人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

病名は神経痛

痛みの原因は腰ではなかった

 先のブログで、右足の痛みがひどかったので、いつも行く町の診療所で診てもらったことを書いた。その時は先生に、「これはベーカー嚢腫の痛みではなくて、筋肉の痛みです。どうやら腰からきているようですよ」と言われた。自覚はなかったが、右膝の関節に水が溜まっていたので、その痛みのせいもあるとの診断だった。まずは様子を見て、2週間したらまた来てくださいとの言葉に素直に従うつもりだったが、そうは問屋が卸さなかった。膝に針を刺して、関節液を抜いてもらったのにも関わらず、痛みは収まるどころか増すばかり。そのうち何とかなると楽観していたが、どうやらそんな場合ではないようだ。一体全体、座ってじっとしていても、ジワジワと襲ってきて、立ち去ろうとしない痛みはどこから来るのだろうか。

 早くその原因を知りたくて、診療所に朝一番に飛んで行った。先生は、私に、「どんな時にいちばん痛いですか」とか、「その痛みはどの程度の痛さなのですか」と尋ねて、痛みの全容を詳しく知ろうとする。正直言って、本人ではない第3者に痛みについて説明をするのはなかなか大変なことで、それに、こちらもわかってもらおうと期待しているわけでもない。だが、できる事なら一分一秒でも早く今の痛みを何とかしてほしいのが本音なのだ。だからと言って、先生に直情的に訴えることなどできないし、また先生も戸惑うだけのことだろう。

 ただ、私は自分の痛みの原因がどこにあるか知りたかっただけなのだ。先生に「おそらく、腰からきているのでしょう」と言われたとき、物凄く心外だった。今まで腰が痛くなったことは一切ないし、また今回も腰に痛みはない。先生から促される前に、腰のレントゲンを撮ってくださいとお願いした。撮影した画像を見せてもらうと、たいして悪いところがないことがわかった。では、痛みの原因はいったい何なの?この痛みはどこから来るの?と、頭の中がモヤモヤし始めた。先生から言われた病名は”神経痛”で、何それ、筋肉の炎症だからそうなるのだろうか。以前、同僚や知り合いから耳にたこができるほど聞かされたのは、医者がきちんと直してくれようとはせず、ただ単に、”年齢的なもの”ですべて片付けようとすると言う嘆きの数々だった。

 私の場合もそれと似たようなもので、原因を追究することは無理なようだ。なぜなら骨折とは一線を画して、筋肉の痛みのメカニズムは解明されていないからだ。なので、先生も私に、「2種類の薬で様子をみましょう。また2週間したら来てください」というしかないのである。今回の薬は痛み止めは含まれていない。血流を促す薬のリマプロスアルファデクス錠を一日3回と、神経性の痛みを和らげる薬タリージェ錠を夕方1錠飲んんで、様子をみるしかないのが目下のところだ。

 神経痛と診断されたことで、私は少し自分の痛みに関して、良くも悪くも諦めがついた。正直言って、今回は去年に引き続いて、また予期せぬ痛みに襲われたことで狼狽するあまり、早く元通りになりたいと言う性急な欲望が働いてしまった。その心の葛藤のせいで、目下の痛みとあまりにも真剣に向き合い過ぎた。足の痛みのこと以外はすべてどうでもよくなって、頭の中はそれだけみたいな状況だった。まるで、がんの余命宣告をされた患者のごとく、絶望感に苛まれた。「もう早くどうにかして欲しい」とばかりに先生にかみついた、いや、もっともこれは心の中でのことだが。

 神経痛かと思ったら、そうすぐには良くならないことはわかりきっている。今すぐ実現できないことを嘆いてもどうにもならない。だから、間違っても、痛みと真剣勝負をするなんて馬鹿なことはしない。痛みからできるだけ気をそらし、暢気に構える、これくらいの痛みなんて、へっちゃらとばかりに余裕を持つしかなさそうだ。

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