人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

5年前と比べて、貧しくなったと感じますか

61%の人が物価高に悩んでいた

 今週の朝日新聞の土曜版Beの読者アンケートbetweenのテーマは「貧しくなったと感じますか」だった。61%の人が「はい」と答え、その理由の筆頭にあげたのは、食費が増えたことだった。毎日食べるものにお金がかかるようになったのだから、嫌でも物価高を実感せずにはいられない。以前のように、節約志向でできるだ出費を抑えようにも、何でもかんでも高いのだから、もはやなす術がない。まさか、毎日庶民の味方であるもやしで間に合わせるわけにもいかない。「もやしは世界を救う」とはあるテレビドラマの中でヒロインがしょっちゅう口にする言葉だが、私はもやしとは縁がない生活をしている。要するに、もやしを使った美味しい料理を知らないので、付き合えないだけなのだ。

 なので、私は物価高に抗うことなど一切せずに、悩んでも無駄だときっぱり諦めていた。ところが、いつからだろうか今年に入ってからだろうか、大すきなお米の値段が2倍にもなって、目玉が飛び出るような価格になった。しかも、スーパーの棚からいつも買っているお米だけでなく、他の種類のお米も全て消えた。そんな信じられない光景に狼狽え、恐怖さえ覚えた。店員さんに尋ねると、「いつ入荷するか、わかりません」などと頼りない返事が返ってきた。こうなると、背に腹は代えられない。とにかくどうにかしてお米を確保せねばと躍起になり、いつも利用しない宅配のパルシステムに入会した。

 当時、新聞に載っていた津村記久子さんのエッセイに、「お米が買えないので最近はじゃがいもばかりを食べている」と書かれていたのには仰天した。じゃがいもがご飯の代わりになることが私には信じられなかったからだ。もちろん、お金がなくて買えないのではなく、街中のスーパーをしらみつぶしに探しても、お米がないのだからやむを得ないのだ。そのうち、やっと待ちに待ったお米が出て来て喜んだら、なんと値段が2倍というあまりうれしくない事態になった。何人もの人がお米の棚の前で立ち止り、躊躇したあげくの果てに手ぶらで立ち去るのを目撃した。それでも、私は高いお米でも自分の好きなブランドでなくても、迷うことなくカゴに入れて買う。なぜなら、お米無しでは一日も過ごせないからだ。その代わり、以前のようにはお米を粗末には扱うことはなくなった。古いご飯を捨てるなんてとんでもない。最後の一粒まできっちりと食べるようになり、自分にとってのお米がいかに不可欠なものかを再認識させられた。

 周りの人たちは、お米の代わりに麺類やパンを食べて凌いでいるようだが、私にはできない。なぜなら、麺類やパンでは腹持ちが悪くて、お腹一杯にはならないからだ。最近読んだ光浦靖子さんのカナダ留学の本には、「最初の頃はいつも腹7分目でお腹を空かせていた」と書かれていたので、一瞬首を傾げずにはいられなかった。その理由を知って仰天した。要するに、光浦さんは50年もお米の生活をしてきた。そんな人がカナダの小麦粉生活にすぐに適応できないのは明らかだ。ホームステイ先のマザーが作ってくれる料理は文句なく美味しい。だが、光浦さんは満腹になることはなく、ついついスナック菓子に手が伸びて、一袋すべて食べてしまうのだ。そんな生活をしていると、体重が増えて、あっという間に10kgも太ってしまった。

 だが、幸運なことに光浦さんに転機が訪れた。語学学校に通うためにアパートに引越しをすることになったのだ。そのおかげで、アジア食材を扱う店に通うようになり、お米の生活を始めた。すると、見る見るうちに体重が落ちて、元の体型に戻れた。やはり、お米は日本人の体質にあっていて、毎日食べても飽きがこない不可欠な食べ物だ。考えてみると、今までお米は安すぎたのかもしれない。私たち消費者にとってはそれは安ければ安い方が良いに決まっているが、生産者の人たちにとっては果たしてどうなのだろうか。浅薄な私は今までそんな考えには及びもしなかった。

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