人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

泳げるようになりたい

今週のお題「チャレンジしたいこと」

されど、足が痛くて今は叶わない

 チャレンジしたいことと言えば、泳げるようになることだと即答するほど、私はやる気満々だ。毎日通っている市民スポーツセンターの受付に行き、初心者コースに入るべく申し込みをしたいのだが、いかんせん、それは叶わない。なぜなら、現在の私は膝の軟骨を骨折し、半年以上たっても、未だ完治には至っていないからだ。それどころか、ズキズキという足の痛みはいっこうに消えてはくれないのだ。もちろん、四六時中足が痛いのではなく、動かすと痛い。つまり何かをしようと立ち上がるのが苦痛で、折角痛みが落ち着いているのに、それでも歩かなければならない時などは、「しようがないなあ」とぼやくことしきり。それでも、痛くても歩かないことにはこの先生きてはいけないのだから、どうしようもない。痛いなら歩かなければいいと言う理屈は、これから先まだ生きるつもりなら、全くもって通用しない。

 そもそも、なぜ子供の頃から運動音痴で、水が怖くてカナヅチの私が泳げるようになりたいと思ってしまったのだろうか。それは、外科クリニックの先生にプールで歩くことを勧められことがきっかけで、水中ウォーキングの気持ちよさに病みつきにやってしまったからだ。水の中を歩いていたら、隣の自由遊泳コースで颯爽と泳ぐ人たちをまじかに見て、「さぞかし気持ちいいだろうなあ」と思ってしまったから始末が悪い。水が怖くて、息が苦しかったかつての苦い経験などすっかり忘れて、「私もあんな風に泳ぎたい」と思ってしまった。走り出したら止まらない車のように、一度思ってしまったら、もう後には引けない。すぐにでも申し込みをしたいのだが、よく考えてみれば、足が痛くて、水の中と言えども、バタ足をするのは無理だった。足を動かすことなど到底できない。

 私だって今まで、何もしなかったわけではない。昔はスイミングスクールの初心者コースに入ったこともあったが、入ってみて仰天した。現実には、初心者コースと言えども、皆少しは泳げる人ばかりで、私のように泳げない人はいなかった。毎回、10mほどの距離をただ泳ぐだけで、先生からは何の指導も受けられなかった。それに、私はバタ足でなんとか泳ぎきるのが遅いので、どうしても皆を待たせてしまうことに、精神的に耐えられなくなった。結局、皆の視線に堪えられなくて、途中でやめてしまった。その時は別に泳げなくても、この先困ることなどないだろうくらいの気持ちだった。

 それなのに、足を怪我して、自分とは無縁だと思っていたプールに行ったら、泳げるようになりたいと思ってしまったのだ。このことは私にとって青天の霹靂とも言うべき緊急事態だった。去年の予定では来年になったら、足が少しは良くなるだろうから、初心者コースに申し込めるだろうと能天気に思っていた。だが、年を越して今の現実を考慮すると、そううまい具合にはいかないようなのだ。この先時間がどれだけ過ぎようとも、私の足は進歩しないのではないかと思いたくなるほどだ。プールに通い出してから、早いものでもう8カ月が過ぎようとしている。最初は3か月ぐらいは続けようという目標はやがて、半年になり、現在では「1年くらいはやってみよう」に自然となった。ここでやめるわけにはいかない。なぜなら途中でやめたら、水中ウォーキングの効果を証明することができないから。自分自ら実験台となり、水中ウォーキングがどれだけ足のためにいいかを実感したいからだ。自分の身体で世界が変わる瞬間を目撃したいと願っているからだ。

 希望的観測としては、4月に市民スポーツセンターの初心者コースに入りたいが、足の調子がそれを許すかどうかはわからない。毎週金曜日の9時から生徒さんたちがコーチに指導を受けているのをまじかに見ていると、凄く羨ましくなる。自分もあの仲間に加わりたくて仕方がないが、さて、これからどうなるのだろう。

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