人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

彼女が仕事をサボったわけ

今週のお題「サボる」

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マドリードのカバリェロ・デ・グラシア教会堂の内観。NHKまいにちスペイン語テキストから。

時にはサボることも必要と気づかされて

 たまには仕事をサボりたいとふと思うのは大人なら誰でもある事です。でも頭の中で考えるのと実際に行動するのとでは大きな差があります。私などはそんなとき、「あなたはサボっていったい何をしたいの?」と自問自答してしまいます。すると、これと言っ何をしたいわけでもなく、心のままにサボったら、どんどん溜まっていく仕事のことを考えたら、サボる選択肢は自然と消滅してしまいます。とりあえずはサボるのはやめにして、目の前の仕事に集中すべきだと自分に言い聞かせてお終いです。

 でも、人によってはどうしても仕事をサボらなければならない場面に直面することがあります。例えば、私の友人の場合は4歳になる娘のひとことで会社をサボる選択をしました。娘は3歳の時から保育園に通っていて、今では友達もできて保育園が大好きになっていました。普段から行きたくないとぐずったりして親を困らせたことは一度もありませんでした。それどころか早く行きたいと玄関で友人を待っているくらいでした。それなのに、その日は少し違いました。元気がない様子で、「今日は保育園に行きたくない気がする」というので仰天しました。思わずおでこに手をやると、熱はないようです。

 「保育園をお休みしてどうするの?」と聞いてみると、「今日はママと一緒に居たいの」。友人は娘はまだ4歳で幼いけれども、子供は子供なりに「気晴らしをしたい」と思うのかもしれないと考えたのです。いつもと違ったことをしたい、いつもは離れ離れだけれども今日だけは母親と一緒に居たい、そう思ったとしても当然のことです。だから、友人はその日は会社をサボることにしました。会社に電話をかけて、「娘が病気なので休みます」と告げたら誰だって文句は言えません。本人が病気の時よりもよほど説得力があります。電話を終えて、誰もまさかずる休みだとは思わないだろう、そう考えたらなんだか楽しくなってきました。不思議なことにこの時の友人は後ろめたさは微塵もなく、まさにサボるべき日なのだと本気で思っていたそうです。

 娘は病気でも何でもないのでずる休み、母親は娘の気持ちを尊重してずる休みです。親子で保育園と会社をサボって、いい天気だったので手を繋いで散歩をしました。抜けるように青い空で、気持ちのいい風が吹く中ツツジが咲いているのを見つけました。「ツツジ綺麗だね」と娘は叫ぶと、急いで赤、白、ピンクの花が咲き誇る方へと走って行きました。友人は娘と歌を歌いながら歩き、「こんなにゆったりとした気分になったことがあっただろうか」とふと思いました。目の前のやるべきことをこなすのが精いっぱいの毎日で、娘とゆっくりと遊んであげたことはありませんでした。休みの日は休みの日なりにやることがあるので、厳密に言うとその日は休むための日ではないのです。

 娘の言うことを素直に聞いたら、皮肉なことに「サボる」こともそれなりに意味がある事だとわかったのでした。後日、保育園で娘は「一番楽しかったこと」という題で絵日記を書きました。お迎えに行った時に壁に貼ってある娘の作品を見たら、そこにはツツジの花の絵が描かれていました。クレヨンで「ツツジの花がきれいでした」と書いてある文字を見たとき、娘も同じ気持ちだったのかと気づかされました。いつだって同じように過ぎていくだけの毎日に風穴を開けられたかのような経験をしたのです。

 一方の娘は保育園をサボって散歩を楽しみ、本屋のプレイルームで遊んだら、次の日にはいつもと変わらない娘に戻っていました。友人は「昨日のあなたはいったいどうしたの?」と聞いてみたいほどでしたが、やめておきました。いずれにしろ、「サボる」ことで何かが吹っ切れて、子供にそれはないと思うのですが、気分転換できたことは確かなのです。そして、ついでに母親も普段は思いもしなかったことに気づけたのですから、これこそ「サボる」ことの効用と言えるのかもしれません。

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