人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

小豆の思い出

今週のお題「マメ」

もち米を貰ったら、小豆にたどり着いた

 小豆はなんと万能な豆類なのだろう。おはぎやお饅頭のあんこにもなるし、お赤飯にもなる。私はどちらかと言うと、こしあんより粒あんの方が好みだ。たぶんそれは子供の頃食べていたぜんざいが餅入りで、小豆がごっそりこれでもかというほど入っていたからだ。それが普通だと信じて疑うことなく生きて来たので、大人になってお汁粉というものに出会って仰天した。お椀の中をどこをどう探しても、あの小豆の粒粒が見当たらない。小豆の汁だけしかなくて、実がないお汁粉は物足りなくて、虚しかった。

 食べる時に感じる小豆のあのブツブツした触感がたまらなく好きだった。会社で先輩から温泉旅行のお土産に温泉まんじゅうを頂いた時、あれっ?と思ったのはそれがこしあんだったからだ。粒あんとは違って滑らかな触感が新鮮で、それまでこしあんを食べたことがなかったせいだった。これもまた小豆なのだと思ったら、小豆の美味しく変身するパワーに感動した。ちなみに、こしあん粒あんのどちらが好きかと聞いてみたら、圧倒的にこしあん派が優勢だった。皆が言うには粒あんよりこしあんの方が美味しいそうだ。私の経験で言うと、温泉まんじゅうはいつでもこしあんで、粒あんは滅多になかった。いつしか温泉まんじゅうこしあんに限るとまで思うようになった。まんじゅうの皮が柔らかくしっとりしているせいか、こしあんとマッチして、絶妙なハーモニーを奏でている。

 普段本物の小豆と縁のない私が、ある日スーパーで北海道産大納言小豆を買うことになった。それは兄の法事で引き出物にもち米を貰ったことが発端だった。初めは重いから要らないと言ったのだが、義姉がわざわざ宅急便で送ってくれた。なぜもち米かと言うと、普通はお餅を出すのが習わしなのだが、餅では日持ちがしないと言うことで、それならもち米の方が使い勝手が良いからという考えからだった。さて、箱に入った500グラムほどのもち米をどうしようかと思案した。

 頭の中にすぐに”もち米=赤飯”という図式が出来上がった。このまま知らないふりをしていたら、おそらくもち米はダメになってしまう。行動しなきゃと自分に活を入れて、何か簡単にできるものはないかとスーパーに捜しに行った。そこでいいものを見つけた。それは井村屋から出ている小豆の缶詰で、もち米と一緒に炊けば、嘘のように美味しい赤飯が出来た。ただ、その小豆の缶詰は便利なことは便利なのだが、ひとつ200円以上するので、頻繁に作るには少々高い。その頃は貰ったもち米をとっくに使い切り、赤飯に味を占めた私は自分でもち米を買うようになった。

 そこで生の小豆を買ってきて、自分で煮て、好きなように小豆の量を調整して作るようになった。正直言って、缶詰の小豆は量が多すぎて、たべる時に少々邪魔に思えてきたからだった。一袋500円の大納言小豆も何回にも分けて使えば、お得に感じられるから不思議だ。それまで生の小豆を煮たことはなかったが、何事も経験だと割り切ってやってみた。すると、生の小豆はなかなか柔らかくなってくれない。汁も粘りが出ていい感じになるまでには時間がかかった。だが、煮すぎてもダメで、もち米が炊きあがったときに小豆が煮崩れてしまうからだ。さすがに”ローマは一日にして成らず”で練習が必要だった。作る回数を重ねることによって、だんだんと楽しくなった。

 そのうち赤飯に飽きてきた私は、違う味が欲しいと思った。それは以前に熱中したことがある山菜おこわで、まだ若かった頃の話だ。あれは味付けが難しくて赤飯のようには上手くはいかない。昔の栄光よもう一度とやってはみたが、やはり上手く行かなかった。面倒になった私はその辺りでもち米とも小豆ともお別れすることになった。

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