人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

うちは水買うほど金持ちなのか

私は水に拘りは持ち合わせていない

 昨日、どうにもこうにもブログのネタが思い浮かばず、過去のNHKのスペイン語のテキストをペラペラやっていたら、こんな短歌に遭遇した。それは、さいたま市桜区の石田恵子さんの作で、”「うちは水買うほど金持ちなのか」って夫が私のペットボトルに言った”と言う短歌だった。私には、テキストの広告のページに新聞の切り抜きを貼っておく習慣があって、この短歌もおそらく当時は胸に響くものがあったらしい。石田さんの夫君が奥さんにではなく、ペットボトルに文句を言ったというのがミソなのだろう。そうか、おそらく夫君はたかが水をお金を出して買うなんて、もったいないという価値観の持ち主なのだろう。夫婦であってもそれぞれ価値観が違うことはよくあることだ。

 私はと言えば、日本にいる限り、滅多にペットボトルの水は買わない。なぜかと言うと、水道水で十分間に合っているからで、それに水道水をそのまま飲むことは滅多にないからだ。家人が水割りに使う水は、前の晩夜寝る前に水道水を沸騰させて冷ましたものをペットボトルに入れて冷蔵庫で保管している。贅沢を言えば、キリがないが、今のところその方法で何の問題もない。それに、ペットボトルの水は重いし、たとえ宅配してもらったとしても、容器がごみになるのが嫌なのだ。なので、ごみのでない水道水で間に合わせている。

 そんな私だが、海外旅行に行くと、郷に入らば郷に従えとばかりに、水のことが気になってしょうがない。1リットル、いやそんなものでは間に合わない、2リットルの大型ボトルを買い込まないと、落ち着いてはいられない。要するに、外国では水道水が飲めないので、ホテルの部屋の水道の蛇口はあってないようなもので、いざという時に頼れない。もしも、夜中に喉がかれるほどの渇きに襲われたら、どうしようなどと怖ろしい想像をすると、ペットボトルはお守りのようなもので、切らすことはできない。それに、私はいつもホテルの部屋で自炊をするので、お米を炊くときに水が必要になる。なぜ、自炊をするのかと言うと、それは外に行ってもロクなものが食べられないからで、それならホテルの部屋でご飯を食べた方がましだと思ったからだ。パリは大好きな街だが、食べ物は最低最悪で、店で売っているパンにはもう飽き飽きしているからそれはそれで構わない。決して節約のためではなく、それを証拠に、昔訪れたベルリンでは、全て外食で済ませたが、何の問題もなかった。だが、そのベルリンも、時が経つにつれて、変わっていった。再開発の波は自由な雰囲気のベルリンにも容赦なく押し寄せ、私のお気に入りの店をすべて消し去ってしまった。

 外国の水道水は飲めないとばかり思っていたが、ある日ガイドブックを読んでいたら、何とウィーンの水道水は飲めるのだとわかった。15年前に行った時はもちろんスーパーでミネラルウォーターを買ったが、2年前に訪れたときは、試しに水道水を飲んでみることにした。もちろん、そのままではなく、ホテルの部屋に置いてあるケトルで煮沸して、冷ましたものを飲んだ。恐る恐る飲んでみたものの、まあ飲めることは飲めるが、やはり違和感があった。それでも、毎日のようにあの重いペットボトルを買いだしに行かなくてもいいのだから、楽ができたのだ。その後、列車でポーランドに行ったが、そこではまたペットボトルの水に逆戻りで、まあいつもの流儀に戻っただけなのだが。滞在先のホテルによっては、ロビーにウォーターサーバーが置いてあるところがあって、あのサービスには大いに感激した。水道水が飲めないということは、私にとっては死活問題で、いつも水の調達に躍起になっている。

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