人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

プール友だち、もういなくなった

寂しいが、自分のすべきことをするだけ

 以前通っていた市民スポーツセンターのプールが設備不良のため休館になって、2か月が経とうとしている。気が付いたら、いつの間にかそれまで仲よくしていたプール友だちがいなくなった。プールの中を歩きながらおしゃべりし、更衣室でもたわいもないことを言っては笑い合っていた人たちだった。それが当たり前のことで、これからもずうっと続くであろうと思っていた。だが、同時にこのままでいいのかという心の中の葛藤もあるにはあった。いつも水深1.05mのプールの中を歩いていたが、隣の自由遊泳コースの1.2mの深さが気になってしようがなかった。いつになったら、自分はあの深さの水の中を歩けるのかと悶々としていたことも確かだった。もしかしたら、永遠にそんな日はやってこないのかもしれないと絶望していたことも確かだ。

 だが、そんなとき、いつものプールが突然水風呂と化し、それでもよかったらどうぞ的なスタンスで営業を続けようとした。そのことに業を煮やした私は、あんなに嫌っていて、もう金輪際行くまいと思っていた別のプールに勢いも手伝って行ってしまった。これもひとつの挑戦と清水の舞台から飛び下りる覚悟で行ってはみたが、最初は予想通り苦戦した。文字通り、水の中でもがき苦しんでいた。だが、今になってみると、もう水の壁に閉じこめられてはいないし、泳げない私でも水深1.2mの深さにだいぶ慣れてきた。世間でよく言われている”ピンチはチャンスだ”を身をもって体験した。

 だが、ふと気が付いてみると、プール友だちが私の周りから消えていた。贅沢にもおしゃべりが煩いだの、今日はしゃべりたくないだのと我儘を言っていたあの日々はもう戻ってこない。別に寂しいわけではないし、誰ともしゃべらないのが普通と思えばいいのだが、やっぱり誰かと話したいときもある。知らない人に自分から声を掛けるのはなかなか勇気がいることだ。更衣室では着替えるのに忙しくて、なかなか口まで気が回らない。市民スポーツセンターのプールが再開するまであと2カ月、その日までなんとかやり過ごさなければならない。でも、自分の本来の目的が何かを思い出せば何とかなりそうだ。そう、私はプールが再開したら、水泳教室の初心者コースの入ることになっている。来月からはそのための準備をしなければならない。それに集中すれば、友だちがいないだのとくよくよ悩んでいる暇はないはずだ。

 昨日、朝日新聞を読んでいたら、紙面に「友達がいない?」という特集が載っていた。読者の座談会で、ある人が、「何かの講座に参加すると、終わった途端、皆さっさと帰ってしまって、誰とも話す機会がない。結局、何回かの講座が終了しても、名前さえ聞けず、友だちになるなんて無理だった」と悩みを語っていた。せっかく何かの縁で同じ時間を共有しているにもかかわらず、話もしないのはなんだか違和感があるということか。社会人になると、学生の時と違って、友だちを作るのが難しい。それに、そもそも友達って本当に必要なのだろうか。そう言っている私も、友だちなんていなくてもいいと思っている一人だが、プール友だちはごくごく軽い意味での知り合いに相当する。本来の友達には及ばないかもしれないが、気軽に話しかけることができるところが何よりいい。それに、プール友だちはプール限定の友達で、会いたくないと思ったら、プールに来なければいいし、プールに来る時間を変えればいいだけのことだ。そこが自由で気儘でいいところだ。

 私が以前とても気になっていたことは、水泳教室に毎週金曜日に来ている人たちが皆それぞれ一人で行動し、会話もなく、挨拶もしないことだ。考えても見て欲しい、彼らは4月から一緒にレッスンをしている仲間なのに、見たところ親し気でも何でもなく、かと言って険悪でもなく、ただ単によそよそしいだけなのだ。これが彼らの”普通”なのだろうか。

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