人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

鬼ごっこで思い出したあの頃

今週のお題「鬼」

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▲鬼ごっこをして遊んだ思い出に出て来たのは幼なじみの清春君。彼の家は牛を飼っていて、そのミルクが濃くて美味しかった。それでこの牛さんの写真に登場してもらったわけです。この写真を撮った場所はモスクワのアルバート通りで、日本でいうと原宿の竹下通りのような人気のスポットです。この牛さんはムームーと言うレストランのマスコットで、もうそこに居て当然のごとく通りに馴染んでいました。

田舎では神社や竹藪が遊び場だった

 「鬼」という言葉ですぐに連想したのは、鬼ごっこで、遠い記憶の彼方から懐かしい思い出が蘇ってきました。田舎に住んでいた小学生の頃、学校から帰ると、遊びに行くのは部落にある神社や竹藪でした。私たちが「お宮さん」と呼んでいた神社は村のはずれにあり、鬱蒼とした木々が生い茂る場所でした。都会にあるような公園などなかったので、子供が遊べるような広くて車が来ない安全な場所はそこしかなかったのです。当時は小学生は朝7時ごろに決まった場所に集まって、みんなで集団登校をするのです。見渡す限り、畑や田んぼばかりで、はるか遠くに見える3階建ての鉄筋コンクリートの建物が学校でした。そこまで子供の足で歩いて30分くらいです。もちろん、みんな仲良くと言うわけにはいかないのですが、けっこうまとまりはあるわけです。子供ながら暗黙の了解があったようで、不思議とケンカばかりしていた記憶はないのです。それで、遊ぶときも、だれかれとなく寄ってきて自然と一緒に居たわけなのです。

美味しいミルクの思い出が

 あの頃、特に思いだすのは幼馴染の男の子で、いつも元気いっぱいだった清春君です。彼の家は農家だったのですが、部落で唯一牛を飼っていたのです。それで私はよく牛乳を買いに行かされました。お酒の空瓶を持って行くと、薄暗い部屋の向こうに牛小屋があり、牛と目が合ってしまってドキッとしたこともありました。叔母さんが瓶に漏斗をさして牛の乳を入れてくれるのをじっと見ていたあの頃。子供心に牛の乳はなんて真っ白で綺麗なんだと不思議に思っていた自分が懐かしいです。家に帰るとすぐにそれを十分に煮沸して飲む、そんな楽しみが無ければお使いなんて嫌に決まっているのです。だって、もしも清春君に会ってしまったら気まずいではありませんか。今思うと入れ物をちゃんと持参して買いに行くなんて、ゴミが出なくてなんてエコなのでしょう!その当時はごみ収集車なんてものは存在しなかったのですから。

冷たいはずの彼が助けてくれた

 その家の長男である清春君は、女の子なんて相手にしない、そんな素振りをしていました。冗談を言うわけでもなく、みんなに好かれようともしなかった。でも、そんな冷たいはずの彼が、私が村に新しくできた市営住宅の女の子たちにいじめられていたら、助けてくれたのです。いじめられていたと言っても、「もっとしっかりしなよ!」と活を入れてくれただけなのですが。散々言われっぱなしで反論できない私にイライラしたのか、あるいは聞いていられないと呆れたのか、とにかく「もうやめろよ、可哀そうだろう」と庇ってくれました。そしたら、彼女たちのひとりがなんて言ったと思いますか。「あんたはその子が好きなの?」なのです。その一言を聞いた当の私は「どうしてそうなるわけ?それは違うでしょう?」と困惑するばかりでした。これは思わぬ成り行きになったなあと黙ってことの成り行きを見守るしかなかったのです。どう考えても、あの時の清春君は正義の見方であって、私的な感情なんてこれっぽちもなかったはずです。今思うと、的外れなことを言った女の子は、きっと彼のことを好きだったのではないでしょうか。つまり、彼女なりの嫉妬からあんな発言が飛び出したのではと思うのです。

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