いながらも、私はやはり歯医者さんとはあまり仲よくしたくない。その理由は何と言っても、先生の性格や人柄に難があって、歯医者として腕がいいことだけに信用を置いているからだ。実を言うと、もうずいぶん長い間通っているにも関わらず、私は先生の苗字を知らない。そうなのだ、先生はあの歯科医院で歯科診療を主に担っているのに、経営者ではなく、雇われの身らしい。1週間の中水曜日は別の先生の担当で、その人が本当の経営者だ。私も一度、診てもらったことがあるがあまり腕が良くないらしく、患者さんの予約が入っていなかった。近所の人の話ではやはり、いつもの先生の方が評判がいいらしい。
さて、今の私が気になっているのは、歯医者の診察台にある水のコップが3分の1しか入っていないことで、これってもしかして経費節減の一環としての処置なのだろうか。たしか、以前は半分ほど入っていたはず。これでは口をゆすぐときに何度もやらないと、口の中がスッキリしない。どうでもいいことかもしれないが、ある意味ストレスになりつつある。
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