人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

他人の世間話を聞く

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

f:id:mikonacolon:20211203171718j:plain偶然、高齢者のおしゃべりを聞く機会に遭遇して

 昨日、美容院に去年の10月以来延ばしっぱなしになっていた髪を切りに行きました。髪を切る気になったのは、気分転換というよりも移動の前の儀式のようなものです。つまり年末年始の帰省の前にさっぱりとしたかったからです。それに12月に入ると時間は信じられないほど速く進むので、今のうちにと思ったわけです。私が店の前まで行くと、コロナ対策のためのなのでしょう、扉は半開きになっています。中に入ると、すでに二人の先客がいて、お店の人に名前を記入して待つように言われました。ソファに座って待っていると、私の目の前で髪をカットしてもらっている方の話が聞こえてきたのです。たわいもないおしゃべりなのですが、最近は滅多に他人の話を盗み聞きする機会などないので新鮮に思えました。

 「私なんかもう90近いのだけど」と仰っていて、「まるで世捨て人よねえ」と嘆いているのかと思いきや、「少しやせたい」とも思っていらっしゃるのでした。街で若い子がおしゃれしているのを見ると、なんだか後ろめたい気持ちになってしまうのです。この間初めて糖質ダイエットというものをしてみたら、すこしは痩せられることがわかりました。でも何事もほどほどがよくて、”過ぎたるは猶及ばざるが如し”なのです。知り合いに普段からあまり甘いものを食べない人がいて、その人は仕事に支障が出たらしいのです。集中力がなくなり、なんでもないことでミスを連発するようになりました。だから、「少しは糖分を取らなきゃねえ」などと、いろいろ考えて生活なさっているのです。

 その高齢の女性の話は途切れることなく続き、美容師さんも相槌をうったり、短くコメントしたりしていました。やがて話は美容院からすぐの交差点にあった靴屋の話に移りました。もうその店は無くなってしまって、今はもう新しいビルが建っています。「私あの靴屋がなくなって本当に困ってるの」と心からの叫びをあげる声を聞いたら、ついつい私もそうと共感してしまいました。近頃では街から個人商店が次々と消えていてしまって、私たち住民は戸惑うばかりなのです。よそ行きの靴ならデバートで買えばいいのだけれど、普段履く足に優しい靴はあそこでしか売っていなかったのだと言いたのです。店の人も親切でいい人だったし、あそこの店のあの靴がお気に入りだったのです。それから新しいビルに入っている歯医者さんはどうなのとか、皮膚科は行ったことがあるのかという話題に移り、カットがおわるまで喋りっぱなしでした。

 要するに、この高齢の女性は誰かに自分の話を聞いてもらいたかったようです。その誰かがたまたま美容師さんだっただけのことです。今のようなコロナ禍にあっては高齢者はおおっぴらには外に出るのを控えているのです。美容師さんは口数はわずかでほとんどはお客さんの独壇場だったので、カットを終えた方はなんだかすっきりした顔にみえました。どうやら少しは気分転換になったようですが、「次の方どうぞ」と言われて鏡の前の椅子に座って少し驚いてしまいました。なぜならそこにはウサギのマスコットの絵があったからです。そのウサギは人差し指を立てて、しい~っとおしゃべりダメのポーズをしているのでした。それにもかかわらず、あの女性はそれを無視しておしゃべりをしたのです。だからよっぽど誰かと話をしたかった、あるいは誰かに自分の気持ちを聞いて欲しかったのだと思います。

 以前バス停で都心に行くバスを待っていたら、あるお年寄りの女性に声をかけられました。バスの時間について聞かれて答えたのですが、それで終わりかと思ったら世間話をすることになりました。こちらが適当に切り上げようとしても、次から次へと話題を持ちかけてくるのです。それで気づいたのです、私でなくても誰でもいいから話し相手が欲しいのだと。でも今ではそんな人は滅多にいなくなり、それどころか高齢者が外に出なくなった気がします。コロナだからとかではなくて、その前から感じていることなのですが。

 いずれにせよ、美容院で高齢の女性に出会ったことによって、他人が今何を考えて暮らしているのかを知ることができました。近頃では他人の立ち話を聞くこともなくなりましたから。それに自分が贔屓にしていた店にいかに頼っていたか、助けられていたかを知る機会にもなったわけです。自分だけかと思っていたら、共感してくれる人もいたのだと気づかされて、少し嬉しかったのです。

 

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