
家がないなら歩けばいい、という発想に目から鱗
目下の私は朝比奈あすかさんの小説に出て来るヒロインの夫のごとく、自分で自分の機嫌を取ることができないでいる。世間の人は皆誰もが、自分でも気が付かないうちに自分を宥め宥めて何とか自分の気持ちに折り合いをつけて生きている。それなのに、彼はそれが全くできない人なので、実に厄介で、こちらは腫れものにでも触るように扱わなければならない。そんな彼女の嘆きは、やがて人生における重大な決断を下すのに十分な要素となっていく。
さて、今の私も自分で自分の機嫌を取れないでいる。そうなったのにはもちろん原因があって、それはもう明らかなのだが、解決策が見あたらない。指折り数えてみると、プールに行き始めてから、早8カ月にもなると言うのに、足の痛みはなかなか消えてはくれない。その上、関係のない腰や肩までもが痛いとなれば、「一体全体どうなっているの?」とだれかれとなく問いただしたくもなる。だが、そんなことを声高々に叫んでみたとしても、変な人としか思われないだろう。それで、今の状況に納得のいかない私は、苦虫をかみつぶしたような顔をして、黙々と水の中を歩くしかない。顔見知りの人に挨拶されても、ただロボットのように同じセリフを繰りかえすだけだ。以前の私なら、挨拶の後になにか一言付け加えただろうが、今ではその気力もない。
そんなとき、本国のイギリスのみならず、世界で100万部のベストセラーになったレイナー・ウィンの『ホームレス夫婦、『塩の道」1014キロを歩く』のことを知った。最初は日経新聞の書評でみかけて、面白そうだと思い、早速、図書館サイトで検索をした。幸運にもヒットし、おまけに誰も借りていないので、すぐに手元に届いて、読み始めた。最初のページを開いて椅子から転がり落ちるような衝撃を受けた。彼ら夫婦は一夜にして、自分たちの家、土地、お金、これまで築き上げてきた物のすべてを失った。親しい友人の裏切りによって、ホームレスになった彼らは、イギリスの南海岸を歩くことにした。彼らというより、妻のレイナー・ウィンの発想は、「とにかく歩きましょう、行くところがないのだから、歩くしかないわ。それに何もしないでぼうっとして過ごすよりましでしょう」というものだった。
考えても見て欲しい、住む家がないなら、行くところがないなら、歩けばいいと言う発想は果たして私たち日本人に思い浮かぶだろうか。歩くと言っても、日中は歩けばいいが、夜は如何すればいいのだろう。そこらへんは全然大丈夫、どこかでテントを張ってキャンプをすればいいのだ。日本でも昨今はひとりキャンプと言うのが流行っているらしいが、日本人にとってそれは一握りの人たちの趣味なのではないか。だが、先日帰省した時、お気に入りのカフェに行った帰りに見慣れない店を発見した。それはキャンプ用品を売っている店で、こんな田舎に?と困惑してしまった。それくらい私などが知らない間にキャンプの人気は鰻上りなのだろうか。
話は逸れるが、毎日通うプールは大きな公園に隣接していて、そこでよくホームレスの人を見かける。彼の側には大型のキャリーケース2個と、引き出しのついた収納ボックス2個が置かれている。それらは彼の大事な家財道具なので、側を離れることはできないらしく、いつもその前の石のベンチに所在なく座っている。彼はいつも公園内に居て、移動らしい移動はしないようだ。彼はひとつ所を拠点として、ほぼ動かないが、レイナー・ウィン夫婦はその歩みをやめることなく、ひたすら目標に向かって移動する。誰もがあっと驚く1014キロの道のりを無謀にも踏波するべくつき進む。
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