人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

清越坊の女たち

2人の女性の生き方が凛として眩しすぎる

 録画して見ていたドラマ『清越坊の女たち』がとうとう終わってしまった。初回からさまざまな事件が頻発し、この先いったいどうなるのだろうと訝しく思ったが、最後には”雨降って地固まる”のごとく、落ち着くところ落ち着いた。初回では、いきなり任家の当主である雪堂が、本妻と妾に翻弄されてオロオロする場面が出て来て、困惑するばかりだった。はて、これはいったいどうなっているのかと、なんだか見る気が失せてしまったが、気を取り直して2回目からも見続けた。

 任家は蘇州の伝統的な織物である”こく糸”を製造、販売する老舗で、本妻の翠喜(すいき)はこく糸を織る達人として名声を得ていた。一方の妾の宝琴(ほうきん)は高官の娘で雪堂の幼馴染で、運命の人だった。だが、宝琴の父が公金を横領した罪で罰せられると、家族も娘である宝琴も牢獄に送られた。刑法の規定によって、宝琴は身動きできない狭い木箱に閉じ込められ、与えられるのは小さな穴から、ときどき注がれる水だけだった。いつも思うのだが、中国の罪人に罰を与える方法は本当に惨いものが多すぎる。その後、宝琴は楽戸(日本で言う遊郭)に送られ、得意の琴や歌を披露して女将に気に入られる。だが、いずれ客を取らなければならなかった。

 幸運にも運命の人である雪堂に楽戸から救い出されて、任家に落ち着く。妾として一緒に暮らそうとするが、当然のことながら本妻の翠喜の反発にあって苦悩する。その時の宝琴は身よりのない、自分一人では生きていくことができず、雪堂にすがるしかない身の上だった。一方の翠喜は商家の女将として堂々としていて、二人の立場は正反対だった。ところが、ある事件に巻き込まれ、雪堂が行方不明になると、翠喜と宝琴は次第に歩み寄り、二人で任家の商売を守って行こうとする。二人は本妻と妾の関係を超えて、いつしか姉妹のようにお互いを想い合うようになった。

 翠喜は伝統的な織物”こく糸”の達人であると同時に布のデザイナーでもあった。次々と布の図案を考え出し、既存の古い図案で満足せず、斬新な絵柄も生み出せる織り手なのが素晴らしい。かくいう宝琴も高官の娘だけあって、教養もあり、詩画にも優れた技能を持っていた。それに、驚いたことには、ちゃんと、機織りの技術も身につけていて、優美な図案も描くことができた。私が最初感じた可哀そうなイメージは完全に払拭され、一人の立派な女性としか言いようがなかった。

 立場は違うが、翠喜と宝琴は二人共懸命に生きている女性で、二人の生き様にとても共感できた。とっくに死んだと諦めていた雪堂が突然姿を現しても、二人の関係は揺るがなかった。以前雪堂は2人の間に挟まれて、両方の機嫌を取ろうと苦悩していたが、もうその必要はなかった。翠喜は任家を出て、こく糸の工房を開き、織物の技術を子供たちに教え始めた。それは一家の主が罪を犯した時、その家族や子供が路頭に迷わないように、犠牲にならないように、手に職を付けさせるためだった。

 話は変わるが、このドラマの中でとても仰天した場面があった。それは宝琴の侍女の如意(にょい)がプロポーズされるのだが、相手はれっきとした名家の若い男性だった。如意に一目ぼれしたその人は任家に結婚の申し込みにやって来るが、事もなく断られる。さらに母親までも勝手について来て、「うちの子は訳のわからないことをよく言うんです」などと言い放ち、息子を連れて帰って行った。これはダメだと思っていたら、その夜息子が庭の塀によじ登り、「結婚してくれ」の大アピールをするものだから、如意の心はときめきが止まらなくなった。だいたいが、名家の若様と侍女なのだから、身分違いもいいところだと思っていたら、とんでもない。若様曰く、「両親は私の意思を尊重してくれるから、説得するから大丈夫」の言葉通りだった。この展開には椅子から転げ落ちるような衝撃を受けた。若様の一途さと如意に対する思いは本物だった。

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