人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

オードリー・タンさんは子供時代に茨の道を

お題「#この1年の変化

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エリート、でも順風満帆じゃない子供時代

 新型コロナ対策で、一躍世界的に有名になった台湾のオードリー・タンさんのことを、私は最初、典型的なエリートだと思っていました。小さい頃から勉強ができて、神童などと皆から称賛され、おそらく飛び級で大学に入ったに違いないというステレオタイプな考え方しかできませんでした。挙句の果てに、才能のある人は楽でいいなあなどとよからぬことを考えていたのです。楽と言うのは努力なしで思うままに自分の道をひたすら進めさえすればいいのだという極論です。つまり自分のやりたいことをしていれば、苦労など感じないで済むと言うわけです。だから、タンさんの著書が本屋に並んでいても、全く興味はなかったのです。でも先日、朝日新聞にタンさんの記事が載っているのを見て、仰天しました。なんと、子供の頃はいじめにあって不登校を経験していたのです。そのいじめも同世代の子供だけでなく、教師からも体罰を受けていたというのですから事は深刻です。

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朝日新聞に載ったオードリー・タンさんの不登校の子供たちへのメッセージ。

 

 ではなぜタンさんはいじめられたのか、それは彼が他の子供と違っていたからです。つまり彼は小さい頃から自分で考える子供で、何でも質問してしてきて大人が答えに窮することもしばしばだったとか。答えが得られない場合は自ら本を読んで探そうとしていた。だから算数の授業でも先生の教えることに反論することもあった。それくらい頭脳明晰だったせいで彼は変わった子だとしか思われず、敵視され,排除されそうになった。言われてみれば、社会と言うのは異分子を嫌うものなのだ。”出る杭は打たれる”でほんの一瞬の羨望は嫉妬に変り、やがては怒りに移行していくのかもしれない。幼い時からタンさんは心の優しい子だったらしく、友だちがかけっこが速かったりしたときは素直に褒めてあげた。なのに自分が良い成績を取るとなぜ彼らは怒り狂っていじめようとするのか、それが理解できなかったのだ。

 不登校になったタンさんを両親は心配した。でも自分たちになにができるのか皆目わからなくて悶々とした日々が続いた。母親は仕事を辞めてタンさんを見守ることにした。その時は自殺すらしかねないくらいタンさんは落ち込んでいたからだ。やがて、両親はタンさんがのびのびと学べそうな学校を見つけました。こう書くと、いとも簡単に問題が解決したかのように誤解されるかもしれない。でも実際は試行錯誤の連続で、ドタバタで一つ間違えば家庭崩壊というような危機に直面したのです。その後、よりよい環境を求めてドイツに渡る決心をしたことも付け加えておきます。

 それと、日本の大勢の子供たちと同様に子供の頃のタンさんもゲームに熱中して、そのことについて父親は嫌だったと明かしています。それには大いに同感で、いまやゲーム依存症という病気が問題になっています。それでもただのゲーム狂で終わらないところはさすがで、ためになるゲームもたくさんあることがわかって父親はやっと納得できたのです。タンさんは歴史や英語の知識をゲーム感覚で身につけていきました。つまり、ゲームをやたら敵視することなく、子供の興味のある方へと誘導してやることが大切だと言いたいのです。子供に嫌がられることなくどうやったら成功するのか、それを考えるのが親の役目であり、頭の痛い宿題でもあります。

 コロナの時代を生きている子供たちには、親の経験はもはやなんの役にも立たないと誰もが悟っています。この先の不透明な時代を生きるのに正しい道など誰にもアドバイスできないでしょう。だから、子供がなにかをやりたいといってきたら、とやかく言わずにやらせてみる。やってみて途中で投げ出したりしても責めない。やりたいことがコロコロ変わっても「そんなことじゃあダメだろう」などとは口が裂けても言わない。とまあ、そんな風に行動するのが、子供の意志を尊重する親がすべきことなのだとある教育評論家が述べていました。果たして、今までの常識と真逆の行動がとれるかどうか甚だ疑問です。ただ、これからは子供に自分で決めてもらわないと、自分の人生は自分で背負ってもらわないといけない、それが普通になる時代が到来する可能性大です。

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