人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

仕事をサボりたい時

今週のお題「サボりたいこと」

たまにはサボりたい、だがよく考えると

 仕事をサボりたいと思うこと、たまにはある。特にゴールデンウイーク明けとか、年末年始の休みのあと、それと旅行に行くのに長期休暇を取った後などはいつもそうだ。その原因として考えられるのは、適応能力の欠如と怠け者の性格だ。だいたいが何事に対しても臨機応変という言葉を知らずに、オロオロするばかりでうまく立ち回れない。これではいかんと考え直し、表面上はうまく取り繕って解決したつもりになる。だが、その場は卒なく済ませたつもりでも、家に帰ってモヤモヤし、会社での光景が走馬灯のように蘇ってくる、のだとしたら、なんて不器用な奴なんだと自分で嘆くしかない。

 休みに入ると、日頃の規則正しい生活は破綻し、好きな時に起きて、好きな時に食べて寝る、そんなふうに自分を最大限に甘やかすから、休みの最終日は「明日から会社行きたくない、サボりたい」となってしまう。すっかり”夜更かしの朝寝坊”に慣れてしまった身体を元に戻すには信じられないほどの心の痛みを伴う。日頃は当然のようにできていた早起きが想像以上に辛い修行のように感じられるのだから、なんだか笑える。笑えると書いたが、その時は物凄く深刻な悩みでもあるかのように感じているのだから、本当は笑えない。それに「また仕事か」とチラッと思う。

 サボりたいと思っても、やはり身体は行くべきところに行くようにできている。サボりたいというのは辞めたいのではなくて、一時的に、とか、今は行く気分ではないとかという”軽い気持ち”にピッタリの言葉だ。一時避難とか、ちょっとした息抜きの響きはあっても、深刻なイメージは浮かんでこない。それで、私はサボるという考えをすぐに打ち消して、あまり気は進まないが会社に行くために家を出る。重苦しい心とは裏腹に身体だけはいつもと同じ動きをする。だが、気持ちが入っていない分、仕事でミスをしそうになって、おいおいしっかりしなきゃと自分を叱咤激励することになる。本来の、いつもの会社モードの自分になるのにだいたい1週間程度を要する。その間、戸惑い、もたつき、同僚の言葉に自己嫌悪になり、それでもなんとか耐えて、やっとこさいつもの仕事が楽しくできるようになる。平常心に戻るのに時間がかかるので、そのせいもあって、逃げ出したくなり、「サボりたい」となるのだろうか。

 仕事をサボりたい時は人それぞれのようで、以前友だちから聞いた話は大変興味深い。その頃、彼女はある身体障碍者の施設の調理場でパートをしていた。施設の生徒さんのために給食を作って、配膳もする仕事だった。その調理場を任されていたのはまだ20代後半と思われる若い女性だった。その人はチーフと呼ばれ、栄養士と調理師の免許を持っていた。チーフが友人を含めた3人のパートの女性たちに指示を出して、その調理場の仕事は何とか回っていた。ある日のこと、調理台で友人がホウレンソウを刻んでいたら、「今日は本当は仕事に来たくなかったんです」という声が聞こえた。その声の主は友人の目の前で大きなボールに入った枝豆とコーンとわかめのサラダをかき混ぜているチーフだった。何事か!?と思ったら、すぐに「彼が、一緒に暮らしている彼が、昨日の夜怒って出て行ってしまって朝まで帰ってこなかったんです」!

 「ええ~!?今のこの状況でプライベートな話をする?仕事しながら、自分の取り込んでいる話をするわけ?しかも全然親しくもないおばさんの私に!?」内心でそう思って、友人は一瞬面食らった。だが、反射的にチーフの顔を見ると、その目から涙がポロポロとこぼれていた。他人にはただの痴話喧嘩かもしれないが、本人にとっては深刻な問題らしい。「もしも、今日家に帰って、彼がいなかったらどうしよう!」

 そんなことを言われたら、同じ年ごろの娘を持つ友人の立場からしたら、すべきことはただ一つ、それは慰めることだった。その時目の前にいる女性はチーフではなく娘のようなものだ。「大丈夫、彼の怒りは一時的なものだから、冷静になれば落ち着くはず。だから心配しなくていいですよ」友人はチーフに自信たっぷりにそう言った。翌日配膳台にお皿を並べている友人のところにやって来たチーフは耳もとで囁いた。「彼が帰って来たんです」その時のチーフの顔はニコニコしていた。

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