人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ひとり旅でお勧めの場所

貴方が行きたい場所に行けばいい

 ちょっと前に、ダッシュボードに『みんなのお題』というのが載っていた。その中で特に気になったのは「今度初めて一人旅をするのですが、どこかお勧めの場所はありますか」というものだった。私の中では旅と言えば、海外旅行と決まっていて、国内は眼中になかった。それで自分なりに考えてみたのだが、その時は一人旅に最適な場所はどこかなどという正解にたどり着けなかった。つまり、お題の作成者が一番知りたい答えを提供することができなかったのだ。一人旅初心者にとって一番親切なアドバイスとは何なのかがわからなかった。当方は全くのアドバイスなしで、行きたい気持ちに引きずられて、なんだかんだと必死になっているうちに出発日当日になった感じだ。

 だから、「あなたが行きたいところに行けばいいし、その場所こそがあなたがひとりで行くべき、まさにお勧めの場所なのです」などと訳の分からないことを書きそうになったが、役にも立たないと思い直して、書くのをやめてしまった。だが、よく考えてみると、お題の提供者の意図は「予期せぬトラブルに合うことなく、できればスムーズに旅行ができるフレンドリーな人々がいる場所」を知りたいのではないか。私が今まで旅した経験から自由に書けばいいのかとも思ったが、そこには必ず個人的な偏見が入ってしまうので、余計な先入観を植え付けてしまうのは良くない。

 例えば、私の一番最初の旅行先はイタリアだったが、人気があるだけあって人も皆親切だった。それに対して、これもよく言われることだが、フランス人はそっけない。だが、フランス人が皆そうかと言うと否で、それにパリの街の魅力には抗えないのだ。ルーブル、オルセー、ブーランジェリー等の美術館や、街全体がアートともいえる街並みはまさに別世界に来たように感じられる。最初は冷たい、つまり異邦人とは関わらない排他主義者だとばかり思っていた人たちが、だんだんと普通の人、いやそれ以上の存在になっていくのにそう時間はかからなかった。

 自分が困っているのを目撃したら、黙っていても声をかけてくれる、なんてことを期待してはダメなのだ。そんなときは自ら動く、つまり躊躇せず助けを求めればいい。助けを求めても、無視されたり、相手にされなかったりすることもある。彼らは皆日常生活を送っていて忙しいから、へたくそな言葉遣いで近づいてくる異邦人を胡散臭そうに見つめて避けようとする。やみくもに手あたり次第近づいて行っても空振りに終わるだけだ。だから、助けを求める相手を慎重に選ばなければならない。急ぎ足で歩いている人はやめて置くに限る。足止めしたら、嫌な顔をされるのがおちだ。なるべく余裕のある人を選ぶ、あるいはなにかの制服を着た人なら間違いなく親切にこちらの話を聞いてくれる。

 私の一番のお勧めはタクシー運転手さんで、彼らは物凄く親切で頼りになる。以前パリオペラ座の近くにあるホテルを予約したことがあって、私の予定では空港からのバスを降りて自力で行けると思っていた。だが、夕方で薄暗く、ホテルのある場所を近くにいる人たちに教えて貰ったにも関わらず、道が複雑で迷ってしまった。このままでは最悪ベッドで眠れそうにないと観念し、さてどうしたものだろうかと考えた。こんな時日本のような交番があればいいのだが、残念ながら、パリの街にはそんな便利な物はなかった。仕方がないので、ひとまず、頭上にひときわ輝いているプランタンデパートの王冠のオブジェを頼りに大通りまで歩いた。そこで、誰かに助けを求めれば、何とかなるはずだった。思った通り、交差点では沢山の人が信号待ちをしていて、時折日本語も聞こえてきた。

 彼らに話しかけようと思った瞬間、「もし彼らが観光客か何かだったら、道を聞いてもわからないのではないか」という考えがふと心の中に浮かんだ。ではどうすればいいのか。幸運なことに、斜め前方に「TAXI乗り場」のサインが見えた。そうだ、彼等なら間違いなく、私をホテルまで運んでくれるのだ。タクシー運転手さんこそ、あの状況において私が頼るべき人だった。断っておくが、この時まで、私は彼らに対してあまり好感情をもってはいなかった。だが、追い詰められた私は彼らを信用するしかなかった。危機一髪。幸運にも無事にタクシーでホテルまでたどり着くことができた。その時以来、私の固定観念は一変し、未知の土地において一番頼るべき人はタクシー運転手さんではないかとさえ思うようになった。

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