人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ブログが無くなる日

あたかもこの世の終わりのような気分に

 昨日の朝日新聞天声人語を読んで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。何と、そこには、「『ブログの時代は終わった』そうだ」と書いてあったからだ。私は知らなかったが、gooブログが11月で閉鎖されるとのこと。さらに、「LINEもYahoo!もすでにブログサーブスをやめており」とあるではないか、そんな危機的状況にあることに全く気付かなかなったとは、おバカ以外の何ものでもない。そう言う状況で、今、はてなブログを開いたら、「gooブログからの移行」のフレーズを発見し、なるほど!と納得している次第だ。「栄枯盛衰が世の常である」と書いてあるが、その通りなのだから、抗いたくても何もできない。世の中の動きに流されるしか、私などは術がない状況だが、ブログが無くなったとしても、生きる気力を失くさないように心構えだけはして置こうと思う。

 なぜなら、今こうして書いているブログは私の生きがいのひとつであり、不可欠なものだからだ。1月に足を怪我して、四六時中痛みに襲われている時はさすがにブログを書くのは無理だと思った。だが、今まで生きがいだったブログをやめることは、物凄く寂しい事だった。最初は書けるところまで書けばいいと、自分に猶予を与えて、最後まで書かなければならないというプレッシャーを軽減しようとした。私が勝手に決めているノルマの字数は1500字で、時間は1時間を目安にしていたが、いざ書いてみると、ブログの時間だけは、痛みを忘れられた。駄文をああだこうだと書き流すだけのロクでもない文章だが、文章の書き方のお手本としている人はちゃんといた。エッセイストの岸本葉子さんはその一人で、日経の夕刊に毎週水曜日に連載されているエッセイ「人生後半、初めまして」を大いに参考にさせていただいた。

 私のブログは日常生活の中で発見した耳寄りな情報を主に書いていたが、今年の1月からは、全くの療養日記に成り下がっていた。誰かに読んでもらいたいというよりは、自分がその時どう感じたか、どんな気持ちで生活していたかを重視するようになった。後から自分で読んで、当時を振り返る記録として、残したいと思うようになった。 当時を振りかえる証拠としてのブログはなかなか素晴らしい記録媒体だと今なら思える。たとえ、それが一瞬にして消えてしまう日が来るとしても、全て紙に印刷して残しておきたいなどとは思わない。過去の記憶は自然と消えて行くのが常だが、ブログを書いた日々は永遠に心の中に残っているはずだ。いつ来るかわからない、いや、もう目前に迫っているかもしれないが、私はブログ最後の日まで、嬉々としてブログを毎朝書き続けたい。だって、ブログは美味しい食べ物など問題にならないくらい、私にとっての生きがいとも言える存在なのだから。

 足が痛くても、ブログの時間だけは痛みが消えてくれる。不思議なことに、絶対無理だと思っていても、なぜか集中できて、前向きになり明るい気分になれる。精神安定剤のごとく、私をうつ状態から救ってくれる。これをブログを書く効用と言わずしてなんとしようか。書いて気分転換、憂さ晴らしをし、せいせいするための格好の手段である。人様に言えない自分の心の中のモヤモヤを晴らすためのツールと言ってもいい。私もブログ初心者の頃は自分の稚拙な文章を誰かに読まれるのが恥ずかしくて、ドキドキしていた。緊張もしたし、「公開する」ボタンをクリックする時はさすがに躊躇した。ところが、今となったら物凄い変わりようで、何も考えずに気軽にボタンを押せるのだから我ながら恐ろしい。どうせ私のブログなんて、誰も読まないから大丈夫!と気楽に構えているからだ。

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