
お金がなくても、れっきとした王女!?
アーシュラ・ジョーンズ作のこの絵本『お金のない王女のおはなし』は奇妙奇天烈で、摩訶不思議な世界を見せつけられて、くらくらしてしまうほどだ。ある雨の朝、王女は雨漏りの水滴が顔にかかったせいで目を覚ます。王女の住むお城は、お金がないので雨漏りを直す費用の都合がつかず、そのまま暮らすしかないのだ。なぜこうもお金がないのかというと、その原因はこの国の主である王様に原因があった。こともあろうにこの国の王様は空を飛ぶことを夢見て、鳥の羽を買い集めては飛行実験をしていたのである。さらに、今度また飛行実験を国民に披露しようと、記念のパーティーを開くべく招待状を送っていた。この王様はお金がないことなど一向に気にすることなく、その負担はすべて王女の掛かっていた。
お金がないので、当然召使いなどいるわけもない。皆にカップケーキを出そうと王様は宣うが、それを作るのは王女しかいない。それでも、この王女は倉庫に残っていた小麦粉と砂糖で100個のケーキを焼いた。だが、うっかりそれらをすべて床に落としてダメにしてしまう。そんな不運にもめげず、王女はまた何度も作り直すが、今度は砂糖が溶けて、王女の髪も着ていたドレスもべとべとになる。まるでジャングルのようになってしまった荒れた庭を何とかしようと、王女は急遽張り紙を出して庭師を募集する。その貼り紙に吸い寄せられるようにして、やって来た若い男性は、実は隣の国の王子だった。
庭師にしてはちっとも仕事ができない若い男性と、王女にしてはつぎはぎのドレスを着て、砂糖塗れになっている若い女性が、暫し語り合う。カップケーキをダメにしたドジな王女と、役に立たない庭師が互いのダメさ加減をからかいながらも楽しそうに過ごしている。そこで、王子が「ダンスをしない?」と王女を誘うと、「いいわよ、私もダンスが大好き」と二つ返事で応じる。どうやら、この瞬間二人は恋に落ちたようだ。以前読んだアーシュラ・ジョーンズの『王国のない王女のおはなし』でもそうだったが、別に相手がピエロであろうと、楽しいなら構わなかった。一緒に人生を過ごす男性を選ぶ基準は、「一緒にいて楽しいと思える人」が何より優先だった。何とシンプルなんだろう、いやいや、でもこれは単なる絵本の中の寓話であって、現実にはそぐわないなどとと言っている場合ではない。
配偶者に求めるものは「楽しい」などという移ろいやすい気持ちではなくて、もっと確かなものであるべきなのは常識だ。職業とか、収入とか性格とかのより良いものが好まれる。「楽しい」からというだけで、人生の伴侶に選んでいいものなのだろうか。そう考えると、作者のアーシュラ・ジョーンズは痛いところを突いている。「楽しい」ををないがしろにして、一体どうするのかと読者の問いかけてくる。この本も、子供が読めば、お金のない王女が隣の国の王子と結婚して、めでたしめでたしとなるが、私のような大人が読むと何かとツッコミを入れたくなってしまう。
例えば、お金のない国の王女がパンを買うお金がないので、お茶だけで朝食を済ます場面では、ありえないと呆れてしまう。でも、以前話に聞いたところによると、別に人間は食べなくても生きられる!?などという諸説があってなどと、見当違いなことを思い出して、すぐにそんな話題はひっこめる。お金がないのにどうやって生きるのだなんて言うことは言わぬが花なのである。
特筆すべきは、お金のない国の王女は、お金に憧れていたわけでもなく、隣の国の王子と結婚することを望んでいたわけでもないということだ。庭師の男性とダンスを踊ったら、その瞬間ときめいてしまった。つまり、二人は結婚する運命だったのだ。
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