人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

千早茜さんの『魚神』

予期せぬ展開に戸惑いながらも、一気読み

 この本に出会えたのは、偶然だった。以前もブログに書いた、千早茜さんの『赤い月の香り』を読んでとんでもなく惹きつけられた私は、他の作品への興味を抑えきれなかった。直木賞受賞時点では、とても手が出なかった『しろがねの葉』も6カ月以上たった今では、図書館の予約数はゼロで、いつでも借りられる状態になっていた。そうとなれば、躊躇する必要はなく、予約するとすぐに取り置き完了のメールが届いた。ただ、私にはもう一冊、気になる本があって、それは2021年のノーベル文学賞受賞を受賞したアブドゥルラザク・グルナの『楽園』だった。ついでだからこれも予約するかと、予約数ゼロなのをこれ幸いに、「予約する」をクリックした。かくして、私は『しろがねの葉』と『楽園』の両方を手にウキウキ気分で家路を急いだ。家に帰ってよく見てみると、グルナの『楽園』は天文学的に長すぎる作品で、本当にこれが読めるものなのか、と不安でいっぱいになった。

 それで、とりあえず、もう一冊の千早さんの『しろがねの葉』から読むことにした。その後、ゆっくりと大長編の『楽園』に浸ればいいと考えていた。何のことはない、『しろがねの葉』は最初から引き込まれて、どんどんページが進んだ。ほんの2,3日で読めたので、さっさと次の『楽園』に行けばいいのに、なかなか本を手に取ることができないでいた。新聞をダラダラ読んだり、韓国ドラマの『悪魔判事』や『新米教師コ・ハヌル』を見ているうちに2週間があっという間に経った。まずい、どうしようと慌てて、期間延長をしなきゃと図書館の予約サイトを立ち上げた。すると、何たることか、「この本を予約している人がいます」との文面を発見し、落胆した。さっさと本を返しに行かなかきゃという切迫感と同時に、何か別の本を借りなければ、空白ができる、つまり、何も読む本が無くなるとの飢餓感との両方の感情に苛まれた。

 となると、とりあえずの処置としては、何でもいいわけでは無いが、興味をそそるような本を1冊借りなければ、気が収まらなかった。そこで、私の頭の中に浮かんだのが、千早茜さんだった。図書館の予約サイトで検索すると、千早さんの本は数多くあった。直木賞受賞者のインタビューで「かれこれ15年も小説を書いて来て、こんな素晴らしい賞を頂けるとは光栄です」と満面の笑みで答えていた。その時初めて、私は千早さんの存在を知ったのだが、デビュー作とも言えるのが、この『魚神』だった。ウオガミと読みたいところだが、実際はイオガミと読む。本の帯には「すばる文学新人賞の全選考委員が、思わず唸って激賞した」と書いてある。何だか、ほめ過ぎていて、これは信用ならないと、最初は警戒した。

 だが、実際に読んで見て初めて、この帯に書かれていることは真実なのだとわかった。それに、宇野亜喜良さんの表紙からして、物語全体の雰囲気を実によく表現している。この物語の主人公は白亜という姉と、スケキヨという弟の二人だが、姉弟と言っても、みなしごだから実際のところはわかりはしない。二人は食堂を経営している婆さんに拾われて、仲良く幸せに暮らしていた。だが、数年後、スケキヨが遊女屋に売られ、離れ離れになったところから、ストーリーは激流に飲み込まれたかのように展開する。最初から、いとも簡単に物語の中に惹き込まれ、どうしても二人の行く末が気になって仕方がない。となると、ページを捲る手を止める気にはならず、ただ読み進めるしかなかった。

 私にこんな集中力があったのかと自分でも驚くばかりの熱量を注いだ、疲れるという実感もほぼなく。小説の後半ではあまりの悲惨さ、この世のものとは思えないほどの怪しさに、心が震えた。恐ろしくて見たくもないのに、それでも好奇心が勝って読み進めてしまう、どうしようもない怖いもの見たさ、に我ながら呆れる。正直言って、この物語の世界に暫し浸った後は、何だかぽか~んとして腑抜けのようになってしまった。人にこれほどの衝撃を与えてしまう千早さんの筆力は、やはり、凄いというしかないだろう。

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