人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

カレーに大根入れる

まさかのカレーに大根!?でも代替えは可能なんだ

 最近は近所のスーパーに行っても、誰も玉ねぎを買おうとしない。なぜなのだろうとずうっと思っていた。確かに3つで298円は以前からしたら、高いかもしれない。でも高くても、玉ねぎがなければ調理自体が成立しない。それくらい不可欠なものだから、少しぐらい高くても皆買うものだと思っていた。それに引っ越しをした友達が住む地域のスーパーでは玉ねぎがひとつ150円もするらしい。だからひとつ100円はまだましで、高くても我慢して買うしかないでしょう、だった。

 聞くところによると、皆ハンバーグの具に使っていた玉ねぎを人参やピーマンなどの他の野菜で代替えして使っているらしい。私のように考えなしにお金で何とかする代わりに頭を使っていろいろ工夫を重ねているようだ。だが、あの玉ねぎの甘味を本当に出せるのどうかが気になってしようがない。本当に美味しくできるのだろうか。それにカレーはやっぱり炒めた玉ねぎの甘味がなくしては、カレーとはもはや呼べないのではないかとさえ、勝手に思っていた。そんなある日の日曜日、いつものように私は新聞を開いて、朝日歌壇を見た。短歌が載る常連になっている人の名前を2~3人確認するのが習慣になっていた。それとは別の歌に目をやると、最初の一首目に”玉ねぎの高騰を受け大根が滋味を深める中辛のカレー”というのがあった。

 その歌の作者はふじみ野市の片野里名子さんで、カレーに大根を入れる人だ。その歌を声に出して読んでみて初めて、世の中にカレーに大根を入れる人がいて、大根を入れても何も可笑しくないのだとわかった。歌の選者である高野公彦さんも「玉ねぎの代わりに頑張る大根が頼もしい」と評価していた。どうやら今は非常事態らしく、生活防衛のために大根の活躍が目覚ましいようだ。確かに今まで大根が高くて困り果てたことは一度もなかった。なぜなら、大根は個人的にはあまり使い勝手が良い野菜ではなかったからだ。大根が100円の時も1本全部使い切ることは至難の業だった。友だちも大根1本は要らないのよねえとため息をついていた。

 私が唯一大根を必要とするのは、さんまを焼いて食べる時の付け合わせに使う時だった。煮物に使おうと思っても、独特の苦みの処理をするために米のとぎ汁で下茹でしなければならなかった。その後煮物に使うのだが、味が上手く染みなくて美味しくできないことが多かった。子供の頃、人が集まる葬式などで出される煮しめの大根は物凄く美味しかった。あれは近所のおばさん連中の手慣れた味付けによるものだった。

 大根のカレーとはどんなものだろうか、と興味津々でネットで検索してみた。一番簡単なレシピは、まずは大根を米のとぎ汁で下茹でする。次にフライパンでサラダ油を熱し、しょうがを炒めて香りが出たら、鶏ひき肉をポロポロになるまで炒める。それからだし汁、茹でた大根を加えて、蓋をして20分ほど中火で煮る。そして、最後にカレールウを入れて醤油で味を調えて完成となる。このレシピのポイントは何と言っても、味のない大根にいかにしっかりと味をつけられるかにかかっていると思う。なんせ素材が基本の大根しかないため、想像すると早々と食べ飽きるのではないか。何か他に入れる物はないのだろうか。それを知るためにはなんども試作を繰り返すしかないのだろう。そんな他人事のようなことを言っている私は、残念ながらそれを実行に移す勇気はない。

 ただ、カレーにだし汁と醤油とくれば、思い浮かべるのはお蕎麦屋さんの和風カレーだ。とろろそばやタヌキ、キツネなどのセットメニューについてくるカレーライスはレストランで食べるカレーの味とは一線を画していた。大根カレーもおそらく大根は和風の味付けが一番だからという理由で、だし汁、(いや、手軽に利用できるのはめんつゆなのだが、)としょうゆを使っているのだ。

 

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