人生は旅

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落語の「寝床」

▲イラストが面白いので、惹きつけられて、ついつい読んでしまった落語の記事。

落語なんて興味はなかった、でもついつい大笑い

 正直言って、落語にはまるっきり縁がなかった。知り合いに落語が好きな人が誰もいないし、面白いとは噂に聞いていたが、わざわざ寄席に聞きに行く機会もなかった。落語との接点と言えば、日曜日の夕方に放送される『笑点』ぐらいだった。時々新聞の広告で名人と称される落語家のCDが販売されているのを見ても、いまひとつ乗り気になれなかった。試しにひとつどんなものか聞いてみようという触手さえも動かさなかった。コロナ禍で突如脚光を浴びた不要不急という言葉にピッタリなもの、それが落語だった。

 そんな私にも少し変化が訪れた。昨日の新聞の朝刊に落語の記事が載っていて、タイトルは『新釈 古典落語図鑑』だった。三遊亭兼好さんという落語家が得意のイラスト共に紹介してくれているのは、「目黒のさんま」と「寝床」。特筆すべきはイラストがとても面白おかしく描けていることで、私はとても惹きつけられた。イラストを見た瞬間、なんだか面白そうと思った私は、それじゃあついでにと軽い気持ちで、最初の「目黒のさんま」を読みにかかった。文章だけでは私は振り向かなかったと思う。

 「目黒のさんま」はこれまで、何度も噂で聞いたことのある有名な話だ。どこかの殿様が、目黒(今の茶屋坂で目黒区三田あたり」に狩りで訪れた際に、空腹のときに食べたさんまがびっくりするくらい美味しかったと言う、あの噺だ。私は知らなかったのだが、この噺には世間知らずの殿様の小噺が必ず付くとそうだ。兼好さんによると、例えば、米を炊くときの水加減に関すること。一升炊くときは「といだ米に、片手の甲のあたりまで水を入れろ」。二升は「両手を差し入れろ」。 三升は?「その上に足を突っ込むのじゃ」というような、普通に考えると、そんなバカな!?と吹きだしてしまうような話だ。明らかに殿様を小ばかにしているのだが、庶民はそうやって日頃の不平・不満を解消していたと思われる。そう言えば、秋と言えば、さんまを思い浮かべてしまうが、今年の秋は高根の花で口に入りそうもないようだ。

 もう一つの落語「寝床」は今まで聞いたこともなかったので、興味津々でワクワクしながら記事を読んだ。なんでも、大店の旦那が義太夫を習っていて、今で言う発表会というものをやろうとした。当時は口上を述べる義太夫が大流行りだったが、旦那は下手の横好きで、付き合わされる従業員や長屋の人たちは大迷惑だ。旦那は店の使用人である丁稚の定吉に命じて舞台を作らせた。従業員は何とか旦那のへたくそな義太夫から逃れるべく、今日は頭が痛いので、とか早急の用事があってとか理由を作って断ろうとする。旦那の奥方に至っては「ちょっと実家に行ってきます」と息子を連れて出かける始末。どうやら、旦那のそれは相当に恐ろしいものらしい。

 だが、旦那は皆が自分の義太夫を聞くのを嫌がるので、店立てだ!と激怒する。店立てとは追い出す、もしくはクビにするという意味だ。皆はそうなったら大変とばかりにある作戦を立てて、何とか乗り切ろうとする。その作戦とは、まず最初にご馳走をたらふく食べて、飲んで酔っ払って寝てしまうことで、そうすれば悪夢から逃れられると踏んだのだ。計画通り、義太夫でウオ~、ウオ~とばかりに唸っていた旦那はしばらくして、部屋の中が静かすぎることに気が付いた。それまで、旦那は御簾の中で義太夫を演じていたので部屋の中の様子が分からなかったのだ。

 御簾を上げてみたら、旦那の目に飛び込んできたのは、誰も彼もがその場でごろ寝してスヤスヤと寝ている姿。旦那は仰天したが、定吉だけが泣いていた。旦那の義太夫に感激したのか!まさか!理由を聞いてみると、旦那が義太夫を演じていた辺りを差して「そこは俺の寝床だ!」と叫んだのだ。その言葉こそがこの噺のオチだった。実は定吉の決めセリフは記事には書いていない。ではなぜ知っているかと言うと、ネットで検索してみたら、YouTubeで落語が聞けたおかげだった。

 本当なら寄席で雰囲気を楽しみながら、生で落語を聞くのがベストなのは言うまでもない。でも、何か気分が落ち込んでいる時に、いつでも聞けて、ワハハッと単純明快に笑えてしまう落語は貴重だ。私にとっては、あったらいいな!と思える娯楽のひとつだ。

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