人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

あんこの効用

 

社会はまだ2人のような関係を認めていない

 NHKの夜ドラ『作りたい女と食べたい女』の中で、野本さんと春日さんはいよいよ二人で暮らす部屋を捜し始めた。だが、不動産屋に行って、自分たちにとっては不都合な現実を知らされる。実を言うと、私も二人で暮らす部屋を見つけることはいとも簡単なことだと思っていた。ところが、不動産屋の人の話では、家族や親族、あるいはカップル、それも結婚の予定のある間柄でなければ、物件は限られるそうだ。友だち同士の場合は、ルームシェアがOKのところでないと、貸してもらえないらしい。そうなると、物件探しの選択肢はぐっと狭まり、良さそうなところから選ぶという自由がなくなる。二人は社会の不都合な現実を思い知らされ、疲れ果てて家に帰ってきた。

 東京で一人暮らしをしていた若い頃、友だちのアパートに遊びに行ったりしていたが、まさか一緒に住むなんてことは露ほども考えなかった。そりゃ、家賃の面では経済的に助かるかもしれないが、せっかく手に入れた自由を手放す気にはなれなかった。なので、女性同士が一緒に住みたいという選択をするということは、何かの理由があるはずだ。野本さんと春日さんのカップルの場合は、お互いの愛情からいつも一緒に居たいと言う気持ちがその決断を後押しした。なんともロマンチックな話だが、社会の冷たい現実に冷や水を浴びせられた。

 そんなとき、野本さんに実家から宅急便が届く。中身はお米だったが、お母さんがついでに入れてくれた小豆もあった。野本さんは早速小豆を煮始めた。ネットのレシピを見ながら、小豆を一度茹でこぼしをする。それから延々と煮詰めていく。どれほどの時間を費やしたのだろう、まるで我慢大会のようなものだ。野本さんは見事にあんこを完成させた。実を言うと、私はこらえ性がなくて、さっさとあんこを作るのを諦めてしまった経験がある。

 そもそも、私と小豆との縁は、実家の法事に行った際に、引き出物でもち米を持たされた時に始まった。さて、このもち米をどうしようか。そう思ったら。頭の中に浮上したのは赤飯だった。そうなると、小豆をどうしようかとなって、すぐにスーパーに飛んで行った。店内を捜し回ったら、なんと面倒臭いのが大嫌いな私にピッタリなものが見つかった。それは小豆の水煮缶で「赤飯用」とわかりやすく書いてある。何時間か水に浸けて置いたもち米と、小豆を炊飯器に放り込んで、スイッチを押す。その後、ジャジャーン、苦も無く赤飯が完成した。その美味しさにしばらくの間嵌ったが、ある時店から小豆の水煮缶が姿を消した。大いに嘆き悲しんだが、そんなことをしていても何にもならない。それより、この憂慮すべき事態にどう対処するかだった。それで思いついたのが、小豆を買って、それを煮て使えばいいということ。因みに、小豆をそのまま炊飯器に入れるという狡い方法を試してみたが、やはりそれでは固すぎて美味しくない。下茹では大事なのだ。

 赤飯に嵌っている間に、ふと、小豆はあんこの”生みの親”だということに気が付いた。そうなると、好奇心が止められない。あんこと小豆はどう見ても似ても似つかなくて、”親子”だということに疑いの目を向けざるを得ない。まるで、魔法のようなものだが、自分でそれを証明したいと強く思った。だが、とりかかったのはいいが、あんこへの道は遠かった。あまりにも、小豆は全く変化の兆しも見せないので、しびれを切らした私は途中で敢え無く挫折した。それ以来、小豆からあんこを作ろうなどという危険は冒さなくなった。そんな紆余曲折があったからこそ、私は野本さんがあんこを見事に作り上げたことに大いに感心した。

 ドラマの中で、春日さんがこんな発言をする。「何も問題が解決したわけでもないのに、あんこを食べているとなんだか元気になれますね」。そうなのだ、甘くて、美味しいあんこは、人に活力を、いや希望を与えてくれた。不動産屋に行って、嫌な思いをし、現実にぺシャンコにされた二人はあんこのおかげで、生き返ることができた。疲れて、何も食べたくない、などと言わずに、あんこでも、別にあんこでなくてもいいのだが、自分の好物を一口でも食べてみたら、何かが変わるかもしれない、自分の中で。

mikonacolon